ニュートリノの大実験を率いる市川温子さんが語る究極の謎【博士の20年】

NHK
2023年3月20日 午後7:30 公開

「なぜ私たちが存在しているのか?」

これは実は、現代の物理学で説明できない究極の謎です。

私たちの体、地球、そして太陽や銀河。これらは全て「物質」でできていますが、宇宙が誕生したときには「物質」とともに、“物質を鏡に写したような”真逆の性質を持つ「反物質」が同じ数だけ生まれたとされています。この「物質」と「反物質」は互いにぶつかると、光になって「消滅」してしまう性質があるため、本来なら現在の宇宙には何も残っていないはずなのです。ところが、宇宙には物質でできた私たちは確かに存在する一方、反物質の存在はほとんど観測できていません。

この究極の謎に挑むため、「CP対称性の破れ」、つまり物質と反物質の違いを実証しようという大規模な実験が、日本で行われています。物質と反物質の性質の違いを発見できれば、「物質が宇宙に存在できること」を説明できるかもしれない。そう考えて実験の対象とされたのは素粒子「ニュートリノ」です。加速器で人工的に作り出した「ニュートリノ」と「反ニュートリノ」を、300km離れたスーパーカミオカンデで詳しく観測し、物質と反物質の性質の違いを見いだそうとしているのです。

「T2K実験」と名付けられたこの実験は、「95%の確からしさ」で物質と反物質の違いを捉えたことを発表し、世界的に大きなインパクトを与えました。国内外500人以上の研究者が参加するこのビッグプロジェクトを束ねるのが、東北大学大学院理学研究科教授の市川温子さんです。

市川さんたちは、目に見えない素粒子を捉えるために次々と新しい実験装置を開発し、そのデータ解析を積み重ね、あと少しで「究極の謎」が解明できるところまでたどり着いたといいます。市川さんに、ニュートリノ研究の20年を振り返っていただき、「驚くほど進展した」という研究の現在地と研究者が置かれている環境について伺いました。

「私たちの存在の謎」を解くカギに手が届くところまで来た20年

―どのように「物質」と「反物質」の違いを観測しているのですか?

「ニュートリノ」と、反物質である「反ニュートリノ」が異なる性質を持つかどうかを観測しています。

ニュートリノというのは、私たちの周りの空間にも飛び交っているものすごく小さい粒子で、たとえば手のひらの表面を毎秒数兆個のニュートリノが通り過ぎています。実は、このニュートリノは「ニュートリノ振動」(※1)といって3種類の状態を変化させながら飛んでいるということが分かっています。

そこで具体的には、茨城県東海村にある加速器で「ミューニュートリノ」という状態のニュートリノと、その反物質である「反ミューニュートリノ」を作り出して、岐阜県の神岡町にある「スーパーカミオカンデ」というニュートリノ検出装置で観測しています。ニュートリノ振動によって、それぞれ「電子ニュートリノ」「反電子ニュートリノ」に変化するのですが、その割合を比較しています。これが東海(Tokai)と神岡(Kamioka)からとって「T2K実験」と呼ばれる実験です。

(※1)ニュートリノ振動:ニュートリノには、「電子ニュートリノ」「ミューニュートリノ」「タウニュートリノ」の3種類がある。「ニュートリノ振動」は、ニュートリノが空間を飛ぶ間にその種類が移り変わる現象で、1998年にスーパーカミオカンデで発見された。また、ニュートリノ振動の発見により、ニュートリノがわずかながら質量を持つことが証明された。この業績で2015年に梶田隆章さんがノーベル物理学賞を受賞している。

ニュートリノが「人類の誕生には不可欠だった」

―「物質と反物質の違い」は見えてきていますか?

差が微妙にあったんです。実験データを蓄積して2017年には、ニュートリノにおいて95%の確からしさで「物質と反物質の違いがあること」を示せました。でもまだ単なる偶然なのかもしれない。

私は精度99%ぐらいまで示せればいいなと思っています。まず「T2K実験」で2026年ぐらいまでデータをためて、どこまで精度を高められるか頑張っていくところです。現在、スーパーカミオカンデをさらにパワーアップさせた「ハイパーカミオカンデ」を建設中で、2027年から稼働開始を予定しています。ハイパーカミオカンデになると、スーパーカミオカンデの100年分のデータを10年で観測できる計算なので、期待しています。

―ニュートリノ研究にとってはどんな20年でしたか?

私がポスドク研究員になったのが2001年で20年ほど前です。実はその直前の2000年頃に「大気ニュートリノ」(※2)の観測と、「太陽ニュートリノ」(※3)の観測から「ニュートリノ振動」はもう確実だと言われていたんですよね。そこからT2K実験も含めて研究が着実に進んで、ついに、物質と反物質の違いの証明に手が届くところに来ています。この流れに立ち会えたことは非常に幸運だったと思っています。

これまで、素粒子クォークでは物質と反物質の違いが示され、小林誠さんと益川敏英さんが2008年にノーベル物理学賞を受賞しました。でも、クォークだけでは現在の宇宙を成り立たせる物質の量を説明できないので、ニュートリノでも両者に違いがあるのではないかと考えられているんです。

この世界はすごく不思議なんですよね。ちゃんと星ができて、40億年ぐらいかけないと多分人間ってここまで進化できないんです。でも40億年ぐらい星を安定にしようと思うと、ニュートリノの存在が不可欠なんですよ。ニュートリノがあるおかげでこの世界ができている、人間もここまで来たって思うとすごいなと思います。ニュートリノに感謝するべきですね。

(※2)大気ニュートリノ:宇宙空間から飛んできた「宇宙線」が原因となって生み出されるニュートリノ。宇宙線が地球の大気の分子にぶつかると、「パイ中間子」と呼ばれる粒子を経て、「ミューニュートリノ」と「電子ニュートリノ」ができる。

(※3)太陽ニュートリノ:太陽中心部で起きている「核融合反応」によって作られるニュートリノ。電子ニュートリノしか作られないことが分かっている。

日本のニュートリノ研究が世界トップレベルになった理由とは

―ニュートリノの研究で日本が世界トップレベルにあるのはなぜだと思いますか?

まず、すごい先人がいたというのが一つです。小柴昌俊さんとか、戸塚洋二さんとか、もちろん梶田隆章さんも、他にもたくさんいらっしゃいます。

かつ、ちょうど日本のサイズがよかったという幸運もあると思います。茨城から岐阜へニュートリノを飛ばして実験するのですが、その距離などいろんな自然条件が研究に適していたというのもあります。幸運があるからいい人材が集まって来て、それでまた研究が活発になっているという。

―チームでトップレベルの研究を進めていくために、大切なことって何だと思いますか?

研究規模はどんどん大きくなっても、人の数とか予算は頭打ちであったり減ったりしています。きっと他の分野もそうだと思いますが、ニュートリノの分野も辛い状態で頑張っています。すごく貪欲な研究者が集まって、歯を食いしばってというか。他の実験グループの人から、「そこまでえげつなくやらんでもいいじゃん」とか言われることもたまにありますが、「頑張ればもう目の前で成果が得られる」という状態でやっているのが大きいのかもしれないですね。

「物質と反物質の違いが見えたらかっこいい」と手製の装置で世界最先端の研究へ

―どうしてニュートリノの分野に進もうと思いましたか?

大学院までは「ダブルハイパー核」といって、「ストレンジクォーク」(※4)が2個入っている特殊な原子核を探す実験をしていたんです。でも、博士論文にするには時間切れで、その実験の中の別のデータで論文を書きました。そしたら2週間後ぐらいに後輩から「ありました」って言われて。ダブルハイパー核が見つかったんですよ。

それで、ポスドク研究員では新しいことをやってみたくなって、どういう研究をしたいか、いろいろと悩みました。ニュートリノは元々なんとなく興味はあって、いろんな人の話を聞いていた時に、加速器ニュートリノ振動実験を世界で初めてリーダーとしてされた方に話を聞きに行ったら、「ニュートリノ、次は『CP対称性の破れ』だよ」と言われて、「あ、おもしろそう」て思ったんです。CP対称性の破れというのは、物質と反物質の違いがあるということですが、「CP対称性の破れが見えたらかっこいい」くらいの気持ちで入ったら、あっという間に20年たっていました。

(※4)ストレンジクォーク:素粒子の一つで、より軽いクォークである「アップクォーク」や「ダウンクォーク」にすぐに変わってしまう。ダブルハイパー核の構造を調べることで、原子核をまとめている核力の理解を目指す研究は今も行われている。

―研究室には手作りで試作した装置があふれていますね!

T2K実験でも、最初はいろんな物をつくりました。装置としてちゃんと動くようにするのは、大変だけどものすごく楽しかったです。特にニュートリノを作り出す「電磁ホーン」という装置が初めて動いた時は、本当にうれしかったのを覚えています。

今は、ニュートリノが「マヨラナ粒子」(※5)かどうか、を確かめるための新しい検出器をこの研究室で作っているんです。宇宙に私たちが存在しているという謎を解き明かそうと思うと、ニュートリノで物質と反物質に違いがあることに加えて、ニュートリノがマヨラナ粒子であることが必要なんです。

まずこの原理でうまくいくはずだっていうのを小さい物で作って、そこから大きくしていこうとするんですけど、その度にいっぱい問題が出てくるわけですよ。それを解決しながら性能を上げつつ、大きくしつつっていうのをずっと繰り返しています。小さなグループで一生懸命新しい検出器を作って、その性能を極めていくのは楽しいですね。

(※5)マヨラナ粒子:粒子と反粒子が「同じもの」として入れ替わり可能な性質を持つ粒子。通常の粒子には、反対の電荷を持った対となる反粒子が存在するが、ニュートリノは電気的に中性なので自身が反粒子となる可能性がある。ニュートリノがマヨラナ粒子かどうかは、「二重ベータ崩壊」という実験で調べることができ、東北大学の実験施設「カムランド禅」など世界で実験が進んでいる。

単身赴任、「出張」で夫と娘の下へ通い…?

―ご自身の20年を振り返って、研究と同時に子育ての経験も大きかったそうですね?

高校3年生になる娘がいますが、生まれて最初の3、4年は苦労しました。すぐに保育園に預けて、4ヵ月ほどで復職しました。T2K実験を軌道に乗せていく時期でしたし、仕事で体力的にはきつかったですが、気持ち的には、仕事でリフレッシュできるというか、仕事があったから良かったとも思います。

その後、京都大学に着任したので、茨城県に夫と娘がいて、私は単身赴任で行ったり来たりしていました。私がいないときは、夫がご飯作るのも全部やってくれました。週の半分ぐらい、私が戻るとその時には家事をしてという感じで。それで、普段はなんとか出張とかも交代で入れたりしていて、研究者で割と時間の自由はきくし、リモートでできる仕事もあるので、なんとかなるんだけど、病気になっちゃうと大変なんですよね。そういう時は実の母と義理の母にヘルプを頼みました。

「世界の見え方」を変えてくれた子育て

―単身赴任で研究と子育てを両立するのは大変でしたね

そうですね、でも面白かったです。子どもが生まれる前はもうちょっと他者に対してクールな感じだったと思うんですが、子どもの成長を見ていると、よその子どもまでかわいく見えたり、いろんな人が頑張っているのを見てるとなんか嬉しくなるんです。世界の見え方がだいぶ違うようになってくる過程が面白かったですね。

無機質な素粒子を研究していると、「生物なんてただの電磁気の法則と、いろんなものでバーって組み合わさっているだけじゃん」みたいな気持ちになりそうなんだけど、でも、最初ほとんど何もなかったところから、1人の人格が大きくなっていくのを見ていくと、人類の活動自体がそれはそれですごいことだなと思えてくる。「生きているだけで無駄じゃないんだ」とか感じます。素粒子を研究しているからこそ、子育てで感動する、なんかそのギャップが面白いなと思います。

―「生きているだけで無駄じゃないと思わせてくれた」とは?

娘は、完全に自分とは独立した意思を持って存在しているって面白いなあと思います。夫も同じ分野の研究者なので、娘が生まれて英才教育じゃないけど、子ども向けの科学の本をいっぱい周りに置いていました。小さい頃は面白そうに見ていてくれたと思ったんですが、大きくなって自分で本を買うようになると、理科や数学はそんなに面白くないって、地理とか歴史が面白いと言って文系を選んでいました。無機質な物から、こんな自分の気持ちを持ってる生物が生まれて来るっていうところがね、ものすごく面白いな、非常に感動的だなと思いますね。

この物理法則で、こういう気持ちとか精神とかが出てくるってすごいなって、尊くて貴重なものに感じますね。しかも、物理法則がそういうことが可能なようにできているっていうことがすごいんですよね。子育てをしながら研究をしていると、これはすごいことだなと思いました。

「多様性が求められる研究」で女性が活躍するには?

―特に女性が少ない分野だと思うのですが、最近女性を増やした方がいいようなこともよく言われます。それについてはどう思われますか?

研究を「多様にする」「いろんな見方をする」という意味では女性研究者を増やした方がいいと思いますね。でも、無理に増やすときしみが出るだけだから、大学とか大学院、研究者レベルでいきなり増やそうとするのではなくて、もっと子どもの時から何かしなきゃいけないとは思いますね。子どもの時に、もっと科学、理科に興味を持つ女の子を増やすとか。逆もまたしかりで、男の子が家事とかにも興味を持つようにとか。

というのもたくさんの人で研究していると、すごくいろんな意見が出るんですが、自分1人じゃ絶対思いつかないようなやり方が出てきたりとかするから、それがすごく大切で、もし日本だけ圧倒的に男性しかいないとしたら、その分で半分損しているんですよね。別に男性だから、女性だからじゃなくて、人材の半分を使ってないっていう意味で。

―研究環境がもっとこうなったらいいなと思うことはありました?

研究者で頑張っているほかの女性の話とか、一緒に子育てしていて、家事をちゃんと分担している男性の話とかも聞くと、結構単身赴任が多くて、「ワンオペレーション」だということが多いんです。研究者はキャリアパスの中で、どうしても異動が入っているので、なかなか同じところで一緒に住める機会が少なくて、そのせいで結婚はしているけど子どもはいないっていう人も多いと思います。研究者だけじゃなくて企業でも、本当に働きたい女性でかつ、異動しないといけないところの人たちにとっては、結構な問題ですよね。

大きな日本全体で見ると同じ研究分野の研究室はいろんなところにあるので、結婚して子育ての期間は、もうちょっとフレキシブルに他の場所で働けるようなシステムを作ってほしいなっていうのは、ずっと思っていますね。海外にはそういうシステムがあるらしいです。

国際的な大プロジェクトをまとめるストレスの解消法

―「T2K」実験の代表も務められていますが、大人数をまとめる大変さはどこにありますか?

チームには海外の研究者が圧倒的に多いのですが、教育システムも違うし、文化も違うしで、いろんな人で話し合うのは、学ぶところが多いですね。こうやればいいんだとか、あるいは、なんでこんな風にやるんだろうとか。

そうは言っても、やっぱりいろんな考え方を持っている人がいて、いろんな問題が起きます。それを解決する時に、みんなの話を聞かないと、こちらの言うことを聞いてもらえないので、一生懸命に相手を理解する努力をして、その上でやっぱりこうしようと決めるとか、そういうことをしないといけないですね。小さなもめ事はたくさんあるので、その中で最終的にどうまとめていくかが大変なところかもしれません。

ちなみに、今は電気代が倍に上がっちゃっているんですよね。そうすると、ビームタイム(実験でビームを出す時間)が半分になるんです。去年は、加速器の強度を上げるための作業をしていて、さあ、実験をやるぞってなったところで、電気代が倍に上がっちゃった。そうすると、予算は決まっているので、ビームタイムは半分にせざるを得ません。それで各国代表が怒るんだけど・・・。ちょっと我慢のときという感じですよね。諦めたら試合終了ですから。

このように間に挟まれて苦労したときに覚えたのが、YouTubeで猫動画を見ることです(笑) それ以来子猫動画をずっとフォローしているんです。

とにかく知りたいことがある、それは「希望の灯」じゃないですか

―先生の研究のモチベーションは何ですか?

なんで知りたいと思わないのかが分からない(笑) 宇宙ができた起源は知りたいじゃないですか、分からないことがまだいっぱい残ってるので。今の物理法則ってすごく不満足なんですよ。

でも、もう全部説明できちゃったら、それってもうこれ以上新しい物理法則はどこにもないのかもしれないとなりますが、説明できないことがあるということは、自分たちがまだ知らない何かがあるということです。だから、それを知ればもっと深く宇宙の成り立ちが理解できるかもしれないという、「希望の灯」じゃないですか。

素粒子のことを勉強すればするほど、もうSFなんて目じゃないような不思議な現象が起きてこの世界が成り立っていることが分かるんですよ。いろんなことを突き詰めて行くと必ずしも世界がこんな形じゃなくてもいいっていうふうに思えて来ちゃうわけです。いろんな可能性があって、それが今こうなってるっていうのは、すごく面白い話だと思いますね。

―研究に没頭する市川さんの姿をみて、お嬢さんは?

特に具体的に何か言われたことはないですが、応援してくれているように感じることはあります。それから、熱中して仕事をしている姿を羨ましがっているように感じることもあります。つまり、本人はまだそこまで熱中できるものを見つけられていないということですね。

―人生の後輩たちへのメッセージをお願いします!

よくみんなに言うのは、何でもいいから、何か面白いと思って打ち込めるものを見つけられるといいねって。見つけられなかったら、見つけられないこと自体を一生懸命頑張って楽しんで、もがいてほしいです。