料理が好きな野本さんと食べることが好きな春日さんというふたりの女性の恋愛と日常を描いた『作りたい女と食べたい女』が、このたび「夜ドラ」でドラマ化され、11月29日(火)から放送されている。今回は「制作の舞台裏トーク」と題して、ドラマとして広く放送される意義、フィクションにおける女性の描かれ方、安心できる撮影現場の環境づくり、「レズビアン」という言葉を使うこと、物語と現実の社会はどう繋がっていけるのかなどについて、それぞれがこの作品に込めた思いを語ってもらった。
〇座談会参加者(聞き手:児玉美月)
ゆざきさかおみ(原作)
原作担当編集K
山田由梨【やまだ・ゆり】(脚本)
合田文【ごうだ・あや】(ジェンダー・セクシュアリティ考証)
坂部康二【さかべ・こうじ】(制作総括)
大塚安希【おおつか・あき】(制作統括)
坂部 まずは、原作者であるゆざきさんが『つくたべ』(『作りたい女と食べたい女』略称)の実写化の話を聞いたときにどう思われたかをうかがえますか?
ゆざき 実は以前から映像化に関しては、いくつかお声がけをいただいていました。そのなかには「同性愛を強調しない形で映像化したい」という企画書もあったのですが、ガールズラブであることとフェミニズムの要素は外せないので、お話は見送っていました。その後にNHKから真摯な企画書をいただいたので嬉しかったです。決め手となったのは、レズビアンの女性がNHKで描かれることが自分のなかで大きいと感じたからです。
坂部 NHKは公共放送であり、これまでも深夜ドラマの枠ではAロマンティック*1/Aセクシュアル*2やゲイ、あるいはコミュニケーション障害をもつ人といったマイノリティなど、いわゆる「多様性」といわれるテーマを積極的に描いてきたと思います。今回は、放送局として「多様性」について考えるきっかけを提示するということに加えて、ゆざきさんの漫画を読んで、これは見る人をエンパワーメントするものだと、僕自身が、一制作者として映像化したいと思った方が強かったかもしれないですね。
合田 『つくたべ』の放送後、SNSではご家族でご覧になったという投稿も見かけて、嬉しくなりました。野本さんが自分のために好きでしている料理を、男性のためにつくっていると回収されるのがつらいというシーンに対して「たしかに、これはやだよな」ということをつぶやいていた男性の知り合いがいて、その方もお子さんと見ているそうなんです。自分のお父さんがそうした考えを持っていると知ることで、もしお子さんが同じような悩みやモヤモヤを持ったときにお家の方に話しやすい環境になるのかもしれないと思いました。家庭内に心理的安全性が生まれるような会話のきっかけにもなりえると思うと、こうして大きな局でドラマを放送するのは大変意義のあることだなと感じました。
山田 私は春日さんのような体型の女性がドラマで映されることが、意義深いと思っています。小さな子供たちも見るかもしれないメディアで、春日さんのような女性とそれを演じる女優さんが画面に映り、そこにいると示すことがいかに重要かと。脚本家として企画書をいただいたとき、もともと原作ファンだったのでキャスティングはしっかり考えなければいけないと思ったんです。私もキャスティングの話し合いやオーディションに参加させていただきましたが、NHKのドラマでかつ主演の枠で探しても、春日さんを演じられる人が芸能界になかなかいないことが、いかに“闇”かと感じました。社会が女性はスリムで小柄な人が良いという固定観念を押し付けているために、女優さんの体型にバリエーションが乏しい現状がある。だから女性はさまざまであるという現実世界を、メディアで表したかったんです。このドラマを通して、演じる側の多様性も豊かになっていくかもしれませんよね。
合田 とくに昔からのアニメなどには、キャラクターが何人かいる中で「紅一点」という存在が描かれてきました。たとえば、『ルパン三世』の不二子ちゃんのような存在ですね。男性のキャラクターにはバリエーションがありますが、紅一点として描かれるキャラクターは「女性枠」という感じがありますよね。こうした「女性枠」には多様な女性がいないことが春日さんのキャスティングをする上で浮き彫りになったわけですが、今回山田さん含め、本当にみなさん演じられる人を必死になって探していましたよね。
山田 ラッパーのお友達のライブに大塚さんと行ったんですが、その時にキーボードをされていたのが、今回演じられた西野恵未さんだったんです。ふたりで「あの人、春日さんじゃない……?」って(笑)
坂部 西野さんは演技未経験だったため演技のトレーニングを受けて、体づくりのためにジムに通ったり、食事もコントロールしていました。ゆざきさんから無茶な体づくりはさせないでくださいと言われていたこともあり、そこは気をつけました。
大塚 キャスティングしたときにそのままでいいというお話は西野さんにしたんですが、原作をお読みになって、できることはしたいと言っていただきました。そこで、トレーナーさんにもついていただき健康的な体づくりに臨みました。ジムでのトレーニングで筋肉も増えたことで、春日さんらしさが増したのかと思います。
ゆざき 放送を見て、「春日さんがいる!」と思いました。
坂部 野本さんのキャスティングに関しては、春日さんよりも選択肢が多くありえたと思いますが、比嘉愛未さんは持ち前の繊細さで機微を表現してくださいました。とくに印象的だったのは、声のトーンですね。リアルな30代女性を演じるにあたって、監督と微調整をしながら低めを意識していただいていました。等身大の女性像と、ドラマのキャラクターとして成立させるバランスがプロフェッショナルでした。
山田 日本人女性は世界的にも声が高いと言われていて、それは社会的に作られた部分も大きいと思うんですよね。女性同士のセーフティを感じられる関係を描く上で、声のトーンは作品の印象にも影響を与えますし、野本さんも春日さんも声が低めであることは重要だと思いました。
合田 撮影前にジェンダー講習を2時間ほど行ったんですが、比嘉さんは休憩時間にも個人的に質問に来てくださり、自分ごととして理解しようとする姿勢が誠実な方だと思いました。講習内容は「LGBTQ+」*3や「SOGIE」*4といったワードからはじめ、性のあり方が概念としてはグラデーションになっていることを伝えました。一言で「LGBTQ+」と言っても、それぞれ違います。たとえばレズビアンであるがゆえに受けやすい差別や偏見がありますよね。男性のためのポルノにされてしまいやすいとか、男女間で賃金格差があるので女性同士はより経済的に厳しい状況に置かれてしまうとか……。ドラマの特性上、LGBTQ+、フェミニズム、レズビアンに関してはとくに手厚くお話をさせていただきました。具体的には原作の『つくたべ』の漫画の一場面を切り取って、登場人物がここでこんな台詞を言ったのは、どういう無意識の偏見があるからだろう?社会としてどんな圧力があるからだろう?などを、皆さんに考えてもらいました。
坂部 考証に関してですが、トランスジェンダー女性を描いた『女子的生活』でもAセクシュアルとAロマンティックを描いた『恋せぬふたり』でも、指導や監修に入っていただいていますし、今回も入れないという選択肢はありませんでした。誰に入っていただくべきか考えていたところ、脚本の山田さんから合田さんをご紹介いただいたんですよね。
山田 これまでにも脚本を書いたドラマのなかでは、セクシュアルマイノリティの登場人物がメインで出ていますが、私の知識が不十分なことで間違った発信をしてはいけないので、毎回プロデューサーに掛け合って合田さんに入ってもらっていたんです。『つくたべ』は大塚さんも坂部さんも人権意識が高く、安心して脚本執筆に専念できる環境にあったんですが、そうではない現場もありますし、つねに何人かの目で作品を守れるようにしたいという思いがあります。
合田 もう一人の考証を担当された中村香住先生は私から紹介させていただきました。お互いに言いにくい現場だと間違った方向に行ってしまって、歯止めがきかないまま世に出てしまったりすることもありえますし、信頼できる人の繋がりでチームを組めたのは良かったです。
原作担当編集K(以下、編集K) 映像化を持ちかけてくださったところでは、内部の目だけで完結させようというスタンスのご提案もありました。今回のドラマの制作チームの皆さんに、気を付けているはずでも間違えるかもしれないという認識をきちんと持っていただいていたのは、ありがたかったですね。
合田 講習の日に坂部さんが、「ジェンダーやセクシュアリティについての題材を扱う上でこのチーム内もまずハラスメントや嫌なことが起きないようにしたい」と最初にお話しされたのが印象的でした。「この場所はセーフスペースであるべきだからみんなでこういう講習を受けたいし、何か困ったらそれぞれが言いやすい人に相談してくれたら、それは全力で解決します」と。こういう作品を扱うからこそチームでも雰囲気を統一していこうというお話をされていて、そんな現場が増えていってほしいと思いました。
坂部 ハラスメントを防止するには、心構えだけで解決できない部分があると思うので、結局そこを対処するのがプロデューサーとしての責任になってきます。ジェンダーバランスに関しても、僕は男性なので、もう一人のプロデューサーは女性でなければいけないと感じました。あとは脚本も女性に書いていただきたかったし、監督も二人いますが、メインの監督は女性になりました。
大塚 撮影現場は出産や子育てとの両立はいまも難しいのが事実です。そのため、女性スタッフは、どうしてもキャリアを積んで年齢が高くなるにつれて現場から離れていく人が多い。その結果、チーフクラスというか、決定権を持つ人は男性になりがちではあります。なので、上の人間のジェンダー比はかなり考えました。
山田 脚本で描いている題材的にもそうだし、まさにそれを描く仕事場自体がヘルシーであることはよかったです。脚本会議があったときも、「今日は生理で調子が悪いのでリモートでもいいですか」など、言い出しやすかったです。作品でそういうことを書いているというのもあり、安心感を持って仕事に取り組めましたね。
ゆざき ドラマでも漫画で描いた生理の話は山田さんにさらに知識を加えていただいて、より詳しくなっていましたね。
山田 女性同士だからこそお互いにつらさを深く理解して寄り添い合えるし、こまやかなケアができる生理のエピソードは、シスターフッドがテーマなので丁寧に描きたかったです。まだまだ公に口にできない風潮があるなかで、ドラマで生理や性の悩みを普通のトーンで話すことが重要でした。
坂部 ドラマのなかでそういった生理の話やジェンダーギャップの話がごく当たり前に出るのは、意義があったのではないかと思います。
合田 私が編集長を務めるジェンダーやセクシュアリティに関するメディアには、たとえばセクシュアリティを自認するまでの流れや、具体的な実体験のエピソードがたくさん集まってくるので、野本さんがセクシュアリティを自認するシーンでは、会社員として働き、一人暮らしの等身大の30代の女性として自然かどうかとかなど、かなり細かいところまで考証しました。
坂部 たとえば女性同性同士の恋愛に対して「女子校だったからわかります」と言うとマイクロアグレッション*5なのではないか、とか。
合田 「女子校だからわかる」という発言はちょっと難しくて、10代のころ女性ばかりの環境で女性とお付き合いするということと、性別を問わず色んな人がいる大学や社会などで女性とお付き合いすることを選択するのは、まったく状況が違うと思います。このキャラクターをきちんとアライ*6として描こうと思うなら、女子校よりも大学や社会人になってから同性とお付き合いしている方を知っている、という発言にしたほうがいいかもしれないと提案しましたね。細かいのですが。
坂部 僕自身のメディアでの発言を確認していただいたこともあって、「当事者を傷つけたり不快にしたりしたくない」といった言い回しに対して、考証チームがそれは差別を当事者の“感じ方”に矮小化するいわゆる「ご不快構文」になると指摘してくださって、なるほどと思いました。「ドラマが発するメッセージに差別や偏見が含まれないようにしたい」など、別の言い方をした方がたしかにいいなと気づいたり、本当に日々学びです。
――メディアにおける発信の仕方もチーム内でかなりお話し合いをされたかと思いますが、「レズビアン」という言葉の使用についてはどうお考えですか?
坂部 「同性愛を描くドラマである」と、きちんと打ち出す方針はゆざきさんとも話していたので、それで十分に伝わるのではないかと思い、最初の情報解禁では「レズビアン」という言葉を使いませんでした。この物語はレズビアンのアイデンティティや名前を、野本さん自身が獲得していく過程があるので、ネタバレという点でもそこを初手からうたってしまっていいのかも悩みどころでした。また、BL(ボーイズラブ)ドラマは多様な作品が作られつつありますが、耳目を集めるためにこの人とこの人が同性愛を演じるんですよ、とセンセーショナルに利用されてしまうことがあります。『つくたべ』でも出し方によっては、比嘉さんがレズビアンを演じることを、たとえばネットニュースの見出しにされたり、そこのみを切り取られてしまうことは避けたかったんです。ただ、同性愛者のなかでもレズビアンはとくに不可視化されていますし、固有に直面している現状があります。にもかかわらずその言葉を使わなければ、またなんらかの弊害を生み出しかねない可能性があるのだと、第一報後に意識が至りました。
合田 そうですね。作品を追っていけば「レズビアン」という言葉は出てきますが、その言葉をきちんと取り戻すために使っていくことが大切であることは、私も改めて感じました。
編集K 情報解禁時のリリースはさまざまな媒体に対して一斉に出されるので、特定のワードだけが恣意的に抜き取られてしまったり、偏見に満ちた言い回しで取り扱われてしまったりする懸念もあるかもしれません。マスに向けて発信すると、こちら側がその言葉をこの意味で使いたいという意図と、世間がその言葉に持っているイメージの間でギャップが生じます。言葉を可視化して本来の意味を取り戻していくポジティブな面と、その言葉の歪められた意味が再生産される危険性は、発信する規模や社会全体の認識によっても変わってきますよね。
山田 「レズビアン」は原作でも出てくる言葉ですし、脚本でも当たり前に書こうと思っていました。野本さんはもともとレズビアンのアイデンティティや恋愛するセクシュアリティを自認している登場人物ではありません。後半ではとくに気づきの過程が大切な要素だと思っているので、そこは丁寧に書きたかったんですよね。
ゆざき 先ほど坂部さんからBLの話がありましたが、GL(ガールズラブ)やBLでは、キャラクターのセクシュアリティを曖昧にしたり、レズビアンやゲイといった言葉をあえて使わなかったりすることがあります。でも『つくたべ』では百合でありガールズラブでありレズビアンの作品であると明言していきたいと思い、私自身のSNSでも漫画のなかでもはっきりと言葉にしています。とりわけ女性同士の恋愛を「レズビアン」という言葉を使って描くことは、意識していました。
山田 「レズビアン」という言葉に対して世間が貼ってきてしまったレッテルも、たとえばその言葉をインターネットで検索すると性的なコンテンツが出てきてしまうような社会的イメージもあるなかで、積極的に使っていくことによって言葉のイメージを取り戻していくことも必要だと思いますし、一方でその言葉を使ったときに先行する世間のイメージに引っ張られたくない葛藤もあるので難しいですよね。
ゆざき 漫画では「レズビアン」という言葉を実際に野本さんの台詞として書くかについては、悩んだところです。私としては最初から野本さんにレズビアンなんだということを口に出して宣言させたかったんですが、周囲に相談していくうちに、野本さんはもともとセクシュアリティについて知識があったわけではなく、だんだん理解が追いついていく人なので、いきなり言葉を獲得するのは難しいのではないかと指摘をいただいて、たしかにと思いました。
山田 野本さんのセクシュアリティに関しては、脚本を書くにあたって、ゆざきさんにも緻密にヒアリングさせていただいたんですよね。レズビアンはレズビアンでも、デミロマンティック*7やAセクシュアルなどの傾向があるのかによっても違ってきますし、セクシュアリティにはグラデーションがあります。野本さんは自分がどこなのかを探していて、複数の意味での自認があったのではないかと思うんです。
ゆざき 私は野本さんが春日さんを好きになったのは女性であり、かつ春日さんだったからだと思うんです。もし春日さんが男性だったら野本さんは恋に落ちてないし、作品のなかで春日さんが女性であることは重要だったんですよね。年を重ねて知識を獲得しながら言語化していくうちに、セクシュアリティに気づく人もいると思ったので、あえて野本さんも春日さんも30代の設定にしました。若い女性同士の恋愛はまだあるけど、上の世代となるとあまりないので、自分がそういう物語がほしかったんです。誰よりも自分が読みたい作品だから、描いているんだと思います。
編集K 漫画の16話の冒頭で性的マイノリティに関する差別や精神的にストレスを感じる場面があると注意書きを付したんですが、それはゆざきさんから提案いただきました。昔の漫画が現代に改訂される場合に差別用語が入っているという注意書きをつけるやり方は結構あるんですが、発信するエピソードのショッキングさを当事者の方に向けて注意書きを出す文化は、当時は少なかったと思います。よく、「こんな表現で注意書き入れなきゃいけないほどクレームがあったのか」というお声もいただくのですが、読者の方からのご意見を反映した結果ではなく、ゆざきさんと編集部が入れようと判断したから入れています。注意書きがあることでかえって恐ろしい表現が待ち受けていると身構えてしまう読者もいるかもしれませんが、そこで読まない選択肢ができるのもまた大事なんですよね。『つくたべ』は二人がご飯を作って食べるという癒しの物語でもありますし、意図せずつらい回を読みたくない読者のためにも、そうした注意書きは入れるようにしています。
ゆざき 私が不意打ちで驚かせるような物語が得意じゃないんですよね。こういう描写があるから苦手な人は閉じていいよ、と一拍置いてくれる作品にかつて救われたので、『つくたべ』でもそうしたいと思いました。自分のタイミングで読めて良かったと言ってくださった読者の方もいましたね。
坂部 原作がそんなふうに信頼されていたり、安心して受け止められたりしているわけですし、ドラマ化にあたって同様に注意書きを入れる選択肢も実は考えていました。漫画は主体的に読める側面がある一方で、ドラマはテレビをつけたら、それこそ不意打ちで驚かせたように受け止められる場面が映ってしまうかもしれない。ただ、じゃあドラマは何に、あるいは誰に対して入れるのかという問題に直面したんです。作品では最初からマイクロアグレッションの描写も随所にあり、これに入れるならこっちも入れなければいけないのではないかというような議論を内部でして、結果的には最後まで迷ったんですが、入れない選択肢を取りました。テレビの場合はいろんな層が見ていますし、一つの放送局として、この番組には入っているけど、この番組には入っていない、ということが起こりえてしまう。
ゆざき 個別の作品ではなく、NHKという一括りでみますもんね……。漫画だと作品ごとに扱われるので、作り手の意思が反映されやすい面はあるかもしれません。私は現実にある同性愛を創作するにあたり、一方的に消費するような態度ではいたくなくて、クリエイターの立場として現実に横たわる差別に何ができるかを担当さんに相談していました。そして最終的には公式アカウントから同性婚法制化の訴訟に対して発信したり、チャリティで活動を支援したりすることになりました。
編集K 前々からグッズ展開のご提案があった際にそのようなお話をいただいていたのですが、社内で調整をするのが難しかったため、やるならしっかりと企画をしたいと考えていました。結果的に、ドラマ化のタイミングとも重なり、多くの方に注目いただけるタイミングで今回のチャリティプロジェクトにつながりました。オリジナルチャリティグッズの売上から諸経費を除いた金額を婚姻の平等を推進する団体に寄付します。
ゆざき たとえば海外のドラマシリーズのなかには出演者の方々がゲイパレードに参加して、実際の同性愛者の支援をしていた作品もありましたし、海外では当たり前になってきているじゃないですか。日本のマンガ業界でも、セクシュアルマイノリティへのアプローチを作品内外でもしやすくなってほしいと思いました。実際、出版社内では性的マイノリティのためのチャリティプロジェクトをするなんて前例がなかったんですが、担当さんおふたりと合田さんにも尽力いただいて実現しました。
合田 チャリティにドラマに、今回考証させていただいたとはいえ、やっぱり勉強し続けなければと思いました。このプロジェクトが終わったときには、次に意識しなければいけないところや改善すべきところが必ず出てくるはずなので、そこで諦めずに積み重ねていきたいです。
坂部 ひとつの作品が全てを背負うことはできないんですよね。『つくたべ』のあとに続いていく作品も、また別の形で当事者を表象したり、違う一歩を踏み出していくことが重要なのだと思います。
――その意味で、『つくたべ』は背負わされているものがきわめて大きいように見えます。その矢面に立たされているゆざきさんのプレッシャーは、相当なものなのではないでしょうか。
編集K 本当に……と思いますが、ドラマ化で作品に関わってくれる人の輪が広がったのはよかったです。最初はゆざきさん一人だったのが、出版社として関わり二人に増えて、そして今回のドラマ化でもっと多くの方にゆざきさんが描きたいテーマを一緒に考えていただけたのは、心強かったと思います。
ゆざき 本当は「『つくたべ』はもう古い」と言われる時代が一番いいんですよね。作品として、作家として、それが一番嬉しいんじゃないかと思います。どこまで続けられるかわかりませんが、続けられる限り二人の日常を描いていければと。
合田 『つくたべ』は女性二人の出会いや恋愛だけをメインにしているのではなく、生活をしていく物語になっていくのが、私は本当に楽しみなんです。同性カップルは社会的な障壁があるからこそ、出会いや恋愛だけでなく、その先一緒に社会で生きていくというのが難しいと思っています。結ばれたその先がじっくり描かれることで、多くの人が、同性同士が「生きていくこと」について知ってくださるんじゃないでしょうか。その結果、今の社会通念も変わっていくかもしれません。
ゆざき 『つくたべ』で描かれているようなことをありがたがる今の社会のままでは、きっとだめなんですよね。社会の側が変わっていかなければいけない。だからそんな社会が変わっていくまで、春日さんと野本さんのことも、ほかのキャラクターたちのことも、これからも描いていきたいです。