世界初の技術開発を導く“NASAと違う”日本の宇宙戦略【博士の20年vol.8】

NHK
2023年3月15日 午後3:00 公開

小惑星探査機「はやぶさ」が幾多の困難を乗り越えて地球に帰還したことは、多くの人の記憶に刻まれているのではないでしょうか。はやぶさは、今からちょうど20年前の2003年に打ち上げられ、小惑星「イトカワ」からのサンプルリターンに成功しました。その後、「はやぶさ2」も小惑星「リュウグウ」からサンプルを採取して地球に持ち帰るなど、今やサンプルリターンは日本のお家芸と言われるまでになりました。

こうした偉業の裏には、「NASAと同じことをやっていてはダメだ」と考え、日本の強みをいかした独自路線を切り開こうとした研究者たちの執念がありました。「太陽系大航海時代」とも言われる今、はやぶさのプロジェクト・マネージャを務めた川口淳一郎さん(JAXA元シニアフェロー)さんに、はやぶさを成功に導いた知られざる戦略と今後の宇宙探査の展望を伺いました。

小惑星探査機「はやぶさ」の出発点は「NASAと同じことをしてもダメ」だった

―ご自身の研究を振り返ると、どういう20年でしたか?

「低推力推進」を使った飛行、つまり「イオンエンジン」を実用化したことがポイントになっていると思います。かつては、低推力推進というのは教科書に出てくる例題ではあっても、実際に飛行に応用するのは「夢物語」でした。そういう机上のものでしかなかったものを実用化させたのが、一番意味が大きい事だと思います。「低推力でも持続的に推進できるエンジンを積んで、最少の燃料で行ける飛行計画を考える」ということを日本が主導して行えるようになったというのが、とても素晴らしいことだと思います。

―それを切り開いたのは、小惑星探査機「はやぶさ」ということですね?

そうですね。何がきっかけだったかと言うと、「アメリカのNASAと同じような事を日本がしてもダメ」ということです。同じようなことをやっても、どうせ先に軽々とNASAがやってしまうわけですから。それが出発点で、そういうことを考えていた30年ぐらい前は、ある種の開き直りをしていた時期なのかもしれません。

日本では、「惑星探査」はそんなに古くからやっているわけではなくて、ハレー彗星(すいせい)を目指して打ち上げたのが80年代半ばで、そのときは単純に飛ばすだけでした。その後の「ひてん」という実験機では、「スイングバイ」という天体の重力を使って軌道操作を行うという飛行に関するいろんな技術を蓄積したというのがやはり大きかったです。そんな中に一貫してあったのが、「NASAと同じような事をやってはダメ」なんだと。その結果、それまで例題でしかなかったような飛行を、実際の飛行で使うことに乗り出せたということです。

「イオンエンジンは惑星探査に向いていた」?

―「イオンエンジン」(低推力推進)が実際に形になった時、川口さんはどう思いまたか?

イオンエンジンはそれこそ宇宙開発が始まった頃からあるものなんですが、実用化が難しかったんです。イオンエンジンは性能が良くても電力を食うんですよね。普通の宇宙機に比べて、大きな太陽電池が必要だということになります。イオンエンジンを使っている「はやぶさ」「はやぶさ2」は太陽電池がかなり大きくなっています。

実は、エンジンとしては高性能だけど、他に必要となる装置がすごく重いので、普通はそう簡単にいろんなプロジェクトに使えないんです。唯一それまで実用化していたイオンエンジンの使い方というのは、補助的な使い方でした。例えば、静止衛星の軌道が動いていくのを止めるために、少しだけ電力をもらってやるというのは今もやっていますけどね。

でも、そのイオンエンジンが、実は「惑星探査」には向いているんです。地球を周回する科学衛星は、飛びだしたらすぐに電源を入れて、どんどん観測しますが、惑星探査というのは、到着するまでは、そういう機器に電源を入れる必要がないわけで、電力が余っています。だから、はやぶさのような往復飛行をさせるには、イオンエンジンが向いているんです。だから不思議な話で、たまたま、いいコンビネーションでかみ合ったということで、幸運だと思います。

NASAよりも先に実現した核心技術!「再突入カプセル」「イオンエンジンの主エンジン」の数々

―「はやぶさ」では川口さんはプロジェクト・マネージャをされていましたが、技術的な革新は他にもあったのですか?

細かいことはいっぱいありましたね。1つは「ロボット」ということです。センサーを使って自分の位置を割り出すとか、普通の衛星では例がない話がいっぱいあるんです。カメラのストロボみたいなものですがフラッシュを持っていて、ターゲットマーカーとして使いました。宇宙でフラッシュをたいても地球が明るく見えるわけではないので、通常は探査機にフラッシュはのせませんが、はやぶさはフラッシュを使って天体の表面との間を計測して、自分で操作していくっていう使い方をしました。それが、まさにロボットそのものなんです。

もうひとつ重要な技術は、「再突入カプセル」です。日本では、カプセルを大気圏に突入させて回収するというのは、はやぶさより前にはありません。「日本ってそんな技術あったの?」と、海外から思われたんじゃないでしょうか。実はアメリカも、惑星間空間から直接大気圏に突っ込ませて回収するなんてやったことないわけです。はやぶさプロジェクトが立ち上がった後に、NASAもやらなくちゃいけないと気がついて「スターダスト」(※1)という探査機を立ち上げました。だから、すごくやりがいがあるというか、やっている道は正しいということでうれしかったですよね。

イオンエンジンも同じで、「主エンジン」として積むということは世界でもやっていませんでした。はやぶさプロジェクトが始まってから、NASAはDS1(Deep Space 1)という実験機で彗星(すいせい)をフライバイするというミッションを、イオンエンジンを使ってやったんです。すごくクイックに立ち上げて、さっさとやっちゃって、追い越されていくんですけど、NASAもイオンエンジンを主エンジンとして使うことに気がついたわけです。追い越されはしましたが、逆に言えば、自分たちの目指してることは正しかったということですよね。

※1 スターダスト・・・ヴィルト第2彗星とそのコマの探査を目的として1999年2月7日に打ち上げられ、約50億kmを旅して2006年1月15日に地球へ試料を持ち帰った。宇宙塵を地球に持ち帰った最初のサンプルリターン・ミッション。

開き直って立てた目標が「小惑星サンプルリターン」

―劇的な帰還劇となった「小惑星サンプルリターン」ですが、これも「NASAと同じことをしていてはダメだ」という考えが結実したものなのでしょうか?

最初にハレー彗星の探査機「さきがけ」を打ち上げた年が1985年ですが、その年に「次に我々が目指すべきものは小惑星のサンプルリターンだ」という、そういう研究会を開いているんですよね。私の先輩方も含めて議論して、そういう方向に傾いていったという実情です。

というのは、大がかりな、例えば火星着陸をやろうなんていう話になってくると、もう明らかに、NASAに対する技術的な遅れはとんでもない量があるんですよ。とても追いつけるような話でもないし、大がかりなロケットという輸送機関があるわけでもないですよね。

そういう議論をしながら考えていくと、太陽系探査をするのであれば小天体にこそ行くべきなんですよね。「小天体のサンプルリターン」というのは、我々の手が届く所にある1つの大きなゴールだろうという話で、80年代の半ばには、我々の間で1つのターゲットになっていました。

ただ最初に小惑星の探査計画を考えた時には、イオンエンジンも積んでいないごく普通の、非常にクラシカルな探査機で、「小惑星ランデブー」しようっていうもくろみでした。でも、NASAが「NEARシューメーカー」という探査機を打ち上げましたが、それが小惑星ランデブーだったんです。

これがしゃくに障るわけですよね。我々がやろうと思っていたことを彼らはさっさとやっちゃうわけで。普通の探査機ができる小天体探査をやっても、結局、NASAにとっては簡単にできるということで、それならと開き直って、かねがね考えていた小天体のサンプルリターンをすべきではないかということになり、プロジェクトになっていったというのが歴史です。

「はやぶさ」から「太陽系大航海時代」へ

―「はやぶさ」の打ち上げから20年が経ちました。「はやぶさ」は何を成し遂げたのでしょうか?

20年前というのは、はやぶさを打ち上げた年であり、ちょうどJAXAができた年でもあります。この20年は、なんといっても「『はやぶさ』が成し遂げた往復の宇宙飛行の時代」ですよね。近年、探査のスケールというのは、月など地球の引力圏の話ではなくて、太陽系全体のスケールの話になりました。「太陽系大航海時代」と呼べる、そういう時代に入ったんだと思います。

特に、はやぶさプロジェクトでは、再利用可能な往復の宇宙船の運用ができるようになりました。アポロや他の探査機は、宇宙船を切り離して、探査モジュールを全部捨てて、戻って来るのはほんのわずかというやり方ですが、はやぶさは地球を出た時の形と同じ形で戻って来ます。これは、再利用可能な宇宙船なんです。

もう一度、整備して、推進剤を入れ直せば、もう1回飛行に出られるわけですよね。太陽系大航海時代の中で、再利用可能な宇宙飛行ができるようになるという時代がもう来ているのかなと思います。そのうちに人間が往復するようになってきますよ。往復10年、15年という飛行を行う時代が、もう見え始めていると思います。

―川口さんが見据える太陽系大航海時代の技術で、他にカギになるポイントはありますか?

太陽系大航海時代を支えるカギは、なんと言っても「有人技術」ですね。宇宙ステーションもですが、長期滞在をすることについては、大きな進歩を遂げています。今後欠くことができない技術だと思います。

それから、太陽からもっと遠い場所を飛行するのであれば、太陽電池が使えないので「原子力推進」は欠かせないと思います。原子力推進は、まだ実用化されていませんが、いずれ登場してくるんじゃないかと思っています。

―今後20年に期待していることは?

1つは「生命探査」です。それからもう1つは、何年単位という飛行が可能になるような「有人飛行技術」ですよね。それこそ、人工の重力を作るとか、人工冬眠もそうです。それから、病院があるわけではないので、治療を行う事も自分たちでやらねばならないようになるでしょうから、こうした医学も含めた宇宙飛行の技術が伸びて、往復の宇宙飛行ができる時代に力を発揮する人が出てくればいいなと思います。

「受け身にならず、イノベーションを!」若い世代に期待すること

―ご自身の経験から、日本がこれからも独自の技術で宇宙に挑むには何が大事ですか?

「はやぶさ」「はやぶさ2」は、成果が残せているので、おかげさまで多くの方に理解をいただきました。理解者を増やすことができたというのは大きな事だったと思っていますね。大きな挑戦をするということは、これまで行ってきた延長ではなくて、全く違う事を考えなきゃいけないわけですよね。いけないってわけじゃないですけど、イノベーションってそういうものなので。

地道に今ある事を延長していくと、進歩は進歩なんですけど、そうでない事を考えるべきじゃないかなというのが、私の気持ちですね。そういう人が今、まさに登場してくるのかもしれませんから、ぜひ期待したいと思っています。私に「良き理解者」がいてくれたように、次は自分たちの世代、自分たちが良き理解者であるように努力しなくちゃいけないんでしょうね、そう思っています。

―若い世代に向けて、川口さんが今伝えたい事はありますか?

自らが努力しないといろんなことが開けていかないですよね。受け身になりがちなところが日本人には多いですが、何かが提供されていなくても自ら動くというのは大切なことですね。受け身にならないで、積極的な行動をとるような人材が増えてくれればありがたいなと思います。

私はずいぶん、むちゃなことをやってきたので、私の先輩方から見ると、何やってたんだと言われかねないところもありますが、いろんなことに取り組んでいってほしいですし、ぜひ頑張ってほしいなと思いますよね。