“AYA世代”のがん~人とのつながりを支えに 吉岡紀子さん

NHK佐賀放送局 アナウンサー 池野健
2023年4月14日 午後5:28 公開

みなさんは『AYA世代』ということばをご存知でしょうか?
15歳から39歳までの男女を指し、『思春期』と『若年成人』を意味する英語(Adolescent and Young Adult)の頭文字からこう呼ばれています。AYA世代のがん患者は全国におよそ2万人いるとされていますが、ほかの年代に比べて患者数が少なく、相談できる機関は限られています。

こうしたなか、SNSなどを通じて、患者や家族の支援を行っている女性がいます。神埼市在住で、自らも30代でがんと闘病した、『がんサバイバー』の吉岡紀子(よしおか・のりこ)さんです。池野アナウンサーが伺いました。

池野)「私が一番伝えたい事。you are not alone 一人じゃない!!」AYA世代で患者数が極めて少ない、いわゆる希少がんを患った女性が、自らの体験をもとにSNSで発信している言葉です。この言葉を発信しているのが、こちら吉岡紀子さんです。

池野)吉岡さんは、腫瘍の摘出手術を経て、SNS上で患者や家族が交流できるサロンを運営されています。闘病記の公開や専門医の紹介などさまざまな支援を行うなどしています。

池野)吉岡さんは1981年生まれ。大学生の娘と、この春高校を卒業し社会人になった息子をもつ2児の母です。37歳で、褐色細胞腫という希少がんが見つかりました。これは、腎臓の上にある副腎にできる腫瘍で、診察できる医師も限られています。

【決してひとりじゃない SNSでつながる“AYA世代”】

池野)吉岡さん、こういったSNS上で発信をしていこうと思ったきっかけはどんなものだったんでしょうか?

吉岡さん)自分の病気が希少がんで情報が極端に少ない病気だったので、自分の体験がほかの患者さんの助けになるように。理解してもらえないことのつらさを知っているのでそういうことを発信しています。

池野)そうした、AYA世代の患者の特徴についてです。就学や就労、結婚や出産など、人生を方向づけるライフイベントが集中する時期なんですね。こうしたなか、がんと診断されることで精神的なショックを受け、社会的困難や孤独感も伴うといいます。例えば大学を卒業して就職という年にがんの症状が現れて希望の就職ができないという人もいます。そういった方々に、吉岡さんどんな言葉をかけているんでしょうか?

吉岡さん)この病気にたどりつくまでにとても苦労された方が多くいらっしゃると思いますので、「今までよく頑張りましたね」ということばと「あなたは決してひとりじゃないですよ」という言葉をかけてます。

池野)決して、心閉ざさないでほしいということですね。SNSで吉岡さんとつながっている方の中にはこういった方もいらっしゃいます。

池野)真ん中の男性ですが、この方も困難と向き合いながら、生きることの意味を言葉に記していらっしゃいます。『いまを楽しみ、いまを全力で』などと書かれていますが、実は10代で褐色細胞腫と診断され、ほかのがんも見つかるなか、25年以上も病気と向き合ってます。どういった男性なんでしょうか?

吉岡さん)最初にこの方の病状を知らずSNSでつながったとき、とてもアクティブな方だなと思いました。バイクにも乗られるし、こうやってキャンプもされる。でも治療の話をされたときに、そのギャップにとても驚きました。詳しくお話を聞いていったら、この方の心の底の信念が前向きにさせてるんだと思って。『いま』という言葉を使っていますが、いまを生きるっていうことの本当の意味を知っている方だと感じました

【30代で見つかったがん 闘病と子育てを経て】

池野)ここからは吉岡さんご自身の体験についても伺っていきます。褐色細胞腫という病名が判明するまで、実に3年の月日がかかったそうです。その間の症状はどんなものだったんでしょうか?

吉岡さん)この病気は、一瞬にして血圧が200越えすることも多くあります。とても激しい頭痛や、とても激しい動悸手が震えたり目も見えなくなったり。激しい動悸のときは吐き気を伴いますので、トイレに駆け込んで、苦しみが終わったあとにとても苦しくて、「助けて」っていうふうに泣いてました。

池野)そういった月日を経て、褐色細胞腫というがんを告知されたときの率直な思いはどんなものだったんですか?

吉岡さん)自分がこの病名にたどりつくまでとても苦労したので、この先どうなるかということよりも「治療できる」って、原因がわかったということの方がとてもうれしくて涙が止まりませんでした

池野)病名をようやく知ることができたといううれしさがこみあげたんですね。

吉岡さん)そうですね。

池野)当時、吉岡さんはAYA世代の真っただ中で、最初にやって来たのが娘の高校受験。そのころの写真がありますが、どんな苦労があったんでしょうか?

吉岡さん)受験当日の日、娘を志望校に送ったあとにとても激しい頭痛が起きました。帰ろう帰ろうと思ってたんですけれども、コンビニから動けなくなって受験の最中はそこで過ごしました。そのあとお迎えに行くんですけども、心配をかけまいと笑顔でごまかしたことがありました。

池野)受験の送り迎えすら命懸けだったと・・・ただそのあと吉岡さんは、ご自身の病気のことを子どもたちにも打ち明けたそうですね?

吉岡さん)手術のリスクや治療のリスクもありますので。また、遺伝のことも含めて伝えました(注:発症した原因の30~40%が遺伝によるもの、という研究報告がある)。自分が苦労したので、もしこの病気と分かったら、すぐ診断がつくようにすべてを伝えました。子どもたちは、自分のことのようにちゃんと受け止めてくれました。

池野)吉岡さんにとって、闘病と子育てという2つの高い壁に直面するなか、家族の存在は本当に大きな支えになったそうです。一番症状が苦しかった、息子が小学6年生の時に書いてくれた作文があるんです。

池野)『お母さんありがとう』というタイトルの作文です。「これからは、お母さんがつかれているときは、ぼくががんばって手つだうから」ということばが書かれています。吉岡さんにとって家族の存在はどんなものだったんでしょうか?

吉岡さん)この作文にあるとおり、子どもたちもすごく心配してくれましたし、入院中は同居の家族も食事面でのサポートをしてくれたり、実家の母もお見舞いに来てくれたりしました。一番は、夫が、自分もとても不安だったと思うんですけれども、その不安に全部ふたをしてくれて、私の前では「絶対大丈夫だよ」っていうことを言ってくれました

【自分の体のことは、自分にしか分からない。だから…】

池野)SNSにあるとおり、本当に一人じゃないっていうものだったんですね。最後に、AYA世代の患者の方に向けて、吉岡さんからのメッセージは?

吉岡さん)AYA世代の闘病って、人生の中で困難なことだと思うんです。毎日目まぐるしく子育てや人のために尽くす方がとても多いと思うんですが、自分の体の中のことは自分でしかわからないので、『伝える』ということを諦めないでほしいと思います。一方で医療機関の方にも、患者が伝えられない、『余白』の部分を汲み取って、診察してほしい。決して、「若いから病気にならない、珍しいからこの病気じゃないだろう」と思わずに、固定観念を捨てて診察していただきたいと思います。

【取材後記】

同年代の吉岡さんへのインタビュー。「もし自分が同じ立場になったら」という思いに駆られ、聞き手という立場を忘れてしまうような瞬間がありました。吉岡さんは、「周りに言い出せないだけで、重たい病気と闘っている若い人たちは周りにたくさんいる」と話します。実際、私の周りにも、若くして病気と闘っている友人や知人がいます。

闘病という困難と向き合わなくてはならなくなった一方で、いままで気付かなかった身近なものごとの価値や意味に改めて気づかされることが、AYA世代の共通点なのかなとも思います。

いま悩み、支援を必要としている多くの方に、吉岡さんのことばが届いてほしいと思います。(アナウンサー・池野健)