テーマ③ 生きる意味 ~番組でご紹介した説法~

NHK
2022年5月25日 午前4:07 公開

お坊さんの説法には生きる知恵がたくさんつまっている。

ここでは、『今の人生に生きる意味を見出せない、自分は生きていてもしようがない』・・・

そんな思いを抱えたときに聞くと心が楽になるかもしれない4人の説法をご紹介します。

【曹洞宗 安達瑞樹さんの説法】

なぜ生きる意味を考える必要があるんか。私はそこを考えるわけでございます。『中部経典』の中に『毒矢のたとえ』というお話が出てまいります。マールンキヤ・プッタというお釈迦様のお弟子のお一人が、お釈迦様に聞かはるわけでございます。

「お釈迦様、この世はどこまで続いてるんでしょうか、限りがあるんでしょうか。お釈迦様が亡くなったとき、どうなるんでしょうか。私が死んだらどうなるんでしょうか。」そう聞くと、お釈迦様はこうお答えになりました。

例えばあなたの目の前に毒の矢で撃たれた人が倒れているとしようと。その人がつらい思いをしてはるからと思ってお医者さんに診てもらおうとするんやけども、「ちょっと待って」と。「この矢はどこの民族の人が撃ったんか、どこの地域の人が撃ったんか、それが分かるまでは抜かないでくれ。」、そういうふうに言われたら、あなたはどうしますかと。

いやいや、そんなこと言うてる場合やない。お医者さんにはよ診てもらわなあかんやろと。そんなことをいろいろ考えてるうちに、亡くなってしまうやろと。

この生きる意味を考えるということも同じようなことが言えるんではないでしょうか。目の前のことをしっかりと見つめる。今できることをしっかり見つめる。例えば、目の前に洗濯物がたまっていたら洗濯をする。ご家族の方にお酒をやめたらどうですかって言われたら、家族の方に感謝をする。今、できることをしっかりと今、見つめていくということが大事なのではないでしょうか。むしろ生きる意味はその先にはっきりと見えてくると私は思いますが、皆さまはいかがでしょうか。

【天台宗 露の団姫さんの説法】

生きる意味が分からない。私も昔はそうやったんです。いつか死ぬんやったら、もう今死んでも一緒ちゃうかな。もうそれやったら、毎日死ぬの怖いなと思いながら生きるのもつらいなと、そういうふうに思っていた時期がありました。

そんな私を救ってくださったのがお釈迦様という存在です。お釈迦様はお生まれになったときに、『天上天下唯我独尊』とおっしゃいました。よく勘違いをされますのが、「この世の中で私ほど偉い人間はいないですよ」という意味でわりと勘違いをされているんですけれども、実はこの『天上天下唯我独尊』といいますのは、“私たち人間、1人1人がそれぞれにしかできない大切な使命がありますよ”と、こういう意味があるんですね。

お経の中には、『諦』という漢字がよく出てきます。実はこれは、「物事を断念する」という意味ではなくて、“物事を明らかにする”という意味があるんです。

では、自分はなんのために生まれてきたのか。これを明らかにするヒントが、自分の好きなこと、自分の向いていることにあると思います。人間は自分のことを一番よく知っているのは自分だと思いがちなんですが、実はそうでもないんですよね。自分の周りにいる自分の大好きな人、自分のことをいつも大切にしてくれる人ほど、自分のことをよく分かってくれていたりするんです。そういう人に、私って何が得意なんでしょうか。私、何したらいいんでしょうかって、素直に相談してみることも自分の生きる道、自分の生きている意味を見つけるヒントになるんじゃないかなと思っております。

お経の中では、私たちの命のことを『願生』、“願い生まれる”というふうに書かれています。私たちはどんな意味があって生きているのか分かりません。実は私も自分の使命を感じているようで、実はそれが自分の生きる意味とは本来違うのかもしれません。

正解は死ぬまで分からないかもしれません。それでも私たち自身は願い生まれてきた存在である。これだけはお経の中に説き明かされておりますので、自分の生きる意味を探しながら、今、自分ができる精いっぱいのことをこの瞬間やっていく。それが自分の生きる意味につながっていくのではないでしょうか。

【浄土真宗 川村妙慶さんの説法】

私は何のための人生なんだろう。生きている意味ってなんなんだろうと、そこにモヤモヤ出たときには、実はあなたがこれから成長するチャンスだと思ってください。人間は落ち込んでみないと生きる意味というのは見いだせないんです。あの人のために頑張ったのに、親のために、子供のために、好きな人のために尽くしたのに何この結果って思うことありますよね。人の為と書いて、『偽』りと読みます。もちろん、誰かの為に頑張るんですが、仏教では、“もしも裏切られたときにあなたはどう生きるんですか”、という問いをくださるんですね。

そこで生きる意味とは、味わう心だと思ってください。何事も味わうということです。それを教えてくれたのが、蓮如上人という僧侶です。蓮如上人は『御一代記聞書』の中に次の言葉を残しておられます。“かむとしるとも、のむとしらすな”。「かむ」と、「のむ」ということを教えてくれます。私たちは食事を口の中に入れるとまずかみますよね。そして、やがてそれを味わいながら飲んでいくんです。が、つらいことがあったとき、誰かに裏切られたときには、「ああもう、腹立つ」っていきなり、のみ込んでしまう。これを“うのみ”といいます。そのことの意味が分からずに、ただのみ込んで忘れてしまえ、はあまりにももったいないことですよね。

まずは、どんなことも、うれしいことも、悲しいことも、味わってくださいと教えてくれます。すると、自分の人生を振り返りながら、「ああ、これはこういうことだったのかな」、「あれは、こういうことだったのかな」ということをじっくりと人生を深めることができるんです。

食事もそうですよね。食事というのはただ砂糖が入った甘いだけだと何か物足りないですよね。そこにこしょうが入ったり、からしが入ったり、お塩が入ったり、酢が入ったり、いろんな調味料が合わさってこそ食事も深い味わいになるんですよね。ですから、皆さん、これからうれしいこともあるけど、悲しいこともこれからあります。すると、これが何かに変わるかもしれない。そんな気持ちで人生を味わってみてください。

【浄土宗 長谷雄蓮華さんの説法】

生きてることってつらいですよね。でも仕方がないんですよ。今、生きてるから。お釈迦様も4つの苦しみがあると言いました。生きていること、そして年老うこと、病に遭うこと、いつか死ぬこと。生きるってつらいんです。

生きるって漢字、皆さん知ってますか。横に3本、線があります。あの3本の線はなんだか知ってますか。春、3月3日、皆さん食べるお菓子がありますよね。ひし餅。あの色、覚えてますか。白、桃色、そして緑。これは、雪の色、新芽の色、花の色なんです。そして、斜めにある棒は春の明るい光、真ん中にあるあの1本の棒は、その太陽の光に当たって新芽が張る姿なんです。

私たち生きてます。そして生かされてます。1人で生まれてきて、死ぬのは1人なんです。この体には終わりがあるかもしれない。でも命も思いもその人が頑張ってきたことも終わることはないです。だからどう生きるか。精いっぱい生きていただきたい。精いっぱい生きる。

今を精いっぱい生きる。これが生かされてる私たちのこの目的なんです。そして精いっぱい供養してください。『供養』って何か。この体が終わったときに必ず大切な人とまた会えます。もう1回会ったときにどんな顔で会いたいか、どんなお土産持っていきたいか、どんなことしゃべりたいか。そのために生きる、皆さんの生き様、付ける足跡が供養なんです。

だから目的なんてどうでもいいんです。必ず皆さんの足元、その生きる意味はあります。生かされてるんです。死ぬまで、必ず死ぬんだから、そのときに、ああ、良かったなって思えるように、精いっぱい、精いっぱい、地に足を付けて、足跡たくさん付けて、精いっぱい生きましょう。