柔道男子73キロ級で活躍する、18歳の田中龍雅(たなか・りゅうが)選手。
佐賀商業2年で全国優勝。3年生では、20歳以下の選手が出場する世界ジュニア選手権で金メダルを獲得。同じ世代の世界トップにまで上りつめました。
自慢の投げを極めることができたのは、同じ柔道選手として切磋琢磨している弟や兄の存在がありました。
【代名詞は‟背負い投げ”】
田中選手の代名詞は、豪快な背負い投げ。スピードを生かして懐に入り込み、投げます。
(田中龍雅選手)
「一本とったときが気持ちよくて、それがあるからこそ柔道は楽しいと思っています」
(佐賀商業・井上安弘監督)
「背負い投げで同年代の選手を多く見ていますが、田中選手以上に上手い選手はいないです」
【転機となった苦い敗戦】
佐賀商業で過ごした3年間で、田中選手が大きく成長するきっかけとなったのが、高校日本一をあと一歩で逃した悔しい試合でした。
2021年3月の『全国高校柔道選手権』。田中選手は1年生ながら決勝に勝ち進みました。
しかし、決勝では相手に袖を持たれるなどして、得意の背負い投げを封じられました。
「次こそは、自分が頂点に立つ」と雪辱を誓った田中選手は、志を同じくする兄弟の絆に支えられ、力をつけていきました。
【成長を支えた‟兄弟の絆”】
4歳で柔道を始めた田中選手。三兄弟で切磋琢磨しながら、さまざまな大会で活躍してきました。
田中兄弟の自宅には、10畳ほどの練習場があります。3年前、両親が息子たちのためにとつくりました。
ここで、毎日のようにトレーニングの相手をつとめてくれたのは、中学3年生の弟、龍希(りゅうき)選手。
さらに、スマホの画面に映るのは、兄の龍馬(りょうま)選手。ビデオ通話でアドバイスをしてくれます。
背負い投げのトレーニングを、自らも得意技とする兄に見てもらっています。
(兄・田中龍馬選手)「一歩踏み込んで崩す、はじく」
龍馬選手は、数々のオリンピアンを輩出した筑波大学で、最新のスポーツ理論を学んでいます。攻撃のバリエーションを増やすため、兄からは、相手の腕をはじいて背負い投げに入るように教わりました。
自分の右腕をひねり上げることによって、襟をつかんでくる相手の腕を外します。そして一気に投げていきます。
(兄・田中龍馬選手)
「大学に行って、自分が学んだ知識を、弟たちが技術として習得できれば、今後の強みになると思いました」
(田中龍雅選手)
「この環境を与えてくれたことに感謝しています。結果で恩返ししようと練習してきました」
そして迎えた、1年後の高校柔道選手権。この大会で頂点に立てるラストチャンス。田中選手は、決勝の畳に再び立ちました。
一進一退の攻防が続くなか、試合は延長戦へ・・・迎えた、延長2分過ぎでした。
練習してきた背負い投げが見事に決まり、一本勝ちで優勝。
相手の腕をはじいて担ぐ。兄から受けた指導が、大切な場面で実を結びました。
(田中龍雅選手)
「うれしいという気持ちが一番大きかった。やっとスタートラインに立った、恩返しできたという気持ちがありました」
課題を乗り越え、高校チャンピオンとなった田中選手。その後、去年8月にエクアドルで開かれた世界ジュニア選手権では、5試合中4試合で一本勝ちをおさめ、金メダルを獲得しました。
春からは親元を離れ、兄と同じ筑波大学に進学します。
世界で輝くため、『投げて勝つ』理想の柔道を追い求めます。
(田中龍雅選手)
「どういう形でも、どんなときでも投げられる技をつくっていきたい。目標は、2028年のロサンゼルスオリンピックで、兄弟そろって優勝することです。」
【取材後記】
田中選手が優勝した、去年の全国高校柔道選手権。私も中継スタッフのひとりとして、決勝の試合を会場で見ていました。優勝インタビューで田中選手が口にしていた、兄への感謝の言葉がずっと頭の片隅に残り、今回の取材をお願いすることになりました。
田中選手に聞くと、影響を受けた柔道家も、尊敬している柔道家も、目標とする柔道家も、すべて兄の龍馬選手だそうです。
その、兄・龍馬選手も柔道界では注目の存在。シニアの国際大会などで優勝経験があり、同じ階級(66キロ級)の阿部一二三選手らを追い上げ、オリンピック出場も狙える位置にいます。
三兄弟でオリンピック出場というのは1996年のアトランタ大会の中村三兄弟の例がありますが、それぞれ別の階級でトップになれば、田中三兄弟がそろって出場というのも夢ではありません。
佐賀から世界の頂点を目指す姿を、今後も応援していきたいと思います。
(アナウンサー・池野 健)