ヒトゲノム解読がもたらしたものを榊佳之さんが語る【博士の20年】

NHK
2023年4月14日 午後1:38 公開

サイエンスZEROが始まった、今から20年前の2003年は、新型肺炎SARSの世界的な大流行や、日本の小惑星探査機「はやぶさ」の打ち上げなど、科学の世界が大きくにぎわった1年でした。中でも、人類の医学の世界に革命をもたらした出来事が「ヒトゲノムの完全解読宣言」です。

世界6か国の先端研究を持ち寄り、人体の設計図とも言える「ヒトゲノム」を、解き明かしたとして、全世界に大きな衝撃を与えました。「ヒトゲノムの解読」はどのようにして行われたのか?また、私たちの生活をどのように変えたのか?

当時、日本の代表で、ヒトゲノムの解読プロジェクトに携わった、榊佳之(さかき・よしゆき)さんに、ヒトゲノム計画がもたらしたこの20年の変化、さらに、これから先の未来に、私たちとゲノムの関係がどのように変化していくのか、伺いました。

人体の設計図「ヒトゲノム」

―2003年に解読宣言がだされた、「ヒトゲノム」とは何ですか?

ヒトゲノムとは、人の細胞の中にある「染色体(※1)」、さらにその中にある遺伝情報のことをいいます。遺伝情報は、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4文字の組み合わせからできていて、人ひとりの体に書かれている遺伝情報は、だいたい30億文字といわれています。

※1)細胞の核の中にある、DNAや多くの遺伝子が格納されている構造体のこと。正常な細胞の中には、23対46本の染色体が含まれている

今までは病気などの個別の現象から、帰納的に病気の原因など色んなことを推察していましたが、ヒトゲノムという人体の設計図を手にしたことで、演えき的に物事を理解できるようになったんです。ヒトゲノムが医学やその他の生活に関わることで、全く新しい時代に入ったなというのが当時の我々の感想ですし、多くの人の感想だったと思います。

目指すは人類の財産を作る研究!“個別研究”から“国を超えて”取り組むビッグプロジェクトへ

ー「ヒトゲノム計画」は、どのようにスタートしましたか?

実は、1980年の中ごろから、私たち人の遺伝子配列をすべて読み解こうという取り組みが始まっていました。科学というよりも医学の分野でしたが、80年代の前半からだんだんいろいろな遺伝子が見つかってきて、病気がどのようにして起きるのかという理解が個別にどんどん深まってきたんですね。

一方で、個別に分かってきたことから、全体を理解するのは非常に難しいということも分かってきたんです。それで1986年ごろに、がんの遺伝子研究をされていた、レナート・ドゥルベッコ(※2)という先生が、「全部のゲノムを読み取って、物事を体系的に考えるやり方が大事なんだ」と、著名なサイエンス誌上で発表されたんです。

これがきっかけで大きな火がついて、研究者たちの結束が強まっていき、1991年から世界5か国(※3)が国際共同研究として、人体の設計図の全体を解読しようという目標を掲げて、「ヒトゲノム計画」のプロジェクトは始まりました。

※2)イタリア出身のウイルス学者。1975年に腫瘍ウイルスの研究が評価され、ノーベル生理学・医学賞を受賞

※3)アメリカ、イギリス、日本、フランス、ドイツの5か国、後に中国も参加し、6か国となった

ー当時の世界各国の研究者との関係を振り返ってみてどう思いますか?

ひと言でいうと、「戦友」という関係がふさわしいと思いますね。ヒトゲノムの解読プロジェクトを行っていた当時も、研究成果を争うライバルの関係というよりは、一緒にせっさたくまし合う戦友という形で進んできたというふうに思います。だから、とてもみんな仲間意識が強くて、お互いファーストネームで呼びますし、今でも私がフランシス・コリンズ(※4)にメールを送って、「Hi!フランシス!」と話しかけると、向こうからも「Hi!ヨシ!」って返ってきますから、そういうような関係が現在も続いているわけですね。

※4)アメリカ合衆国出身の遺伝学者。元米国立ヒトゲノム研究所所長

当時、世界各国が共同でプロジェクトに取り組むことは一般的だったんですか?

当時はサイエンスのコミュニティというのはそんなに活発でなくて、1人1人の研究者は自分の研究ということで頑張って競争していたわけです。しかし、ヒトゲノム計画においては、ジェームズ・ワトソン(※5)とジョン・サルストン(※6)が「ヒトゲノムは人類全体の共有財産だ。より大きく発展させるためには、個別で争わずに新しい共通基盤をつくらなければならないんだ」と強く主張したことで、みんなそれに賛同して、この国際共同プロジェクトは始まったんです。

1996年には参加国を代表する研究者がバミューダ島に集まって、「バミューダ原則」というものを宣言しました。「私たちはヒトゲノム計画で人類の共通の財産を作ります。だから、研究機関、研究者それぞれが自分のデータとして取り込んで蓄えるのではなく、全ての研究成果をデータベースとして世の中に公開しましょう」と。

この宣言がきっかけで、研究の情報を逐次流して、それを使って医学や医療、あるいは他のものを発展させていく形をとろうと、プロジェクトの参加国がある種の共通認識を持ったんです。「バミューダ原則」はヒトゲノム計画にとっては大事な意義を持った出来事だと思いますね。

※5)アメリカ出身の分子生物学者。DNAの二重らせん構造を発見したことで有名

※6)イギリスの生物学者。イギリスのサンガー研究所の所長を務め、「ヒトゲノム計画」を指揮した

解読の速さと技術で世界を驚かせた 日本の研究者たちの活躍

ーヒトゲノム計画において 日本はどういう役割を担ったのですか?

私達人間の染色体は24個もありますから、どこの国がどの染色体を担当するかということを話し合って順次解読作業を進めたんです。日本は、最終的に11番と21番の染色体を中心となって解読して、さらに、8番、18番、22番染色体の解読にも貢献しました。

実はプロジェクト全体で一番最初に染色体の解読が終わったのは22番染色体で、1999年の12月に解読完了を発表しました。非常に小さな染色体なんですが、これはイギリスの研究機関と、日本の大学が一部入って解読したんです。

さらに、22番に次いで解読が完了したのが、日本が主導で解読した21番染色体で、2000年の5月に解読を完了して発表しました。日本が立て続けに成果を発表できたことは、当時、国際的なインパクトがあったことは間違いないですね。

ー日本の高い解読技術のポイントは?

日本は解読方法の面でも大きく貢献したんですね。ヒトゲノム情報の解読をするにあたって、はじめに、和田昭允先生(※7)が「人の手でやっていてはとても実現できないし、もっと工学的な手法を取り入れて“自動化”をするべきだ」という提案をしたんです。この提案は非常にインパクトがあって、ヒトゲノム計画を打ち出したドゥルベッコも和田先生に賛同して、そこで皆さん自動化という意識を持ったわけです。

こうした流れをくんで日本の電機メーカーとアメリカの企業が共同で開発したのが、「キャピラリーシースフロー(※8)」と呼ばれる画期的な技術を搭載した、当時新型の「DNAシーケンサー(※9)」と呼ばれる機械です。この登場が「ヒトゲノム計画」の流れを変えたのは間違いないと思いますね。

これによって、1台当たり1日およそ60万文字ものゲノム情報を解読できるようになりました。それまでよりも10倍以上速いスピードでできるので解読作業をぐっと短縮できるわけです。これがなかったら5、6年は解読完了宣言が遅れていたんじゃないかと思います。

※7)日本の生物物理学者。DNA解読作業の自動化を提唱した

※8)液体の分離技術の一つ。細いキャピラリー管を利用して混合物中の成分を分離・検出する方法

※9)DNAの塩基配列(遺伝情報)を解読するための装置

ヒトゲノム解読で飛躍的な発展を遂げた「がん治療」

ーヒトゲノム完全解読宣言から20年、どのようなことができるようになりましたか?

ヒトゲノム解読によって一番進んだのは、「がん」の治療だと思うんですね。がんとなった組織と、正常な組織とを比較することで、どの遺伝子が変化してがん化したのかということを特定できるようになってきたんです。

今、がんと関係する数百を超える遺伝子が分かってきています。それによって、患者のがんがどういうタイプなのかということが分かるようになり、ゲノムをベースにおいて治療するという、「がんゲノム医療(※10)」の分野が確立されつつあります。

※10)がん細胞の遺伝情報を解析し、がんの種類や進行度に応じた個別化された治療を提供する医療アプローチ

もう一方で、特定のがんの遺伝子に対してしっかり効く「分子標的薬(※11)」という薬の開発も、2010年ぐらいから進んできています。ヒトゲノム情報によって異常を起こしている遺伝子を特定できるようになったことで、この遺伝子の変異してるがんならこの薬が効きますよというようなことが言えるようになってきたわけです。もちろん、全てのがんでうまくいくというわけではありませんが、今では、全く新しいスタイルのがん医療に変わってきたというふうに思います。

※11)がん細胞の特定の分子や遺伝子に作用することでがんの成長や進行を抑制する医薬品

新たな学問も誕生!?進化が止まらないDNA解析技術

ーゲノム情報の“活用”のほかに進展があったことは?

ゲノム情報の活用と同時に進化してきたのが、DNAシーケンサーを用いたゲノム解析の技術で、この20年でDNAシーケンサーのスピードとコストのパフォーマンスもすごく上がってきたんです。ヒトゲノム解読を行っていた当時は、人ひとりのゲノムを決めようと思うと、およそ200億円ぐらいかかっていました。

しかし、現在はおよそ10万円ほどでゲノムの解読ができるようになり、解読に要する期間も数日ほどと、大幅に短縮できているんです。「パーソナルメディシン」という言い方をしますが、こうした技術で一人一人に合った医療ができる時代になってきたわけですね。

昔はある薬を使ってこれは効果があるか、リスクはあるかということは、集団の中でリスクがあるか調べて判断していました。しかし現在は、DNAシーケンサーの進化によって、この人にはこの薬はいいですか?ということを遺伝子のタイプから判断できるし、治療戦略もより緻密に立てられるようになったんです。このような変化が起きたことはもう明らかな大転換だと思います。

ーより個人にあったデータ解析になると、そのデータ量も膨大ですよね?

そうなんですが、これをきっかけに新たな学問まで誕生しているんです。DNAシーケンサーの進化によって、ものすごいスピードでヒトゲノムを読めるようになり、膨大なデータが出てくるわけですよ。いっぱいデータ生産しても、ちゃんとデータ解析ができるサイエンスがなければいけなかったんですが、ちょうどヒトゲノム計画の時期に、その膨大なデータをどうやって処理するかということで、「バイオインフォマティクスクス(※12)」という情報とカップルした学問が新たに確立されました。

現在は、コンピューターの方もすごい高速化してきて、大量のデータを迅速に処理できるようになり、20年前と今とはもう時代が全く違うという感じがしますね。

※12)生物学的データをコンピュータを用いて解析・管理するための学問分野

ーこれから先、人とゲノムの関係はどのように変化していくと思いますか?

医療の分野においては、マイナンバーカードにマイクロチップなどを搭載して、そこに持ち主の遺伝情報を全部読み込んでおく。病院に行ったら「この人はこのタイプですよ」ということが判断できたり、何かの解析結果もそこに入っていると、「こういうふうに治療したらいい」ということができるようになるのではないかと思います。

そうなると多分お医者さんでなく人工知能がすごく発展して、ゲノム情報から治療法をサジェスチョンするような、良いか悪いかは別として、そういう時代が来るのではないかという気がしますね。

そのほかでいうと、ゲノム解析されるのは人だけでなく、環境ゲノム(※13)というか、植物や微生物などの様々な生き物のゲノム情報が解析される。ゲノム解析によって生き物への理解を深めながら地球環境の問題などをいい方向へ持っていったり、ゲノム情報から人間と地球環境との共生を考えていったりする、そういう時代がこれから展開するんじゃないかとも思いますね。

※13)特定の環境に生息する生物のゲノム情報全体のこと

研究のすそ野が広いほど よりよい成果が生まれる

ーゲノム解読において、今後の課題は?

一つ考えられるのはこれだけいろいろな知識とか情報が増えてきて、最先端の科学を実現できていますが、これだけの成果をどうやって一般の社会に展開できるかということが課題だと思います。DNAシーケンサーもどんどん高度化していますが、まだお金はかかるし、ごく限られた人しか利用できないわけです。だからもうちょっと広く一般の方の健康診断とか、日ごろの検診とか治療の現場に落としていくためには、あまり高度すぎないで皆が使えるような技術に変換していく必要がある、これも結構大事なことだと思いますね。

あとは、研究者となる人材の育成ですね。私たちはピンポイントで人のゲノムを解読することをやったんですけども、この解読した情報をちゃんと活用するためには、国全体で研究のすそ野を広げる必要があるんです。基礎となる研究をしている人たちの力を育てないと、大きな発展は生まれない。やはり学問的なすそ野が広い方が、その上でいい成果が生まれてくるんですね。だからやっぱり地道に人材育てることそれが大事ですし、それから日本は日本人にこだわるけれども、もっと海外の人たちを受け入れながら研究のすそ野を広げていく、活性化していくということがすごく大事だなと思います。

ー未来へ託す思いは?

2003年当時、私たちは勇ましかったから、もうどんな病気でもゲノムを元にして治す戦略が生まれてくるはずだと考えていました。だけど、やっぱり人間に限らないで、生き物というのは簡単ではなく、治る人もいれば治らない人もいて、いまだに治療法や解決法が見つからない問題はたくさんあるということが、逆にヒトゲノムの解読結果から分かってきました。そういう難しい課題を残してしまったことが心残りではありますが、次世代の研究者たちにはその課題をぜひ解決してもらいたいですね。そのためにもゲノム情報を有効に活用していってもらいたいと思います。