近年、毎年のように日本を襲うようになった強力な台風や集中豪雨。しかし、このメカニズムはまだまだ分からないことだらけです。そんな中、世界で初めて「台風の目に飛び込んで観測する」という大プロジェクトを成し遂げた気象学者がいます。名古屋大学教授の坪木和久さんです。坪木さんは、世界に誇るスーパーコンピューターを使い、台風がどんな動きをしているのかを「観て」、さらにそれが本当に正しいのか、台風の目の中という現場に出向いて「測定」しながら、そのメカニズムの解明に迫っています。「台風で犠牲になる人をゼロにしたい」と語る坪木さんに、災害大国とも言われる日本の未来に欠かすことのできない気象学の20年を振り返っていただきました。
■気象学の歴史を変えた!台風の雲ひとつひとつが見える“世界最高速”のスパコン「地球シミュレーター」
――この20年、気象学の分野が一番大きく変化したのは?
気象学における20年は、コンピューターの進化で段違いになりました。僕が学生だったころは、「そんなシミュレーション、そんなの全然無理だよ!」という感じでした。限られた観測しかできなかったですし、ましてや飛行機で台風を観測するなんて、そんなのあり得ないと、想像もしていませんでした。そういったことが、この20年でできるようになったのは本当に大きな進歩だと思います。
中でも一番は、横浜のJAMSTEC(海洋研究開発機構)に「地球シミュレータ」(※1)ができたことですね。私はちょうど名古屋大学でいろんな数値モデルを試そうとしているときで、それが地球シミュレータで初めて動かせたのがまさに20年前の2003年です。そこがすごく大きな転換点だったと思いますね。次に「京」コンピューターができて、今は「富岳」が動く、そのコンピューターの進化によって気象学の進歩が支えられています。
それまでは台風のシミュレーションは紙と鉛筆とだけ、とまでは言いませんが、経験則を元に計算し、ざっくりとしたものしか出せませんでした。それが雲1つ1つを表現、雲の中も計算をして、なおかつ台風全体を計算できる。実際、その結果を見ると、本当に台風をつくっている雲1つ1つが見える。コンピューターの中なのに、これはすごいと思いました。
たとえばパスツールが顕微鏡で初めて細菌を見たときすごく感動したと思うんです。ガリレオが望遠鏡で月を見たときも。そういう、科学は今まで見えなかったものが新しく見える、そういう感動があるわけです。
それと同じように、シミュレーションはコンピューターの中だけど、これまで見たことがない、こんなにすごいことが起きていたんだというのが、すごく大きな感動としてあったわけです。それが僕の台風の研究の始まりです。
(※1)地球シミュレータ…気候変動のシミュレーションなどを目的として開発されたスーパーコンピューター。2002年に本格運用が開始され、台風や地殻変動のメカニズムの解明に大きく寄与した。
――当時、台風の研究をしている人は本当に少なかったそうですね?
台風は日本書紀や源氏物語にも出るくらい、昔から日本は台風の影響を受けていますし、世界で一番台風が観測される国であるにも関わらず、台風の研究をしている人は本当に少なかったんです。以前は、私も中規模スケールの大雨や大雪とかを研究対象にしていました。
どうしてかというと、それまでの小規模なデータ解析やシミュレーションでは、台風の全部を計算するなんていうことはできず、手がつけられなかったんですね。ところが、「地球シミュレータ」というコンピューターができたことでわれわれは様々な自然現象を知る「手段」を手に入れることができました。じゃあ何を研究しようかといったときに、台風のシミュレーションをやってみようかとなったんです。
地上の観測は気象庁がやっていましたし、気象衛星で台風の監視もできるんですが、「本当の台風の中がどうなっているのか」までは分からなかったので、シミュレーションをしてみようと。それを初めてやったのが2003年です。
■自分の作ったモデルの真偽を確かめるために、台風の中心へ突入する
――サイエンスZEROでは、2017年に初めて台風の目に入った観測現場に迫りました。地球シミュレータができてからその観測に至るまでの苦労は?
私もシミュレーションをやっていると、自分でつくったもので、自分で計算した結果なので、それが本当に正しいのだろうかという思いが常に心の中にあります。そういうのをしていると自然も観測しなければいけないなというのを感じ始めるんですね。
観測手段がなくて困っていた中で、2016年、「飛行機観測」を始められたというのが2つ目の大きなターニングポイントです。それまで日本は、航空機を使って強い台風を直接観測したことは、ほとんどありませんでした。アメリカではハリケーン・ハンターズという、高さ3キロぐらいの低いところの嵐に突っ込んでいって観測をしたり、台湾では台風の周辺を飛行機で飛んで観測したりできているのですが、日本にはそれがなかったんです。そもそも飛行機を飛ばすのにはお金がかかるので、台湾の研究者に教えてもらいながら綿密に計画を立てて、研究費をつけてもらったのが大きかったですね。
こうして“台風の目”に初めて飛び込んだのは2017年10月21日です。最初は台湾がやっていたのと同じように台風の周りだけを飛ぶつもりだったんですが、台風の目に近づいてみたとき、航空機のレーダー画像を見ると、どうやら西側だけ雨が弱いことがわかりました。「ここなら入れるのではないか」と同じグループの山田先生(※2)がおっしゃったんです。初めてのことでリスクもあるので、僕がプロジェクトリーダーだったら、やめておこうと言ったと思います。
(※2)…現 琉球大学の山田広幸教授。当時同じ研究グループで台風の目に飛び込むアイディアを提案した。
――判断が分単位で求められる中、突撃したんですね。
そうです。台風の目の周りでは飛行機がガタガタ揺れますが、中に入るとすっとおさまるんです。意外に思われるかもしれませんが、台風は中心付近のほうが安定しています。初めて台風の目の中に入ったときは、非常にクリアな視界が目の間に一気に広がったんです。そのとき、自分たちは足を踏み入れてはいけないところに入ったのではないかとすら思いました。神々の園というか、まさに自然のすごさを感じて全身鳥肌が立ち、ものすごく感動した瞬間でした。
もちろんこれは、“入れる段階になった”から入ったので、いつでも入れるわけではなくて、現場で状況がちゃんと見定められることが重要です。そんなことが台風の目の中に入った初めての観測を経てできるようになったんです。
■アメリカや海外の研究に追いついた日本の台風研究、これからのカギは「無人航空機」による観測
――スーパー台風の実観測に成功したことは、どのような影響があったのでしょうか。
こうした観測ができるようになって、ようやく海外や米国の研究と肩を並べることができるようになりました。西太平洋は地球上で一番強い台風、強い熱帯低気圧ができる領域なので、そういうところは世界中の研究者が注目しているんです。
我々は、目の中の暖かい空気「暖気核」と呼ばれるものの全層観測にトライしました。暖気核は、周囲よりも10~20度温度の高いエリアで、中心気圧を下げて台風の勢力を強める、台風の勢力を決める重要なカギです。そういう観測は米国もほとんどやっていない。しかも目の本当の中心、芯で観測することはほとんどされていない。そういう意味で非常に独創的な観測でした。4回やって、4つの台風を観測できたことは幸運なことでした。
――これからの目標は?
究極的には「台風の強度」を正確に予測したいです。しかし、そもそも台風がどういう構造をしているかがまだ分かっていないので、どのような観測をすべきか、その観測値をどう数値予報に生かすか、そのノウハウもまだわかっていません。
その解明には、今までは年に1個の台風でしかできていないこの観測を、数多くやっていかなければいけません。日本は毎年、平均すると11個台風が接近します。それを全部観測するんです。でもそれをやるのに有人飛行機だと限界があるので、10年後20年後には無人航空機で観測するのが目標です。有人機だとお金もかかりますし、体力的に無理なんですね。1回、フライトして5時間、それを2日くらいやるのですが、1回やるともう大変だと。そこを無人機だと1日2回3回、それを毎日やっても可能だという飛行機をつくらなければなりません。
この先10年くらいは有人機でやらざるを得ないので、多様な台風観測、経験を積み重ねて、その先に無人機観測があるんじゃないかと思います。たとえばいまは台風の発達期を観測していますが、もっと初期の段階から観測する必要があります。いまは日本のFIR(※3)という飛行情報区だけを飛んでいますが、本当はフィリピンの海上なども飛ばなければならない。人間が乗ってこういう状態だからここを観測するというノウハウが蓄積されて、初めて無人機の観測ができると思っています。
(※3)FIR…国際民間航空機関が各加盟国に割り当てた空域で、各国はその空域内を通行する航空機に運行する情報を提供する。
――そのためにいまは何が課題ですか?
台風は、まだまだ未解明の部分がとてもたくさんあります。たとえば970hPaから920hPaに気圧が下がるということは、1平方メートルあたり500キログラムの空気を取り除くイメージです。1平方メートルでその重さなので、台風だとその範囲が何10万平方キロメートルに及んでいます。それをたった1日で、そのものすごい質量の移動をどうやって起こしているのか、それはまだまだ分かっていません。
また、普通に考えると、台風の目を囲む「壁雲」という部分は、一重の強い構造で進んだほうが、台風にとっては効率的なはずなんです。ところが、自然はどういうわけか二重の壁雲を選ぶんですね。これが不思議です。なぜ一重じゃなくて二重にならなければいけないのか、そういう状態をどうして自然は選ぶのか、そういうことも分かっていません。
台風の研究は、富士山でいうとまだ1合目くらい、まだまだですね。山頂は雲の中に隠れていて、そこにはどんな風景がまだあるか分かりません。
■“台風の犠牲者ゼロ”を目指して、これから高まる気象学の重要性
――自然災害も増えて、気象学の重要性はさらに高まっているように思います。
気象学はサイエンスの側面と、社会的な側面と、非常にオーバーラップしている研究領域なんですね。学術的な重要性と社会的な重要性、両方が大事で、特に台風は日本の自然災害の最大要因です。
「台風によって誰も命が失われないような社会」というのが、われわれ気象学者が目指すべき社会だと思います。今、かなり避難ができるようになってよくなってきましたが、それでも数年おきに100人以上亡くなる台風が起きています。そんなの1つの台風で多くの人が死ぬような国は、ほかにないと思います。そのために正確な台風の強度や、その先にある雨量のデータが必要になります。まだまだ時間がかかりますが、それに一歩一歩でも進んでいけるようにすることが大事だと思います。
――坪木さんがこれまで大事にされてきた言葉はありますか?
「観測とは 自然を心の眼で観ること かつ正確に測ること」という言葉です。気象学の基本というのは観測です。でもただ「測る」だけでもだめだし、ただ「観る」だけでもいけない。両方知識を持って、“心の眼で見る”。しかも“正確に測る”、ということが観測なんだと。そう思って僕は観測しています。