膨大な“脳”のデータでもたどり着けない“心”とは?【博士の20年】岡ノ谷一夫さん

NHK
2023年3月24日 午後9:44 公開

20年の科学を振り返るうえで、「脳科学ブーム」は記憶に新しい。だがなぜ、人々は“脳”に魅了されるのか?理由は多々あれども、その一つは「“心”とは何か?」を知りたいからではないでしょうか。帝京大学の岡ノ谷一夫教授はそう語ります。

“心”の正体を探るべく、理化学研究所・脳科学総合研究センターや、東京大学・認知行動科学研究室などを渡り歩いてきた岡ノ谷さん。研究テーマも、言葉、情動、メタ認知など、多岐に渡ります。そんな彼に、「脳と心」の20年について聞いてみました。すると、衝撃の一言から始まったのです。

『この20年、“脳”からは膨大なデータを記録できるようになった。しかし、 “心”にはたどり着けなかった』

膨大なデータがとれた“脳”・・・しかし“心”にはたどり着けなかった

―この20年は、「脳と心」の研究において、どんな20年でしたか?

「膨大なデータがとれた20年」だったと思います。膨大なデータをとる研究がものすごく増え、膨大なデータをとる技術がものすごく増え、そしてその膨大なデータを解析する技術がものすごく増えました。端的にいうと、“脳”に関する「ビッグデータ」がとれるようになった20年です。

ですが、大量のデータがとれたからといって、“心”の理解がどうなったかというと、特に進んだ気はしません。ただ、大量のデータがとれただけな気がします。

―そもそも、“大量のデータがとれた”とは?

もう少し具体的にいうと、人の脳の活動を記録する技術としては、機能的MRI(※1)というものがありますが、その解像度がどんどん向上していったんです。測定に用いる磁場が強くなってきて、僕が始めた頃は1・5テスラくらいでしたが、今は7テスラになっています。これによって、より高解像度で脳の活動を記録できるようになったんです。時間的な解像度も、昔は秒単位と言われていましたが、いまは何十ミリ秒単位にまで向上していますしね。

人だけでなく、動物を使った実験でもそうです。昔は、電極を一本ずつ刺して、その電極の近くのニューロン(神経細胞)をいくつか計測するだけでしたが、カルシウムイメージング(※2)のような技術が出てきて、数100個ものニューロンの活動を、一気に計測できるようになりました。

そして、“記録”するだけでなく、“制御”する技術もずいぶん出てきましたね。人の脳でいうと、磁気で刺激することで、一時的に脳の活動を上げ、どんな変化が起きるかを研究することが可能になりました。同様に、この20年で一番印象に残っているのは、なんといってもやはり「光遺伝学(オプトジェネティクス)」(※3)です。1個のニューロン単位で、脳の活動をコントロールできるようになって、それによって行動がどう変わるかを研究できるようになったのは驚きでした。例えば、歌っていない鳥を、光で刺激するだけで歌わせることができるようになったわけですからね。すごい技術だと思いました。こうした技術もあって、脳に関する大量のデータがとれた20年だったわけです。

※1 機能的MRI(fMRI)・・・MRIの技術を応用し、脳の神経活動に伴う血流動態反応を可視化する手法。

※2 カルシウムイメージング・・・神経細胞が活動した際、一過的に細胞内のカルシウム上昇が生じる。そこで、カルシウムに感受性のある蛍光薬を多数の神経細胞に負荷することで、活動した神経細胞を蛍光観察することができる手法。

※3 光遺伝学(オプトジェネティクス)・・・光に反応するタンパク質であるチャネルロドプシン2を用いて、特定の神経細胞の活動を光で操作する研究手法のこと。

―一方で、“心”の理解は深まらなかったと?

はい。脳に関する技術はものすごく進んだのですが、だからといって“現象学的な心”とはまだつながっていないんですよ。“現象学的な心”とは、自分自身が自分自身として感じている“心”です。とにかく、物質的な脳から測れるものを徹底的に測っても、“心”にはつながらなかったんです。

“脳”を知れば“心”が知れるのか?そこには“釈然としない”何かがある

―では、“脳”を研究しても、“心”は分からないということでしょうか?

例えば、脳に磁気刺激を与えると、視界に穴が開いて見えるとか、そういうことはできるんですけど、そうした知覚を越えて“現象学的な心”とつながるかというと、まだつながっていない気がしますね。つまり、知覚や記憶、情動などは計測できるのですが、それらを感じている“心”をどうやったら計測できるのか?あるいはそれってもしかして計測できないのか?それが分からないのですよ。現時点でも、どうしたらいいかも分かりません。

―それは、心の定義にもよるのではないでしょうか?仮に、記憶や認知をすべて計測したら、実はそれが“心”を計測したと言えたりはしないでしょうか?

たしかに、そのように定義すれば、心を計測したと言えるのかもしれません。でも、こう考えるとどうでしょう?仮に自分の心が、記憶や認知だけの集合体だと思えば、それはコンピューターにアップロードできるかもしれませんけど、それって“自分”なんですか?それって、自分じゃなくないですか?自分じゃないって思う、その“何者か”なんですよ。私が知りたいのは。

言い方を変えると―――『釈然としない』ということですね。仮に、脳から計測できるものすべてを計測して、コンピューターにアップロードした上で、あなたの肉体を消滅させますよ、いいですか?って言われたとき、なぜか『釈然としない』じゃないですか。その『釈然としない』ところが大事、心の大事なところだと思うんですよね。

―となると、本当に“脳”を知ることが、“心”を知ることにつながるのでしょうか?

多分、いずれは脳の状態を、より詳細にリアルタイムで計測することができると思います。ただ、それが果たして“心”なのかというと分からないですね。でもそれをいうと不可知論ですから、私としてはこういう言い方をしたいと思うんです。つまり、『心をアップロードできるような精度で、脳状態を計測することは、“原理的”にできても“資源的”にできないんじゃないか?』

つまり、原理的にこうすればいいと分かっていても、現実的にそこまでできるだろうかと思うわけですよ。脳でいうと、1人の人間の、ある一瞬の脳状態を全部記述するだけの資源を、人類は果たして持っているだろうかと思うわけですね。

そう考えると、これまでのようなビッグデータアプローチでたくさんのデータをとるという手法には、“限界”があると思うんですね。もちろん、それはそれでどんどんやっていけばいいと思うんですけど、それに加えて、全く新しい視点も必要だと思うんです。僕は別に、“心”を解き明かす方法が、“脳”からである必要はないと思っています。

次の20年が分岐点!脳科学者は心理学者になるべき!?

―「脳と心」の研究において、次の20年は、どんな20年になると思いますか?

すごく研究が大変になっていくと思います。とれるデータが多くなった分、ものすごく多くのデータをとらなきゃいけないし。するとその分、統計もすごく厳しくなるわけですよ。そこでいま、提案されているのが『プレレジストレーション』というものです。

『プレレジストレーション』というのは、実験する前に論文を登録してしまうというものです。これまでのように、書いた論文を雑誌に投稿するスタイルではなくて、事前に実験計画を作って、どのような方法を使って、どの仮説が正しいか見極めます、っていうことを論文にして登録してしまうと。つまり、それがいい計画ですね、と評価されたら、実験する前から雑誌には受理されるわけです。もう論文としては受理されているわけですから、統計的にいい結果が出なくても、それはそれで貴重な研究として世に出るわけです。こうした『プレレジストレーション』というやり方が、最近すごく増えているんですよ。

―とれるデータが増えたからこそ、どんな結果が出るかよりも、そのデータ自体に価値があるということ?

そういう考え方ですね。ただね、このやり方が行き過ぎてしまうと、研究がつまらなくなると思います。挑戦的な研究が少なくなってくるのではないかと思うんです。

挑戦的な研究というのは、いわば“仮説自体を探索する研究”のことです。どういう仮説を研究すべきかを考える、探索型の研究のことですね。例えば、動物を観察していて、面白そうなことをしているけど、なぜそんなことをしているのか?どういう仕組みでそういうことをしているのか?そうしたことを調べる研究のことです。一方、プレレジストレーション型の場合は、動物にこういう刺激を与えたときに、こういう脳活動が出るであろうと仮説を作って研究することになりますから、“次元”がひとつ違ってくるわけです。

つまり、面白い現象自体を発見していく研究と、発見した現象の仕組みを突き詰めていく研究。研究には二種類あると言ってしまっていい時代になったのではないかと思いますよね。

―このままデータ主義が進むと、そうした探索型の研究が少なくなるということですか?

プレレジストレーション型の研究に傾いていってしまうので、探索型の研究が評価されにくくなっていくかもしれませんね。だからこそ、特に日本は、探索型の研究ができる人材を増やしていく仕組みが必要だと思います。

というのも、次の20年こそが、私たちが“心”を理解できるかの『分岐点』だと思うからです。次の20年で、分かるかどうかなんですよ、本当に。技術自体は、ものすごくそろっているわけで、それらをどう組み合わせて“心”にアプローチするか次第なんですよね。本当にね、たぶん次の20年で分からなかったら、分からないんですね。

だからこそ次の20年は、ただ脳のデータをとるだけで終わらず、“脳科学者”はみんな“心理学者”になるべきなんじゃないかなとさえ思うんですね。

少しは“釈然”として死にたい・・・岡ノ谷教授の“夢”とは

―改めて、岡ノ谷先生個人にとっての20年は、どんな20年でしたか?

自分としては最初から、“心”を知りたかったのですが、鳥のさえずり研究から、ラットや人を使った研究まで、いろいろ広がった20年でしたね。テーマとしても、聴覚だけでなく、共感、情動、報酬系など、“心”の本質に近づくために、自分の興味がどんどん広がっていった20年でした。

―なぜ“心”を知るのに、鳥のさえずりから始められたのでしょうか?

それはですね、自分にとっての“心”が、とても“音”に近かったからなんです。僕にとっては、なんか視覚じゃないんですよ。自分で自分のことを考える時って、画像じゃないんですよね。僕はやっぱ“音”なんですよね。だから、“音”や“言葉”がわかれば“心”に近付けるかなと思って。で、そういうものを生物学的に研究するのであれば、小鳥かなと思ったわけですね。別にバードウォッチングが好きだったからとかでは全然なくて、そういうわけで小鳥の研究を始めたんです。

そして、20年前といえば、ちょうど千葉大学から、理化学研究所の脳科学総合研究センターに移った頃ですね。実は当時は、もう“心理学者”をやめようと思っていた時期なんです。“心理学者”をやめて“脳科学者”をやろうと思っていたんですよね。それでしばらく脳研究っぽいところにいたんですけど、研究するうちに、やっぱり自分は“心理学者”なのかなと思って。脳の活動は記録するけど、だからといって“脳科学者”なわけじゃなくて、やっぱり心が知りたいんだよなっていうことが分かってきましたね。なのでその後、東京大学の認知行動科学研究室で、そうした研究を続けることになりました。

―最後に、次の20年は、岡ノ谷先生にとってどんな20年になるでしょう?

死んじゃうよね。そして、死ぬときはきっと、『釈然としない』んだろうなって思います。

ですが、次の20年で自分の研究をまとめあげて、どのように“心”ができているのかを、自分なりに理解したいと思っています。そうすれば、一応『釈然』とした気になれるかなと。

そのためにも、私はいま63歳ですが、これからも新たにいろんな技術を身に着ける必要があるなと思っています。そしてそれは、可能なのではないかと思っているんですよね。