漂着イルカ・クジラから生態を解明! 新種発見も続くストランディング研究最前線

NHK
2023年7月14日 午後9:33 公開

大海原に暮らし、いまだ生態が謎に包まれているクジラやイルカ。その解明につながるのが、河川に迷い込んだり、陸に打ちあがったりしたクジラやイルカを調べる『ストランディング』の研究です。漂着したクジラから新種が見つかったり、体に蓄積された化学物質を調べて海洋汚染の実態が明らかになったり、ストランディングを通して知られざる海の世界が次々と解き明かされています。国内で年間300件ほど報告されているというストランディング。その現場に密着し、人と海が共存していくためのヒントを探りました。

海の謎に挑む!ストランディング研究者に密着

2023年1月、大阪湾にマッコウクジラが迷い込み、大きな話題になったことを覚えているでしょうか?クジラやイルカなどの海にいる生きものが、河川に迷い込んだり、陸に打ち上がったりする現象は、「ストランディング」と呼ばれ、年間300件ほど報告されています。

国立科学博物館・筑波研究施設の田島木綿子(ゆうこ)さんの元には、ストランディング発生の報告が全国から届けられます。田島さんはこれまで2000頭以上のクジラ・イルカを解剖し、病気になった原因など生き物たちの死因を探り、クジラやイルカの謎に迫ってきました。田島さんにとってクジラたちは、「わかってそうで、わかっていないことがたくさんある。圧倒的な絶望感と、圧倒的な期待感の両方が共存するような動物」だと言います。ストランディングは、そんな謎に満ちた生き物たちを知ることができる機会なのです。

なぜ大量漂着…命を繋げなかったイルカたち

2023年4月、千葉の海岸に30頭を超えるイルカが打ちあがったとの一報を受け、田島さんは現場へ駆けつけました。砂浜には、動かなくなってしまったカズハゴンドウの姿。妊娠している母親のカズハゴンドウもいました。田島さんは、今回のストランディングの原因を突き止めるため、研究施設に運んで解剖することを決めました。

ストランディングの原因は  暖流と寒流の水温差?

なぜストランディングしてしまうのか?田島さんたちは、これまでに3頭の解剖を終えています。そのうち1頭は寄生虫性の肺炎にかかっていて、死につながるほど重篤な状態でした。それが集団漂着の原因なのかは決定的ではないものの、社会性が高いクジラやイルカは、体調を崩した一頭がいると、それをかばったり、寄り添ったりしているうちに、群れ全体で冷水海域へ入り込んでしまうことがあります。

また、過去に発生した例では『低体温症』が原因の1つと考えられています。今回ストランディングが起きた場所の周辺には寒流の親潮と暖流の黒潮のぶつかる場所があり、大量にプランクトンが発生するため多くの魚が集まってきます。南方の海域に生息するカズハゴンドウもそういった食べ物を求めて北上するのですが、周りに比べて水温の低い“冷水塊”にトラップされて、人間でいう低体温症になって死んでしまった可能性も考えられると言います。

ストランディングは、世界中で調査が行われており、スコットランドの研究チームは、人間でも起きるアルツハイマー病と同じ所見がイルカの脳に見られたという研究成果を出しました。もしそれが群れのリーダーだったら、認知症のような症状を起こして群れ全体を誤った方向へ導いてしまう可能性があります。この説は『病気リーダー』仮説と呼ばれています。研究者たちは、死の原因を探るとともに、クジラたちの病気や生活などを丁寧に読み解いているのです。

解剖後は標本に クジラ・イルカの“死”は無駄にしない

ストランディングをしたクジラやイルカは、貴重な骨格標本としても研究に役立てられます。海の哺乳類は骨の中にも脂が多く蓄えられているため、高温で長時間かけなければ脂を抜くことができません。巨大な鍋のような装置に入れて煮続けること、3週間。その後は高圧洗浄機で丁寧に骨を洗い、乾かして組み上げて、骨格標本を完成させます。

『知らないクジラだ!』 新種という確信を生んだ1枚の写真

2019年、新種のクジラ発見が、世界の注目を集めました。海棲哺乳類の研究を長年行ってきた山田格(ただす)さん(国立科学博物館 名誉研究員)がクロツチクジラを新種として報告したのです。地元の漁業関係者のあいだでは、1950年代から北海道根室海峡付近に未知のクジラがいることは知られていて、一般的なツチクジラより小さく黒いため「カラス」と呼ばれていました。しかし、人前になかなか姿を見せないため区別されることはありませんでした。

2008年、山田さんの元へ、ストランディングをしたクジラの写真が届きます。

「知らないクジラだ」と驚いた山田さんは、まず骨の成熟度合いを調査して、大人であることを確かめました。でも、ツチクジラの大人は体長が10~13mほどになるはずなのに、このクジラは6.5mしかありませんでした。

発見から10年! 執念でたどり着いた“新種”認定

DNA解析からも新種であることはほぼ間違いないとわかりましたが、より確かであると示すため、世界中のツチクジラの骨格標本との比較調査を続けました。口先から噴気孔までの距離、胸ビレの幅など、計18項目にわたる外形的な特徴を徹底的に比べていきました。そして、それらの要素の特徴の分布が重ならないことがわかり、ようやく他のツチクジラとは違う「新種である」ことを証明できたのです。発見から10年という時間が経っていました。

生き物の多様な世界を守り未来につなげていくためにも、まずはその全容を把握することが必要です。ストランディングはそのための貴重な手がかりを与えてくれると山田さんは語ります。

「生物多様性はとても大事で、それを把握することも大事だし、我々が引き継いだ多様性を後の世代にあまり変化させずに伝えていく責任があると感じています。その多様性をはっきりさせるためには、“種のリスト”が必要になります。こうした研究を積み重ねることで、種のリストを少しでも完全に近づけることができると考えています」

終わらない海洋汚染 クジラとイルカが教えてくれること

愛媛大学の生物環境資料バンク(通称es-BANK)では、ストランディングをしたクジラやイルカをはじめ、陸の生き物もふくめておよそ1500種類、12万個体が冷凍保存されています。室温はマイナス25℃、古いものでは半世紀近く保存されてきた個体もあります。ここで研究されているのが、化学物質が環境に与える影響です。

かつて農薬や殺虫剤に使用されたDDTや、家具家電の難燃剤として使われたPBDEなどの化学物質は、POPs(残留性有機汚染物質、Persistent Organic Pollutants)と呼ばれ、自然環境で分解されにくく、生物の内分泌系や免疫系に害を与えてしまうことが知られています。POPsの一種であるPCBは、陸上で使用されたはずなのに、海棲哺乳類から高濃度で検出されていることがわかってきました。

なぜ海の生き物に蓄積されてしまうのか

放出されたPOPsがクジラやイルカにたまる仕組みはまず、大気や土壌流出を通して海に到達するところから始まります。そして小さな生き物から食物連鎖を経て生物濃縮されて、生態系の頂点であるクジラやイルカに取り込まれます。POPsは脂に溶けやすい性質があり、体脂肪が多い海棲哺乳類の体内に大量に蓄積されていきます。さらに、クジラやイルカは代謝能力が弱いため、化学物質はなかなか排出できず高濃度になっていきます。さまざまな要因が重なり合い、クジラたちは、海洋汚染の実情を敏感に映し出す指標になっているのです。

POPsの生産や使用は2004年には国際条約で禁止され、新たな化合物の登録も続けられていますが、その後も影響は消えません。カズハゴンドウという種から検出された臭素系難燃剤の一種であるPBDEsの濃度変化を追ったグラフを見ると、1982年に低かった濃度は2000年ごろに急上昇し、2009年に使用が禁止されましたが、その後も検出される濃度は高止まりしたままとなっています。

愛媛大学の研究者である国末達也さんはPOPsに登録されていないものの構造がよく似た化合物がクジラやイルカから複数見つかっていることにも危機感を抱いています。

「今、議論されている物質以外にも、濃縮するものは毒性上のリスクが高いといわれているんです」

国末さんは、そうしたものを見つけ、提言を進めていくことを目指しています。

クジラ・イルカの長い物語はつづいてゆく

今年はじめに大阪湾に迷い込み、「淀ちゃん」の愛称で親しまれたマッコウクジラは、紀伊半島沖の海底に沈める処置がなされました。専門家によると、沈んだあと、海の底で「鯨骨生物群集」という極めて興味深い生態系を作っていく可能性が高いといいます。

沈んだクジラの体には、サメがやってきて体に穴をあけ、甲殻類も集まってきます。さらに時間が経過し骨だけになっても、そこに根を張って生きる特殊な生きものであるホネクイハナムシや、硫化水素やメタンを栄養源にする細菌などが集まってきて、100種類以上もの生き物たちを数十~百年にわたって育む可能性があるというのです。クジラの体は、深海生物を呼び寄せ、育みます。遠くて近い、海の哺乳類は、これからも私たちにたくさんの驚きや発見をもたらしてくれるはずです。