“博士が子どもだった頃”vol.7 火星に挑むNASAエンジニア「小野雅裕博士」

NHK
2022年7月15日 午後0:00 公開

「地球外生命はいるのだろうか?」

人類が長年抱いてきたこの謎を解くカギを握ると注目されているのが「火星」です。35億年前は豊富な水をたたえ、生命が生まれていた可能性があるのではないかと考えられています。今月、生命の痕跡を見つけようと、火星でのミッションに挑むNASAの探査車「パーシビアランス」が、10本目となるサンプル採取に成功しました。2030年前半に地球に持ち帰る予定で、史上初の火星からのサンプルリーターン計画として世界中から注目を集めています。

去年8月に放送した「サイエンスZERO」では火星に到着したばかりのパーシビアランスに迫り、その驚くべき高度な性能の数々をご紹介しました。中でも大きな特徴は、自律走行できる距離を150mから200mに伸ばし、地球からの操縦による走行距離と合わせると、先代の探査車に比べて2倍以上と大幅に伸ばしたことです。その秘密は自律走行を制御する、桁違いに高性能な人工知能にあります。

実は、この自律走行システムの開発に携わったのは、日本人エンジニアです。NASAジェット推進研究所(JPL)の小野雅裕さんは、最初の挑戦ではNASAからオファーをもらえないという挫折を経験しながらも、夢を諦めずに二度目のチャレンジをしてNASAの一員になりました。宇宙の謎を解き明かそうと研究開発を続ける小野さん、その夢を後押しする原動力はどう育まれたのか、子ども時代のお話を伺いました。

―どんな子ども時代を過ごしていたのでしょうか?

電機メーカーのエンジニアをしていた父と、英語教師だった母の間に生まれました。幼少の頃は、電車や恐竜といったいわゆる普通の男の子たちが好むものが大好きでした。どちらかというと奔放なぼくの性格は母に似ていますが、科学への興味を持ったのは、父の影響を大いに受けていると思います。

父は科学が大好きで、毎日のように科学番組や科学雑誌ばかり見ていました。父が見ていたら自然に一緒に見ちゃうんですよね。父は特に天文が好きで、1986年、ハレー彗星が来た時のことを覚えています。一番鮮明なのはハレー彗星自身じゃなくて、ハレー彗星が来たことにとても興奮している父の姿です。

近くに天文マニアの父がいて、科学や天文に触れる機会が多かったことは、幸運でした。大事なのは、教える側がそれを本当に好きだということ。それは子どもにも伝わると思います。

―天文好きのお父さんの影響が大きかったんですね。

幼稚園の年長の頃、父が立派な天体望遠鏡を買ってくれました。きっと、父は自分が欲しかっただけなのだと思いますが、毎週末、夜になるとぼくをベランダに連れ出し、月や火星、木星のしま模様や、土星の輪っかといった美しい星の姿を見せてくれました。

同じ星を何回見てもおもしろいんです。たとえば、月は肉眼でもその表面は見ることはできますが、望遠鏡で拡大して、クレーターの凹凸を見ると、「あー!全く違うんだ!」と実感します。「山があってクレーターがあって、歩けそうだな」とか「むこうにも世界があるんだ」といろいろな思いが浮かんできて、ワクワクするんですね。

図鑑でアポロの写真を見たことがあったので、月には山やクレーターがあることは知っていましたが、子どものぼくの頭の中では、それが望遠鏡越しの現実の光景とはつながってなかったのです。月の存在を実感させてくれる、それがぼくにとっての望遠鏡でした。

        (写真提供 小野雅裕氏)  

―探査機「ボイジャー2号」の海王星接近が、宇宙の仕事に就きたいという思いが生まれたそうですね。

「ボイジャー」というのは「旅人」という意味ですが、1989年、ぼくが小学校1年生の時に、探査機ボイジャー2号が45億キロかなたの海王星にまで接近しました。人類が初めて間近に見た海王星は、透き通るようなそれはきれいな青い色をしていて、目に焼きついています。

その頃、父は毎週末、テレビにかじりついてボイジャー2号のニュースや番組を見ていました。ボイジャー2号は、トリトンの氷の火山の噴煙、海王星の大暗斑(※1)を発見し、いろんなことがどんどん分かっていって、人類の「未知」が「既知」に変わっていく瞬間を子どもながらに、目の当たりにしました。これはすごいことですよね。

父はボイジャー2号のすごさをビー玉を使って、説明してくれました。ビー玉の大きさを地球とすると、飛行機が飛んでいるのはビー玉の表面からたった0.01ミリの高さ、月は45センチ、太陽は180メートル、そして海王星は5キロも先だというようにです。

そんな離れたところから画像が送られてきたんです。宇宙がどれほど広いのか、地球がどれほど小さいのかを知り、ますます感銘を受けました。そして、いつか宇宙に関する仕事をしたいと夢見るようになりました。

※1 大暗斑…海王星の南半球に見られた暗い楕円形の部分。地球のオゾンホールのような大気成分の薄い場所であったと考えられている。1994年ハッブル宇宙望遠鏡の観測によると、大暗斑は消滅し、類似の斑が北半球に現れていた。

―子ども時代はどんな本やテレビを見ましたか?

宇宙に限らず、生物や恐竜、乗り物も含めて科学に関する本や図鑑を繰り返し読んでいました。特に印象に残っているテレビは、NHKスペシャル「銀河宇宙オデッセイ」(※2)「驚異の小宇宙 人体」(※3)のシリーズで、VHSで録画して、画質が悪くなっても何度も見ました。10回じゃきかないですね。「人体」では免疫機構の放送回で、マクロファージやT細胞の動きが当時としてはまだ珍しくCG化されていて、子どもながらに、体の中にはあんなにスマートな仕組みがあるんだと感動したのを覚えています。

※2 「銀河宇宙オデッセイ」…1990年放送。高感度ハイビジョンカメラなどで捉えた数々の天体現象をドラマ仕立てで紹介する科学番組。

※3 「驚異の小宇宙 人体」…1989年~1999年放送。人体の精緻な動きを電子顕微鏡などの実写映像に加えて、CG、特殊映像を駆使して描いた科学ドキュメンタリー番組。

最初は内容が難しくて理解できなくても、父に聞いたり、何度も見ているうちに分かってくるんです。ノーベル賞を受賞した物理学者のリチャード・ファインマンの言葉に、「もしもサイエンスをおもしろいと思わないのなら、それは先生のせいだ」という言葉がありますが、科学は根本的におもしろいものなんです。

―夢見ていた“宇宙の仕事”に就きたいと決めたのは?

大学の工学部に入って、具体的に何しようかと思ったとき、やっぱり迷いなく「宇宙」でした。分からない謎を調べるサイエンスが大好きで、宇宙には分からないことがこれだけあるという魅力と、もうひとつ、もの作るという、いわゆる工学的なことが大好きだったからです。

人間のこと、恐竜のことなど謎はいろいろありますが、宇宙って、エンジニアでありながら、サイエンスに貢献できる最大の領域です。我々エンジニアが宇宙観測機を作って火星にとばして、大発見なんてできたら一石二鳥だなと考えました。

―大学卒業後に留学したアメリカではどのように過ごしましたか?

アメリカの大学に通いだして半年間は本当に大変で、それまでの自信がみるみるへし折られていきました。

まず授業では、チームに分かれて人工衛星を設計する時間があるのですが、そのミーティングでは、よくしゃべり主張するアメリカの学生たちの中で、ぼくがつたない英語で述べても、なかなか聞いてもらえません。数理的能力には自信がありましたが、伝えるための能力が圧倒的に低く、大変でした。ぼくがしゃべり終わってないのに割って入られたりすることもしばしばで、自尊心がとても傷つきましたね。

さらに、交友関係での苦労も大きく、よく開かれていた飲み会では、騒がしい中でくだけた英語を聞き取るのは難儀なことで、みんなが笑ってても、ぼく一人だけ理解できずにいました。オチを聞き返すのも怖くて、作り笑いもしました。会話に入れず、手持ち無沙汰でお酒が進み、楽しくないのに酔いだけまわるという悪循環で、忙しいと言って飲み会を避けることもありました。

―つらい留学のスタートでしたが、どうやって乗り越えたのですか?

自尊心がズタズタだったので、もうこれは死ぬほど努力するしかないと覚悟を決めました。授業のミーティングでは、現地の学生のしゃべりには太刀打ちできないと思ったので、代わりに自分ができることを考えました。ミーティング中は主張があっても黙って我慢し、寮に戻ったあと、ミーティングで自分に割り当てられた仕事を必死で頑張りました。猛勉強して、書いてアピールして、チームメイトに認めてもらおうと思ったんです。

一方で、雇ってもらいたい研究室の先生の前では、なりふりかまわず、泥臭く立ち回りました。その先生の人工衛星の授業では、たとえぼくが知っていたことでも、知らないふりをして手を挙げて質問したり、その先生とのランチイベントでは、一番前に並んで、先生の隣の席をとったりました。とにかくぼくの名前を覚えてもらいたかったんです。

ある夜、その先生から、提出したリポートの中のぼくが担当したセクションについてのメールが届きました。「文法やスペルに問題があるが、このセクションの技術的内容はすばらしい」というコメントで、ぼくが付きたいと思っていた先生がぼくを認めてくれたのです。飛び上がらんばかりにうれしかったのを鮮明に覚えています

        (写真提供 小野雅裕氏)                        

―そして、いよいよNASAを目指されたんですね。

アメリカ留学中に、宇宙の仕事に就くという夢を諦めかけた時期もあったのですが、2010年に山崎直子さんを乗せたスペースシャトルが打ち上げられるのを間近で見て、「やはりぼくは宇宙をやるんだ」と思いました

NASAのジェット推進研究所(JPL)を目指しましたが、アメリカの就職活動は日本と全く違い、大学の成績や研究成果が重視されます。部署別採用が普通で、給料も一律ではなく、スポーツ選手のように交渉で決まります。さらに、「コネ」が重要で、と言っても縁故ではなく、自分の能力を認めてくれるしかるべき推薦人という意味で、大学の指導教官や昔の上司などです。学習態度や働きぶりを確認するのです。

そこで、アメリカの大学の研究室の先輩で、JPLで働いているイギリス人に推薦人になってもらいました。ぼくの研究を高く買ってくれていて、おかげでJPLの書類審査は難なく通過し、面接を受けました。面接は1日で十人弱と立て続けに行われ、さらに、自分の研究について1時間ほどでプレゼンテーションします。これには、心底疲れました。

ところが、数か月たっても返事がこず、こちらからJPLに何度か連絡すると「君を非常に気に入っているが、今は君を雇う予算がない。もう少し待ってくれ」という返事。何度聞いても同じ回答で、結局9か月待って、オファーをもらえないことを知りました。この時のショックは大きく、ひとりで声を殺して泣きましたね。そして、アメリカの大学の博士課程を修了後、日本の大学の助教職に就くために帰国することにしました。

―それでもNASAへのチャレンジを諦めなかったんですね

自分でもなんと執念深いのかと思いますが、日本での就職が決まっていても、やっぱりJPLへの思いは冷めませんでした。そんな中、当時、JPLにいた日本の大学のときの先輩が、JPLでインターンの機会があると声をかけてくれました。

その研究プロジェクトは、「火星などへの着陸や走行の不確実性にどう対処するか」がテーマだったのですが、当時ぼくが博士課程で「不確実性がある環境下でのプランニング」を研究していたので、ちょうど応用できると思ったんです。予定していた旅行をとりやめ、二つ返事でインターンに向かいました。是が非でもこのチャンスをものにしたいと思いました。

インターンの2か月は、昼夜も土日もなく研究しました。3週間でまとまった結果を出し、次の2週間でそれを論文にし、国際学会に提出、さらに残りの時間でもうひとつ結果をだしました。ぼくの博士研究やJPLでの成果をセクションのマネージャーの前でプレゼンしましたが、準備と練習に30時間かけたかいもあり、質問もたくさんもらいました。われながらベストのプレゼンテーションができたと思います。

その半年後、JPLから念願のオファーのメールが来たんです。連絡を受けたときはすでに日本の大学で働き出していたのですが、JPLに行くことを決めました。

(写真:小野さんが開発に携わったパーシビアランスの自動走行のアルゴリズムのイメージ〔右〕と以前の探査車のイメージ〔左〕)

―現在アメリカで6歳のお嬢さんと暮らされていますが、子育てで気をつけていることはありますか?

娘が「雲はなんで落ちないの?」とか「どうして昔の写真は白黒なの?」とか、いろいろ聞いてきますが、どんな質問をしてきても、ごまかさずに、答えられる限りまじめに答えようと思っています。

子どもが質問するときは興味を持った大事な瞬間で、ぼく自身、子どもの頃、父にいろんなことをその場で丁寧に教えてもらって、「あーそうか!」とすぐにふに落ちた経験を積み重ねているからです。

子どもに説明するのって難しいですが、直感的に分かってもらう何かしらの方法があると思うんです。科学の分野は分かることが多いですが、それ以外の分からないときは、本やネットで調べたりすることもあります。

―子どもを持つ親として、同じような親世代の方々に伝えたいことは?

いろいろな本物を見せて、体験させて、夢中になるそれぞれの「固有振動数」を見つけてほしいです。固有振動というのは、そのモノ特有の揺れやすい振動のことで、例えば「音叉(おんさ)(※4)」と同じ高さの音をピアノで出す、つまり固有振動数と同じ振動を与えると、音叉は大きく振動して鳴ります。これと同じで、子どもが持つ固有振動のようなものにぴったり合うものがひとつでも見つかれば幸せですよね。

ぼくもですが、親は自分の子どもに何が合うのかはそう分からないものです。先日、帰国したとき、家族で関西に行ったのですが、娘を大阪の道頓堀や海遊館に連れて行き、京都では和菓子作りなどいろいろ体験しました。娘にとって和菓子作りは大ヒットでしたが、本当に何が響くのはいまだに分かりません。

※4 「音叉(おんさ)」…たたくと特定の周波数の音を発するU字型をした金属製の音響器具。楽器調律や音の実験に使われる。

―小野さんの次の夢は?

海王星ミッションをやりたいですね。もともと海王星にボイジャーが行ったのを見て、宇宙の世界に引き込まれていったので。10年か20年後にNASAで海王星ミッションをする可能性もあるので、そこに入れてもらえたらいいですね。