“博士が子どもだった頃”Vol.6魚の声に耳を傾ける~動物社会学者/幸田正典博士

NHK
2022年6月24日 午後0:10 公開

脊椎動物の中でも最も古い時代に生まれた「魚」ですが、生物学者の間でもこれまでは「頭のよい生き物」とは思われてきませんでした。ところが、近年、魚の脳や行動に関する研究が飛躍的に進み、これまでの常識を覆す事実が次々と発見されています。

そんな魚の知能の研究で世界をけん引しているのが、動物社会学者の幸田正典博士(大阪公立大学 特任教授)です。幸田さんは、チンパンジーの研究手法を取り入れるなどしたユニークな魚の行動実験によって「魚は互いを正確に見分ける」、「鏡に映る自分の姿を認識する」「置かれた状況から“思いやる”“いじわるする”」など、魚の知的な能力を次々と発見し、世界中の研究者から注目を浴びています。魚からまるで感情をもった人間のような声が聞こえてくるという幸田さんは、

「魚は“賢い”を越えて“人間くさい”んです」

と語ります。これからも誰もしていない“面白い研究”をしたいという幸田さん、その独創性の原点となった子ども時代について伺いました。

―どんな子ども時代を過ごしていたのでしょうか?

父は新幹線の車両の設計をしていたエンジニアですが、大の釣り好きで、幼稚園の頃から天王山のふもとの島本町(大阪府)という自然豊かでフナ釣りがさかんな土地で暮らしていました。父によく釣りに連れて行ってもらっていたので、磯魚、淡水魚には小さい頃からなじんでいました。

小学校高学年の頃はプラモデルやラジオがはやっていましたが、ぼくは全然興味がなく、暇があると友達と近所の田んぼや池や川に遊びに行っていました。土を掘ってもぐらの穴を探したりしていましたが、そこは天国のようで、「今日は面白いことがなかったなあ」という経験がなく、行けば必ずと言っていいほど何か“面白いこと”が起こっていました。

(写真:水遊びが好きだったという5歳ごろの幸田さん/幸田正典氏 提供)

―小学生の幸田さんにとって「おもしろいこと」とはどんなこと?

5年生のある日、田んぼで真っ白いレンゲソウの花を発見したんです。(※1)普通は、ピンクや紫色なので、「これはえらいこっちゃ!調べよう!」ということでぼくが友達に呼びかけて、手分けをして、近隣の田んぼに咲く白いレンゲの分布を調べました。結局1か所だけに集中していたんです。「わかった!ここだけやなあ。おもろいな!」と。

6年生の時には、田んぼの小川で初めてグッピーという魚を友達と見つけました。おそらく近くの熱帯魚業者の敷地から逃げ出したのだと思いますが、見たこともないきれいな魚を見つけたのがうれしくて、うれしくて今でも覚えています。

子どもの頃の「面白い」とは、田んぼや池で何かに気づいたり見つけたりし、夢中になって、ワクワクしてやったようなことです。「なるほどなあ」とか「そうか」というときもありますし、「何これ!」「わー!すごい」ということもあります。小学生時代の“自然に触れて、何か面白いことを発見する遊び”の経験は人と違う面白いテーマを見出す研究者としての能力に大いに関係したと思います。

※1 レンゲソウ…紅紫色の花を咲かせるが、品種によって濃淡があり、まれに白いものもある。

(写真:水槽であふれる幸田さんの研究室)

―“ある本”との出会いが幸田さんの人生に大きな影響を与えたそうですね

家の本棚には子ども向けの本がたくさん置いてありました。世界少年少女文学全集といった文学にはあまり興味がなくてほとんど読みませんでしたが、百科事典が大好きで、特に動物の項目は何度も読みました。

小学4年生のある日、友達が「せいめいのれきし」(※2)という本を見せてくれたのですが、その挿絵のすばらしさに一瞬にして心をわしづかみにされました。早速、親に嘆願してその本を買ってもらい、毎晩布団の中で寝るまで見入っていました。

この本で初めて「時空間」というものを感じ、生物進化や地球の歴史に関する感性が生まれたように思います。私の将来を決める上でも大きく影響を受けたのですが、実は同じようにこの本を読んで、生物学者になったという人は多いようです。

※2 「せいめいのれきし」…地球誕生から現在までの壮大な命のリレーが描かれた絵本。

バージニア・リ・バートン作、石井桃子訳。

(写真:鏡に映る自分の姿をのぞき込むホンソメワケベラ。幸田さんはこの実験で魚にも「鏡像自己認知能力」があることを発見した)

―将来は生物の研究をすると決めたのはいつ頃?

高校受験が差し迫った中学校3年生という時期に、文化祭に出て友達3人でコントをやったんです。コントの練習に励んでいたら、担任の先生があきれて、「お前ら何になりたいのか?」と聞いてきました。ぼくは迷わず「生物の研究者になりたいです!」と言ったのははっきりと覚えています。まさか大学教授になるとは思ってませんでしたが。

―中学時代で好きだった科目は?

国語の成績はひどかったですが、理科の成績は学年で一番でした。生物が専門の先生の授業が大好きで、虫や植物など、自分が好きなものを持ってきて、解剖したり、スケッチしたりしていました。

今から考えると、先生から微細なものまでスケッチで表現する技術を学び、中学生ながらに大学の実験と同じくらいレベルの高いことをやっていました。情報の詰め込みではなく、自分で観察して自由に考える授業の中で、生物を見る目が養われていきました。

―学校ではどんな生徒でしたか?

中学校の「技術」の授業では、いくつかとんでもないもの作って、怒られるか、褒められるかのどちらかでした。褒められたのは、12cmほどの鉄の棒を好きな形に削って文鎮を作るという課題のときで、文鎮はみんな形が似て面白くないので、ぼくは鉄の棒を3枚におろして、ふたつを使ってはさみ、残りひとつでナイフを作ることにしました。

鉄に穴を開けたり、焼き入れをしたりするのは大変でしたが、完成したはさみでちゃんと紙が切れたんです!最初、「何作ってる!」と注意してきた先生もとても喜んで、学年中の生徒に「幸田がはさみを作った!」と伝え、あちこちから生徒が見にきました。みんな褒めてくれましたが、「幸田くん変わってるね」と言われるのは結構うれしかったです。

研究者になって新しい発見を論文発表した時は批判も受けましたが、“熱い心”と“冷静さ”をもって地道に研究を続けることができました。それは、批判を恐れずに人と違うこと、面白いと思ったことはやりぬくという経験があったからかもしれません。

―中学、高校では自主的な実験をしていたそうですね

とにかく気になったことは、テーマにして実際に調べるということを自然と繰り返していたような気がします。理科の先生の許可を得て、中学校の中庭で友達とサツマイモを育てました。土壌の条件を変えた3つの畝を作り、比較実験したんです。

土壌のひとつ目は「そのまま」、2つ目は「焼却場の灰」を、3つ目は「ドブ川の泥」を練り込みます。うしろの2つがよく育つだろうと予想しましたが、結果は全て豊作。元々の土が良かったので実験は失敗したんです。ほかにもいろいろ実験しましたが、どんな結果が出ても面白くて、「へぇ」なんですね。

大学や大学院に進学しても、自分でテーマを見つけて、納得するまで実験することができました。小学生のころの遊びに始まり、高校までの「面白いことに気づく」「納得するまで調べる」経験が生きていると思います。

(写真:駆け出しの研究者の頃の幸田さん 幸田正典氏提供)

―子どもたちに伝えたいことは?

最近は、与えられた問題や課題に対してだけ、正解を目指して取り組んでいくことが多すぎる気がします。これは典型的な受験勉強ですが、自ら問題や課題を作り出すや見つけ出すと言う経験が、もっとあって良いのだと思います。

そのために、子どもの頃は自然の中で思い切り遊んでほしいです。五感を使って感じることで、何が「面白い問題か」を見つけることができます。それがすべての始まりです。

自分で気づいた「面白い問題」は、大切にして、いつまでも「考え続けて」ください。フランスの細菌学者パスツールは「幸運の女神は準備ができている者にほほえむ」と言っていますが、考え続けることこそ準備です。考え続けて、一見関係なさそうな物事との類似性や関連性に気づくことが新しい発見につながると考えています。