“博士が子どもだった頃Vol.9”粘菌の情報処理を探る「生物学者 中垣俊之博士」

NHK
2022年11月11日 午後4:00 公開

生命の“知性”とは何か?

私たち人類を深く理解することにつながるこの問いに、人類誕生のはるか昔から地球で暮らす原始的な生き物「粘菌(ねんきん)」から迫ろうとする研究者がいます。生物学者の中垣俊之博士(北海道大学電子科学研究所/教授)です。粘菌はたったひとつの細胞で生きる「単細胞生物」。中垣博士は、脳も神経もないこの生き物が持つ驚きの情報処理能力を解き明かし、世界から注目されています。さらに、生物、数学、物理など各界の第一人者が集結し、生物の情報処理について解き明かそうという「ジオラマ行動力学」という新しい学問を生み出しました。生物学にとどまることにない新領域からのアプローチを行う中垣博士。次々と“見方を変える”ことで、誰も思いつかないような奇想天外な発想が生まれると言いますが、そのユニークな発想はどう育まれたのでしょうか。

ーどんな子ども時代を過ごしていましたか?

愛知県内にある、いわゆる里山で生まれ育ちました。祖父母や両親が農作業をしているかたわらで、ひとり棒きれを持って遊んだり、小川や山に行ったりしていました。そこでいろんな動植物や昆虫に出会い、生き物が本当に好きになりましたね。一方で、図鑑を見るのも好きで、野外で見た生き物が図鑑にあったり、逆に図鑑で知っていた生き物が、ふっと目の前に現れたりするのが、とても面白かったです。図鑑で見たシダやチョウチョを集めて、標本を作り、図鑑と現実の世界を交錯させながら、お互いの世界を豊かにしていきました。

ーどんなご両親でしたか?

小学校低学年の頃、よく図鑑の絵を模写していました。図鑑にカニの幼生がだんだん変態していく「ゾエア幼生」(※1)の絵があると、それをノートに模写して、うまく描けるとうれしくなって母に見せにいくんです。母は生物が好きだったわけでもないので、僕が変わった子どもになってしまっているなあと心配したようですが、その場では淡々と「上手に描けてよかったね」といなしていたようです。過剰に褒めることも一切なかったですが、止めることもなく、そういう気安さがよかったんだと思います。

※1「ゾエア幼生」…カニは卵からふ化した直後は成体とは異なる姿をしており、変態や脱皮を繰り返して成体となる。「ゾエア幼生」とはこうした幼生の一つ。

ー子供の頃に大きな影響を受けた本は?

「ファーブル昆虫記」です。虫には虫の必死の生活があって、常に生きるための行動をしていることを知りました。その一連の作業があまりにも巧妙で、わかっていてやっているのか、本能的にただマニュアル通りにやっているだけなのか、なんとなく不思議に思ったものです。それを上手な実験で解き明かす手法に、驚くとともにとても心動かされました。実験とはこういうものかというイメージが、自分の中で芽生えたのだと今にして思います。その一連の行動の手順がどのような仕組みで虫の中に実装されているのかという素朴な疑問が立ち上がりました。そして、これが“生き物の情報処理”なのだと、大学に入ってから徐々に意識できるようになりました。

ー小学校の頃は図画工作が好きだったそうですね

顕微鏡を誕生日に買ってもらって、シダや水草を見たりするのが楽しみでしたが、その形や色といった造形美にうっとりしていましたね。当時、図画工作がとても好きで、一時期、芸術家になりたいと思っていたほどでした。工作で、きれいに仕上がる材料の使い方をふっと思いついたり、違う使い方をして工夫したりして、ちょっと“見方を変えて”、世界を広げていくのがおもしろかったです。内気で気の小さい子どもでしたが、作品を介して友達が僕を見てくれて、コミュニケーションできるのは楽しみでした。今思えば、研究するときの頭の使い方と、図画工作で創意工夫するときの頭の使い方は僕の中では一緒なんです。

ーどんな高校時代でしたか?

高校生の時は、生物や天文学も好きでしたが、精神医学にも大きな魅力を感じていて、科目でいうと倫理・社会が一番好でした。神谷美恵子さんという精神科医が「生きがいについて」という本を書かれていて、神谷先生の他人の気持ちをおもんばかることのできる確かな人間力とともに、科学者として冷静に分析するところに感銘を受けたのを覚えています。大学進学で引っ越しする際には、この本一冊を持って行きました。自分の生きがいをもつということは、ことによると“自分の知力と感受性のかけ算で行う創作のようなもの”なのでは、という気がします。

ー大学では生物学ではなく薬学の道に進んだとか?

大学へ行って、生物学の道に進むつもりでしたが、想像していた授業と違い、ちょっと退屈したんですね。子どもの頃に愛読した「ファーブル昆虫記」は、“虫の情報処理”だと僕は位置づけていますが、授業ではなかなかそのような話に近づいていきませんでした。当時、分子遺伝学、生化学がとても隆盛してきたこともあり、遺伝子やタンパク質などの分子レベルの生命科学研究が盛んだった薬学の分野に進みました。

ー「粘菌」との出会いは?

「BZ反応」(※2)という自動的に模様が出るという化学反応がありますが、僕が学生だった当時、薬学部で、BZ反応のリズムや波の現象から粘菌の動きを解明する研究が行われていました。実は粘菌自体ではなく、BZ反応を見て、「なんて不思議なんだろう」と興味を持ったのが始まりです。こうして、のちの恩師となる上田哲男先生のいる研究室に入り、物質の運動方程式で生き物の情報処理を解明する研究の手ほどきを受けました。

※2 「BZ反応」…ベロウソフ・ジャボチンスキー反応。周期的な変化や複雑なパターンが生じる化学反応。BZ反応液を薄く広げて静かに置いておくと、ある物質の濃度に大きなムラが発生し、そのムラが同心円状の模様や回転する螺旋(らせん)模様となって周囲に広がっていく様子を観察できる。回転螺旋模様は、心臓の拍動や動物の皮膚の模様、土中のアメーバの集団運動などでも見られ、化学のみならず、生物学、物理学、数学の分野でも研究が進められている。

BZ反応は、心臓に出るのはわかっていましたが、細胞性粘菌が作る“ぐるぐる”という模様もBZ反応で出ることが判明しました。実はすべて運動方程式としては同じなんです。こうした化学反応は空間構造や時間構造をきれいに組織化します。これは物理法則として成立している象徴的な事例で、細胞性粘菌のような生き物の集団運動の原動力になっています。

ー学生時代の研究生活はどうだった?

初めて研究に取り組んだとき、漠然と大きな装置のある研究室を思い描いていたんです。ところが粘菌の場合は、ごく普通の机の上に載せて観察するんですが、極めて日常的な道具を使います。特に装置とかお金をかけなくても、十分おもしろいことができるんだということを知りました。それは、昔読んだ「ファーブル昆虫記」と同じです。すぐ裏の原っぱで虫の生活を観察する中で、気づきがあるわけですよ。その場で介入してちょっと実験するとか、少し洗練させて実験室にもって行くとか、ほとんどアイデアと簡単な器具だけなんですよね。そういう世界に、自分がひかれていたのがわかりましたね。

恩師の上田哲男先生は粘菌の知性や情報処理を提唱した方です。上田先生は次々と見方を変えていき、発想も変えいくのがとても得意でした。論文を書いていて、実験データが思っていたものではなくなってきたときに、考えをどんどん変えて、よりおもしろいストーリーにしていくことを何度も経験させてもらい、“見方を変えて”いくことが身についたと思います。僕なりに先生の思いを引き継いで研究を続けようと思ってきました。

ー「情報処置」❌「粘菌」など横断的で新しい研究は受け入れられないこともあるのでは?

いろんな意見があるので、反論があることはむしろ健全だと思います。ほとんどかみ合わないこともありますが、なるほどと思うのもがあれば、どういうふうに取り入れていくか考えます。新しい学問に取り組んで、昔ぼんやりと描いていたものがだんだん形になって、受け入れられていくのは本望ですね。できる範囲で楽しくやりたいということに尽きます。

ー次に目指すところは?

「ジオラマ行動力学」という新しい領域の研究を補助金を得て進めていますが、このプロジェクトがあと3年半あります。粘菌をはじめとした原生生物、あるいは多細胞生物の単細胞生物期とも言える精子などが持つ、複雑環境下での行動能力を解き明かしたいです。ここで得た知見が、将来的に健康や環境の問題に役立てられることを期待しています。

ー子どもたちに伝えたいことは?

人とちょっと違う感覚ってみんな持ってると思うんです。僕も生物学が好きでも、みんなが思っている生物学とはちょっと違いがあって、僕なりの生物学にしたいという思いで今研究しているわけです。もちろん王道の学問を習得する必要がありますが、そこからはみ出している部分は捨てるのではなく、むしろ育てる。それが最後に自分を助けてくれて、楽しくさせてくれるんじゃないかと思います。“Good luck!!”ということで、楽しくやってほしいです。幸運を祈っています。