“博士が子どもだったころ”Vol.5 ロボットエンジニア「田中章愛博士」

NHK
2022年6月24日 午後0:10 公開

3mを越える巨大なロボットから、力が強くて柔軟性のあるロボット、そして手のひらサイズの小さなロボットまで、エンターテインメントや教育、そして暮らしに役立つものなど未来を見据えたロボットを次々と開発しているロボットエンジニア、田中章愛(あきちか)さん(ソニー・インタラクティブエンタテインメント)。

ロボットは「作ること自体が“遊び”」だという田中さんは、自身が感じてきた“遊び”の中で「創意工夫」する楽しさを、多くの子どもにも味わってほしいと、ロボットの研究開発のほかに、NHKが後援する「小学生ロボコン」の審査員を務めるなど多岐に渡るロボットの普及活動を行っています。田中さんの活動の礎となった原体験について聞きました。

―どんな子ども時代を過ごしたのでしょうか?

長崎県佐世保市で生まれ育ったのですが、造船所に勤める親戚が多く、もの作りを身近に感じていました。おもちゃはほとんど買ったことはなく、親戚のお下がりをもらったり、造船所で溶接工をしていた祖父が欲しいものは手作りしてくれました。一緒に近所の山に竹を切りにいって、竹とんぼや竹馬を作ったりしていたので、「なかったら作ればいい」という感覚は祖父の姿を見て身につけたものでした。それがその後の自分にとって重要な要素になったと思います。

―“作ること”が身近にあった幼少時代だったんですね

就学前から工作は大好きで、トイレットペーパーの芯とかフィルムケースとかいろんなガラクタを段ボールに集めていたのを覚えています。小学生になっても、NHKの「のっぽさん」「わくわくさん」などの工作番組をよく見て、まねしていました。

小学校3年生から毎年、近くの少年科学館で夏休みに開かれていた発明教室に通い、発明コンクールに応募していました。小学校6年生のときに全国2位を受賞し、長崎から東京に招待してもらいました。初めて飛行機に乗って、九州を出た体験であり、大きな自信になりました。

―受賞した発明はどんなものだったのでしょうか?

「花の自動水やりシステム」というものです。ペットボトルとホースを使ったもので、ホースを蛇口につなぎ水をちょろちょろ出しておくと、からくり式のタイマーで1日か2日おきに、プランター10個くらいに水をまいてくれます。

旅行中の水やりに困ってというわけではなく、からくりの仕組みに興味があり考えました。当時、夏休みは毎週図書館に通い、発明家の伝記やまんが、仕組みの本を読むのに夢中だったのですが、トイレの水の排水は、「サイホンの原理」という一定の水位になると一気に全部流れる仕組みだとある本で知り、「おもしろいな!」と思ったんです。この仕組みをまねして作ってみたら、これは水やりに使えそうだなと思いつき、応募しました。

発明をすること以外にも、壊れた掃除機やカセットテープレコーダーをもらっては、分解して仕組みを観察したり、親戚から壊れた家電の修理を頼まれたりしていました。もの作りはもちろんですが、ものの仕組みや原理を知り、そこから新しい仕組みを考えるのがすごく好きな子どもでした。

―その後、高等専門学校に進学されたということですが、高専に進学したいと思ったのは?

小学校低学年のとき、NHK「高専ロボコン」の番組を、親戚の家でいとこと両親、祖父母ら10人くらいでたまたま見たのですが、地元の佐世保高専も出ていて、みんなで応援していました。うろ覚えですがフライングディスクをとばす競技を見て、かっこいいし、よくこんな精度で上手に飛ばせるなと感激して、高専というものがあるんだなと心に残りました。

そのころから中学生まで毎年、お年玉を夏休みまでためて、その間にアイデアや作りたいものを考えておき、夏休みに全額はたいて部品を買ってもの作りをするのが恒例でしたが、中学1年生の時、高専を志望するきっかけとなる衝撃の事件が起こります。

このときもお年玉を全てつぎこんで赤外線リモコンでタイヤが動いたり、光ったりするロボットを作りました。そして、学校の夏休みの作品展に出展したのですが、知らない間に机から落ち、見るも無残な大破した姿になり、とても悲しかったのを覚えています。

それで、我流ではなく、強くて壊れないロボットを作る正しい方法を学ばないとだめだなと思いました。それには高専しかないと。当初、両親には、そんなに早く専門を決めなくてもいいのではと反対されましたが、高校の3年間も待てない、すぐに腕を磨きたいと思ったんです。

―晴れて高専に進学して、どうでしたか?

入学当初から「高専ロボコン」に出場したいと思っていましたが、進学した佐世保高専では当時、4年生が出ると決まっていて、すぐには出られなかったので、それまでは吹奏楽部でトロンボーンの演奏に熱を入れていました。そこでは、みんなで分担することの大切さを感じたり、本番で成功するための練習の重要性や心構えなどを学んだり、実はロボコンにつながる経験をたくさんしたと思います。

ようやく4年生で念願のロボコンに出場できるようになりましたが、チーム内でのアイデアのぶつかり合いが激しかったです。どの方式が一番うまくいくか、段ボールや木の板で模型作って試して、議論しました。結果、ぼくのアイデアになった時は、喜びもひとしおでした。

全国大会では、ロボットに断線が起こり十分な成績を収めることができず、悔しい思いをしましたが、同時にこの経験がロボット作りのおもしろさ、そしてどんな時も確実に動くもの作りの大切さに気づかせてくれました。まさに、ロボット作りの楽しさを広めたいという思いや、製品の品質へのこだわりといった今の自分の仕事の礎になっています。

(写真:竜という地元長崎県ならではのモチーフを使ったのは田中さんのアイデア。竜の口から煙が出る演出で会場を沸かせた。)

―子どもたちへのメッセージ

ロボコンというのは、自分のアイデアから生まれたものが活躍するという、とても特別で一度味わうと忘れられない経験です。ぼくは小さいころ、専門家って何しているんだろう、すごいなとばかり思っていましたが、小学生ロボコンのように子どもでも、どっぷり浸って四六時中アイデアを考え続けるというのは、大人の発明家、エンジニアがやっているのと全く同じことです。クリエイティビティはどんな人にも備わっていて、誰かに見せたり使ってもらったりして創意工夫することを楽しめれば、自然に磨かれるものです。一生懸命やっていたら、もの作りにおいても、もの作りじゃなくても、何かを表現し、実現できる人になれるんじゃないかなと思います。