マルトリートメントが脳を「萎縮」「肥大」させる…”子どもの脳”を守れ

NHK
2022年1月12日 午前11:35 公開

体罰や暴言、無視、目の前での激しい夫婦げんかなど“マルトリートメント”と呼ばれる不適切な育児が子どもの脳を傷つけることが脳科学の画像診断から明らかになってきました。

「『虐待なんて関係ない』と思っているご家庭は多いと思いますが、小さなヒビがどんどん広がると脳にまで影響を及ぼすことがありうることは知っておいていただきたい」

この事実を突き止めた福井大学教授の友田明美さんは話します。

どのようにして脳はダメージを受けるのか、脳の神経回路や免疫機能のメカニズムの解明が進んでいます。一方で、傷ついた子どもたちの治療に取り組んできた医師たちによって、互いに呼吸を合わせる“同調する運動”が脳の修復を助ける、という回復への道筋も見えてきました。

研究で分かった、脳の「萎縮」や「肥大」

長年傷ついた子どもたちの診療を行ってきた福井大学子どものこころの発達研究センター教授でセンター長の友田明美さん(小児神経科医・脳科学者)は、ハーバード大学と共同で虐待が脳に与える影響を調べました。

虐待を受けた経験がある1500人の中から「体罰」「暴言」といった特定の行為だけを受けた人を抽出して、MRIで脳の画像を撮影。虐待を受けていない人の脳と比較しました。すると、虐待経験のあるグループでは脳の特定の領域に「萎縮」や「肥大」といった変形が見られたのです。

例えば、あざができるほどの厳しい体罰を平均で8年間受けたグループが影響を受けていたのは、理性をつかさどる「前頭前野」の一部です。虐待を受けていない人と比べ、この領域が平均で19.1%萎縮していました。

「前頭前野は犯罪抑制力にも関わっています。この領域にダメージを受けると素行障害やうつ病の一種である気分障害という症状が出てくる可能性があります」(友田さん)

また、暴力を振るうような親どうしの激しいケンカ(DV)を頻繁に目撃したグループでは、後頭葉にある視覚野の領域が平均6.1%萎縮していました。視覚的な記憶力や学習能力にマイナスの影響が出る可能性があると友田さんは指摘します。

「子どもには直接暴力を与えていないから多少の暴力を目撃させることはいいだろうと考えているかも知れませんが、両親が暴力の応酬をしているところを見聞きするだけでも子どもの脳というのは影響を受けることが画像解析で明らかになったのです」(友田さん)

一方で、脳の特定の領域が肥大する場合があることも明らかになりました。親から暴言を繰り返し浴びせられたグループでは、聴覚野の一部が平均14%肥大していました。

「聴覚野が変形すると、言葉の理解力、特に語彙理解力が落ちてきたりします。とても大事な音や会話が聴き取れなくなります。コミュニケーションに大事な脳の領域ですから、対人関係に支障をきたしてしまう可能性があります」(友田さん)

友田さんはこの一連の結果が明らかになったとき、受けた行為の種類によって影響を受けやすい脳の場所が違うことを大きな驚きを持って受け止めたと話します。しかし、なぜ受けた行為によって「萎縮」と「肥大」という正反対に見える影響が現れるのでしょうか。

脳は経験や学習によって必要な神経ネットワークを作ります。脳が萎縮しているのは、このネットワークがうまく形成されなかった場合にあたります。一方、不要になった神経ネットワークは刈り込まれることで情報処理の効率を高めますが、この刈り込みがうまくいかないと脳は肥大すると考えられます。

子どもの脳はとりわけ周囲の環境の影響を受けやすいと考えられます。生まれたばかりの赤ちゃんの脳は大人の3分の1ほどの重さしかありません。乳幼児期に脳は急成長し、10歳くらいになると大人とほぼ同じ重さになりますが、その後も30歳ごろまでかけて社会性の備わった大人の脳に成熟します。子どもの脳は発達期であるからこそ、周囲の環境が非常に重要だと友田さんは訴えています。

不適切な子育て“マルトリートメント”とは?

しつけのために体罰を与える、子どもに暴言を浴びせる、子どもの目の前で激しい夫婦げんかをする・・・。これらは「マルトリートメント」と呼ばれる行為です。マルトリートメントを直訳すると“不適切な扱い”。子どもに対する避けたい関わりや子育てにおける行為を総称した言い方です。

「虐待」は自分に関係ないと思っていても、マルトリートメントには心当たりのある方も多いのではないでしょうか。しかし、虐待はマルトリートメントの程度や頻度が大きくなったもので、地続きの関係にあると言えます。友田さんは「小さなマルトリートメントがどんどんエスカレートしてしまったら最終的に行き着くところは虐待」だと指摘します。

友田さんらが行った脳画像解析の研究の被験者は虐待に相当するレベルの厳しいマルトリートメントを受けた人たちです。どの程度のマルトリートメントで脳に影響が現れるのかは分かっていませんが、友田さんは、「慢性化」させないことが重要だと考えています。

「1回くらい軽くお尻をたたいたからといって脳に影響が出るとは言えません。しかし、つい感情に任せて子どもをたたいたりどなったりすることが慢性的に続くと、脳にも影響が出てくる恐れがあります」(友田さん)

体罰が子どもに与えるのは“悪影響”しかなかった

マルトリートメントのひとつである「体罰」が子どもにどんな影響を与えるのか、大規模データの分析から明らかになってきました。世界のさまざまな地域で行われた111の調査、16万人分のデータを解析した結果、「親子関係の悪化」「精神的な問題(悲しみ・恐れ・不安)」「反社会的な行動(いじめ・教師に反抗・うそ)」「強い攻撃性」の4つの項目すべてで望ましくない影響が出ることが分かったのです。

「体罰は『百害あって一利なし』です。16万人分のデータを集めて再解析した結果、1つも望ましい影響はありませんでした。親は子どもの悪い行いを正すために体罰を使う場合がありますが、それが結果的に望ましくない行動を引き起こしてしまうということが明らかになったということです」(友田さん)

“ネグレクト”で脳の神経伝達のスピードは?

マルトリートメントが子どもの脳にダメージを引き起こすとき、脳の中で何が起きているのでしょうか。細胞レベルでの最新研究によってメカニズムの解明が始まっています。

奈良県立医科大学准教授で精神科医の牧之段学さんは、育児放棄などのネグレクトを受けた人の診療にあたってきました。すると、ネグレクトを経験した人の中に、脳の前頭前野の機能が低下している人が多くいることに気が付きました。前頭前野は、人や社会との関わりによって発達し、機能が高まることが分かっています。

「ネグレクトの場合は、人との関わりが少なくなってしまうため、前頭前野の血流が低下します。それによって『ミエリン』が適切に形成されないのではないかと考えました」(牧之段さん)

「ミエリン」は神経細胞どうしを結ぶ神経線維に巻き付く絶縁体です。ミエリンがない場合、神経細胞の電気信号はゆっくりと伝わります。一方、ミエリンが正常に巻き付くと、電気信号がミエリンの間をとびとびに伝わるため、伝達速度が飛躍的に上がります。

しかし、ネグレクトを受けるなどして脳の前頭前野の血流が低下し、ミエリンが正常に形成されないと、情報伝達のスピードがバラバラになり、さまざまな障害がでると考えられます。

そこで、牧野段さんはマウスを使ってある実験を行いました。ネグレクトと似た状態を作るため、離乳したばかりのマウスを仲間から隔離して2週間飼育します。その後、成長してから脳の組織を観察したのです。

その結果、隔離されたマウスでは前頭前野のミエリンが通常のマウスに比べて薄いことが確認できたのです。ミエリンが正常に形成されなかったと牧之段さんは結論づけました。

さらに、隔離されたマウスは行動面にも違いが出ました。通常に比べて、落ち着きがなく攻撃的になっていたのです。牧之段さんは前頭前野の機能に障害が出ていることのあらわれだと考えています。

人の場合でもネグレクトを受けると同じようにミエリンの形成が不十分になるのではないかと予測し、現在調査を進めています。

「ミエリン形成がいつ活発になって、いつ神経活動がダイナミックに変化していくのかについてデータを集めて、最適な介入(治療)時期を選定したいと考えています」(牧之段さん)

強いストレスで脳の免疫細胞が過剰に活性化

九州大学大学院准教授の加藤隆弘さんは脳の免疫細胞「ミクログリア」が脳のダメージと関わっているのではないかと考えています。ミクログリアは脳に異物が入ると食べたり、攻撃物質を出したりして排除する役割を持つ細胞です。

しかし、強いストレスを受けるとミクログリアは過剰に活性化し、脳の正常な細胞まで攻撃することがあると考えられています。そこで、加藤さんの研究チームでは、マウスを2時間拘束してストレスを与え、その後のミクログリアの状態を調べました。

測定したのはミクログリアが出す攻撃物質・TNF-α。大量に作られ過ぎると炎症を起こすなどして悪影響を与えることが知られています。実験の結果、拘束されたマウスは、記憶を司る脳の領域「海馬(かいば)」でTNF-αの量に大きな変化が起きることが分かりました。通常マウスに比べ、TNF-αの量が18.77倍にもなっていたのです。

「認知症においてはミクログリアが活性化することで脳の障害が徐々に起こり記憶障害になります。同じように幼い子どもでもストレスがかかるとそれがミクログリアを活性化させ、何らかの精神症状を起こしているのではないかと考えています」(加藤さん)

一方、ミクログリアの役割は異物を攻撃するだけではありません。BDNF(脳由来神経栄養因子)という物質を出し、神経細胞を保護したり、新たに作り出したりする役割も持っています。加藤さんはこうしたミクログリアの機能をいかして、治療に役立てられないかと考えています。

「“だっこ”のようないい体験によって、脳のミクログリアからBDNFなどの神経新生を促す物質が出ます。こうした物質をたくさん出すことで脳をいい方向に持っていく“ミクログリア治療”が今後の精神疾患やトラウマ治療に非常に重要ではないかと考えています」(加藤さん)

ダメージを受けても脳は回復できる

マルトリートメントによって傷ついた子どもたちの治療の現場から、ダメージを受けた脳の回復の道筋も見えてきました。アメリカで40年以上にわたって治療に取り組んできた精神科医のベッセル・ヴァンダーコークさんはこれまでトラウマに苦しむ人々およそ1万4000人の治療にあたり、成果を上げてきました。

ヴァンダーコークさんは医学生だった時代に「ひとたび脳の機能にダメージを受けると治すことはできない」と教わりましたが、脳科学の研究が進むにつれ、それが間違いであったと学んだといいます。

「虐待やネグレクトを受けたからといって『一巻の終わり』ではありません。この20年の間に、われわれはある種の経験で脳が変化することを学びました。治療を重ねれば、ダメージを修復したり、なかったことにできるのです」(ヴァンダーコークさん)

ヴァンダーコークさんが行う治療プログラムでは、子どもが安心を感じられる体験を重ねることを重視しています。心地よい体験をさせることで脳の機能回復を促そうというのです。

神経ネットワークの再生を促進するために有効だと考え、ヴァンダーコークさんが積極的に治療に取り入れてきたのが、キャッチボールのように互いに呼吸を合わせる“同調する運動”です。

「私たちが子どもたちの治療で最初にするのはボールを使った遊びです。それまで恐怖に体が固まっていてもボールで遊び始めると、自分が投げたボールを誰かが受け取ってくれることに喜びを感じ、リラックスして安心を感じるようになります」(ヴァンダーコークさん)

ヴァンダーコークさんが強調するのは、“人間はお互いに影響し合うようにできている”ということ。「幼少期の相互作用が不快なものだったら体も脳も固まってしまう。しかし、一緒に動いて“同調”するのを助けてくれる人が現れたら脳も新しいネットワークを手に入れることができる」と、脳の修復の可能性を訴えます。

心を込めた“だっこ”が安心感を与える

日本のベテラン医師もヴァンダーコークさんと同じように、子どもの脳を回復させるには「安心感」を与えることが重要だと指摘します。日本の小児精神医学に大きな影響を与えてきた渡辺久子さんが、かつて診察に訪れた親子の変化を語ってくれました。

「診察に来たお母さんに『たたかないでギューッと抱きしめてみない?』と言いました。すると、お母さんはちょっとびっくりしたけど、子どもはニッコリしたのです。『1週間やって来てください』と言ったら、お母さんが1週間後に『ものすごく変わった』と。

抱きしめるときの安心感が子どもの脳と心と体の発達を活性化するのだと考えています。愛されている実感を記憶し、心身の機能を上げるためには心を込めた“だっこ”が大事だと思います」(渡辺さん)

さらに、“同調する運動”の効果を渡辺さんはこのように解説します。

「子どもはこちらが『投げるよ』と言うと、投げようとする意図を読みます。意図に集中してどの瞬間でボールが来るかということを読みながらキャッチする。そのときキャッチするという動因を活性化しなければならない。“投げてくる、それをキャッチする”というやり取りの中で脳が活性化されていきます」
(※動因:心理学で人間の行動をかりたてる内部の力を指す)

渡辺さんがボールのやりとりと同じような効果が期待できると考えているのが「指相撲」です。

「指相撲は自分が手を出すと、相手も手を出します。『本気で始めて』というと、相手の本気とこっちの本気がすごい勢いになって、ガーってやるうちに両者が必ず笑います。必ず笑い転げる」

40年以上に渡って数多くの親子の治療に携わってきた渡辺さんは「完璧な育児はない」と断言します。

「絵に描いたような仲良い夫婦とか、よい家族関係なんてまずないというくらい、どの家でも多かれ少なかれいろんな問題があります。自分を振り返って『ああちょっと言い過ぎたな』と思ったら謝ればいいのです。完璧な育児なんて絶対ないし、ほどよく失敗だらけでやるのがいい。ボロを出していける社会を作っていくことが大事だと思います」

親のストレスに気づき、サポートすることが大事

マルトリートメントが脳に与える影響を突き止め、警鐘を鳴らしてきた小児神経科医の友田明美さんも子どもたちの治療を重ねる中、回復の可能性を強く感じてきました。友田さんが重視しているのは“親を褒め育てる”ことです。親を褒めることによって、親が自信を持って我が子を褒めるようになり、親と子の関係性がよくなって、子どもの脳の働きが回復した実例を多く経験したといいます。

では、そもそもどうすればマルトリートメントを防ぐことができるのでしょうか。

友田さんがマルトリートメントの背景にあると考えているのは「親のストレス」です。周囲が早い時期に親のストレスに気が付いて、サポートすることが大切だと訴えています。そのために必要なのが“共同子育て”だと友田さんは強調します。

「もともと人間は狩猟している太古の時代から共同子育てを行っていました。子どもは実の親だけでなく、社会全体で育てていくものです。周りの人やさまざまな子育て支援機関を頼っていいのです」(友田さん)

コロナ禍のいま、親のストレスが高まる一方で、共同子育てが難しくなっている現実があります。しかし、そんなときこそ、周りからの積極的なサポートが求められています。

「楽しく子育てをしようと思っていても、コロナ禍で親のストレスが大きくなっている場合もあります。子育て相談に乗ったり、SOSに早い時期に周りが気付いたりして親に寄り添うことが、この時期だからとても大事です」(友田さん)

子育て中のお父さんやお母さんが周りにいたら、「よくやっているね」「頑張っているね」とねぎらったり、褒めたりする言葉をかけることも、周囲ができるマルトリートメントを防ぐ方法だと友田さんはいいます。

社会全体で子ども、そして子育てする親たちを支える-。私たちひとりひとりにこうした意識が広がっていくことが、子どもたちをマルトリートメントから守り、健やかに成長させるために必要なことなのです。