テーマ① イライラ ~番組でご紹介した説法~

NHK
2022年5月25日 午前3:00 公開

お坊さんの説法には生きる知恵がたくさんつまっている。

ここでは、『他人の些細なことに対して、ついイライラして平常心を保てなくなる』・・・

そんなときに聞くと心がスッキリするような4人の説法をご紹介します。

【臨済宗 桂紹寿さんの説法】

皆さん、よくご存じの言葉に『四苦八苦』という言葉があるかと思うんですが、人間は苦しみながら生きていかないといけないんですよね。じゃあこの苦しみのもとはなんやと言われると、自分の思い通りにならないこと、これが苦しみなんです。

実は大事なことほど自分の思い通りにはならないんですよ。年取りたくないでしょ。でも年取るんですよ。病気になりたくない、病気になるんです。死にたくない、100%の確率で皆さん死ぬんですよ。自分の思い通りにならん世界に生きてるくせに、それを無理くりにでも自分の思いどおりにしてやろうとするから、苦しみって実はどんどん大きくなっていってしまうんですね。

そもそも私ら人間が生きてるこの世界というのは、自分の思いどおりにならん世界なんやでっていう、そこから実はスタートしていかなあかんのですわ。じゃあどうすりゃええんやって言われると、あるがまま、そのままを受け入れていけばええんです。自分にとって都合がいいとか悪いとか、そういう分別をいったん全部捨ててしまうことなんですよ。

100人おったら100個の価値観とか正義があるのが当たり前なんです。みんな違っていて当然なんです。違っていて当たり前やのに、それを自分の価値観が正しいと妄想してしまって、自分以外の人にまでその自分の価値観を押し付けるからイライラってしてくるんですよね。

違いを受け入れる、その柔らかな心というものをお持ちいただくことが大事なんだと思います。これを仏教の言葉で『柔軟心』というんですけれども、そもそも自分がいるこの場所というものは思い通りにならない世界なんやでというところを忘れないことだと思うんです。ただ、それってなかなか難しいことですから、それが簡単にできひんというのやったら、怒るのもいいし、悲しむのもいいし、喜ぶのもいいと思う。ただ、その一瞬だけにしておくことです。あとはもうね、すぐ忘れたらええんですよ。

【融通念仏宗 関本和弘さんの説法】

誰でも自分の中に物差しがあるんですね。例えば、センチを測る物差しでインチを測るとすごく不便です。センチで育った人間とインチで育った人間が意思疎通を図るためには、お互いの歩み寄りが必要になってきます。

そもそもイライラするには相手が必要です。中国の戦国時代の思想家、荘子の書いた逸話で、舟で川を渡ろうとしているとき、人が乗っていない空の舟が来て自分の舟にぶつかったとします。このとき、舟に乗っていたあなたは怒るでしょうか。おそらく腹を立てないでしょう。ところがその舟に船頭さんが乗ってて、こっちに近づいてきたら、注意もしますし、果ては怒鳴り声を上げたりするかもしれません。同じく舟がぶつかっても、人がいるといないとではこんなに違いがあるのはなぜなのでしょうか。そもそも、イライラするためにはやっぱり相手が必要だということなのです。

そのとき、自分の心の中には相手を自分の思い通りにしたいという欲が湧いています。思い通りにならないときにイライラがたまってくるのです。そもそも他人は自分の思い通りにならないものなのです。私がここでいくら念じてみても、これを聞いていらっしゃる皆さまの腕を動かしたり、あるいは口を動かしたりできないように、自分の体しか自分では動かせないのです。まして、相手の考え方を変えるのは至難の業です。それに比べて、自分の考え方を柔らかく変えることのほうがはるかに簡単です。他人のささいなことにイライラしたら、一度立ち止まってゆっくりと深呼吸をしてみましょう。

【浄土真宗 川村妙慶さんの説法】

何かあの人、私と違う、イラっとくるっていうことは誰でもあるでしょう。なぜイラっとくるんでしょうね。それは私たちの心には自我の心というのがあります。自我の「我」というのは右の字を見てください。「戈(ほこ)」という字です。普段の私たちは丸いお念珠のように、まん丸い気持ちがあるんです。しかし、「我が出る」、「イラッ」とくるのは、トゲトゲした念珠のように、気持ちがとんがった状態になっているんです。体からぴりぴりぴりっと戦う心が出ているということです。私が今、念珠をしているのは、私にも自我の心があるので、イラッときたときには、“あ、今、矛が出た、矛が出た”ということを、このお念珠で確認しているんですね。誰でもそんな気持ちはあります。

そのときに皆さん、もう1つ想像してください。私たちの心の中には、かんしゃく玉という玉があるんです。イラっときたときにはその玉をぱーんと投げたくなります。しかし仏様はかんしゃく玉の「く」の字を1回飲みましょう。つまり、「く」は「くすり」になりますよと。怒りが出たときは、私たちの体には毒素がたまってるんです。そんなとき、ろくな行動はしません、ろくな考えも浮かばないです。そのときには薬だと思って飲み込むんです。するとその薬を取ったあとの言葉が「かんしゃ(感謝)」になります。それが分かったときに、私たちは感謝の心が生まれ、そして人に対しても笑顔でお話しすることができるんです。

浄土真宗を開いた親鸞聖人は、“お念仏だけで救われる。”これはとても誤解を生むということで、当時、国のお叱りを受けて、新潟の地に流罪にあったんです。普通だったら私を島流しにしたものを許せんとなるところを、親鸞聖人は「哀れみなさい」っておっしゃいました。向かっていくんじゃない、その人にも事情があったんだ、社会の情勢があったんだ、あとは残念だな、と思えばいいんです。残念とは念を残すということです。戦う必要はありません、むっときたときには、今、自我の心が出たぞ、出たぞと、この心を確認しながら、最後は哀れみながら、いつか分かってもらうときが来るよなという気持ちでどうか生きてください。

【浄土真宗 武田正文さんの説法】

まずはイライラする心を整理してみましょう。おそらくそのイライラの中には相手に対する怒りだけではなくて、自分自身に対する思いも複雑に絡み合ってるのではないでしょうか。イライラしなくてもいいのにイライラしてしまう自分に対する嫌悪感あるんじゃないかなと思います。

仏教では怒りは『三毒』の1つ、『毒』と考えられています。怒りを抱くこと、イライラすることというのは、自分自身の心や体に悪影響があるわけです。怒りというのは抱かなくてもいいとは分かっていても抱いてしまうものです。

阿弥陀様の救いの働きを、宗祖、親鸞聖人は、さまざまな形でお説きになっています。『歎異抄』というお書物の一節に“善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや”。「善人が往生できるのであれば、悪人はなおのこと往生できるんですよ」というお言葉になります。少し変わった表現になってますね。私たちは怒りを抱かずに優しくいれる善人こそが救われるんじゃないかと思いがちなんですが、阿弥陀様はそうではないと。怒りを抱きながら、苦しみながら生きている人こそ、心配して真っ先に救ってあげましょうとおっしゃっているんだということでございます。

怒りというのは毒でございます。怒りという毒は私たちは飲まないほうがいい、飲まなくてもいいというのは頭では分かっている。にもかかわらず、この毒、怒りを心の中に抱えてしまいやすいんです。阿弥陀様は、「なるべく怒らないほうがいい」、「なるべくイライラしないほうがいい」、そうおっしゃいながら、怒りながらもイライラしながらも一生懸命生きている私たちを優しく見守っておられます。そのことを受け止めていただきましたら、自分に対する嫌悪感を少し横に置くことができ、複雑に絡み合ったイライラする気持ち、もう少しシンプルに捉えられるようになるかもしれません。