粘菌がコンピューターになる!? 単細胞生物が持つ驚異の“情報処理能力”

NHK
2022年11月14日 午後8:30 公開

今、SNSなどでひそかなブームとなりつつある生き物「粘菌(ねんきん)」をご存じですか。名前に“菌”とありますが、カビやキノコの仲間ではありません。人類誕生のはるか昔から地球で暮らしている原始的な「単細胞生物」です。

たった一つの細胞からできた粘菌には脳や神経はありませんが、驚異の情報処理能力を持つことが明らかになってきました。中でも、ある日本の研究者が行った「粘菌に迷路を解かせる」という前代未聞の実験は、世界中の研究者を驚かせました。

さらに、粘菌の情報処理能力を使えば、新型のコンピューターまで開発できると言うほど。実はさまざまな分野での応用が期待されている生き物で、粘菌を知れば、“単細胞”というイメージが180度変わるに違いありません。単細胞生物「粘菌」の摩訶不思議な世界に迫ります。

どんなところにでもいる!? 単細胞生物の「粘菌」

粘菌は普段どのような場所に生息している生き物なのでしょうか。20年近くにわたって粘菌の写真を撮り続けている写真家の新井文彦さんに案内してもらいました。木々の生い茂った森の中で見られる粘菌は基本的には数ミリ程度と小さな生き物です。見つけるためには、はうような姿勢で視線を低くし、注意深く観察することがポイントだそうです。

倒木を探したところ、その幹に淡いピンク色をした「マメホコリ」という粘菌を発見しました。大きさは1センチほどと、粘菌の中では比較的大きい種類です。粘菌は、倒木や枯れ葉が堆積している、薄暗くじめじめした環境を好んで生息していると新井さんは教えてくれました。

「雨にぬれないような木の下にいることが多い。住宅地の並木や公園も探せばきっといます。どんなところにでもいるというのが正しいです」(新井さん)

さらに、長年粘菌の写真を撮り続けてきた新井さんでも15年ぶりに目にしたという、かなり珍しい種類の粘菌を発見しました。それは、「ロウホコリ」と呼ばれるもので、まるで宝石のような光沢をもち、光が当たると紫や緑などのさまざまな色に変化する美しい粘菌です。気付いていないだけで、私たちの足元には粘菌の実に鮮やかな世界が広がっているのです。

ダイナミックに姿を変える生き物「粘菌」

粘菌は、ゾウリムシやミドリムシと同じ単細胞生物ですが、他の単細胞生物とは異なる特徴を持っています。それは、一生の中でダイナミックに姿を変えるということです。

粘菌の一生は、一つの「胞子」から始まります。胞子とは粘菌の卵のようなものですが、この胞子が発芽すると中からアメーバ状の「単細胞体(粘菌アメーバ)」が生まれます。このアメーバは、エサであるバクテリアを求めて分裂を繰り返しながら移動しますが、やがて、自分と異なる性の粘菌アメーバと出会うと接合し、「接合体」と呼ばれる一つの単細胞体になります。

ここからが粘菌のすごいところです。なんと、細胞中の核だけを分裂させることで巨大化し、スライムのような「変形体」へと姿を変えてしまうのです。変形体は、大きなもので畳3枚分ほどの大きさになるものもいて、大きな体でキノコを丸ごとペロリと平らげてしまうこともあります。このことから、粘菌は“世界最大の単細胞生物”とも言われているのです。

さらに、変形体は環境が悪くなると、キノコに似た「子実体(しじつたい)」と呼ばれる器官を作って、胞子を散布。次の世代を作ります。このように、単細胞生物にもかかわらず、目まぐるしく姿を変えることから、粘菌は「変形菌」とも呼ばれています。

粘菌の情報処理能力を“迷路”で引き出す!?

粘菌の持つ“情報処理能力”に注目して研究を進めているのが北海道大学電子科学研究所の中垣俊之教授です。中垣さんの研究する粘菌の情報処理とは一体何なのでしょうか。中垣さんは、粘菌のエサとなるオートミールを与えたときに、その一端を見ることができると言います。

粘菌に無造作に複数のエサを与えると、粘菌は散らばったエサ全体に体を伸ばします。しかし、しばらくすると、より効率よく栄養を得るために、自らの体を血管のような管状にしてエサとエサの間をつなぎ、体の大部分をエサ全体にまとわりつかせます。

中垣さんは、この行動に粘菌の情報処理能力が関わっているのではないかと考え、粘菌に“迷路”を解かせてみるという前代未聞の実験に挑戦しました。

実験は最初、1つの個体から切り離してバラバラになった粘菌を寒天培地の上に作った迷路の複数の地点に配置します。この粘菌はもともと同じ個体なので体をつなげ、やがて迷路全体に広がります。次に、入り口と出口となる場所にエサであるオートミールを設置し、粘菌が迷路のどの通路に管を残すか観察するというものです。

実験開始からしばらくすると、遠回りとなるルートを通る管は細くなっていきます。一方で、最も効率よく栄養を補給できる最短のルートを通る管は太いままです。粘菌は効率的なルートに体を残し、見事、迷路を解く事に成功したのです。

さらに、粘菌は迷路の最短ルートをつなぐだけではありません。太い管の曲がり方に注目して見てみると、できるだけ短い距離となるように、道を斜めに横断していることも分かりました。

中垣さんは、状況に応じて選択をして生き残っていく粘菌の力に、“知性の原型”のようなものを感じて、より理解を深めるために研究を続けていると言います。

「行動の多様性を持っているっていうことに、生き物の“知性の原型”のようなものの芽生えを感じざるを得なかったのです」(中垣さん)

粘菌の持つ“情報処理能力”を数式で表す

単細胞生物で脳を持たない粘菌は、一体どのような情報処理を行って、迷路の効率的なルートを導き出したのでしょうか。中垣さんたちの研究チームは、その答えを探るために、粘菌の管の太さの変化に注目して観察を行いました。すると、粘菌の管の太さの変化には、一定の法則があることに気が付いたのです。

粘菌の管にはエサから得た栄養分など、さまざまな物質が流れています。エサから距離の近い管では、流れが活発になり、自然と管は太くなっていきます。一方、エサから離れている管では、流れは活発ではなく、やがて細くなり最終的には管が消えてしまいます。

このことから、脳などからの指令がなくとも、それぞれの管が、この法則に従って自律的に動いていることが分かったのです。中垣さんたちは粘菌が、いわば勝手に「流れる量に応じて管の太さを変える」性質を、「流量強化則」と命名しました。

さらに、中垣さんたちは、この法則を取り入れて、粘菌が迷路の効率的なルートを導き出す仕組みを、数式で表すことに成功しました。

ある管の「少し未来の太さ」は、「現在の管の太さ」と、流量強化則に則った「管の太りやすさ」と「痩せやすさ」を使って求められる、ということを表した数式です。中垣さんたちは、粘菌のそれぞれの管ごとにこの計算に基づいた情報処理が行われ、最終的に効率的なルートに体を残せることを明らかにしました。

中垣さんは、数式は科学における共通言語と考え、数式に置き換えることができれば過不足なく人に共有することができると考えています。さらに、粘菌のような生き物の仕組みを数式で理解することが、情報処理の世界にイノベーションのヒントを与えると言います。

「物理の運動方程式に流量強化則のような生き物らしさを加える。たったそれだけで、今までにない問題解決のアルゴリズムが見つかるかもしれません」(中垣さん)

粘菌がコンピューターになる!?

粘菌の特性に注目して、新型のコンピューターの開発をしようという研究もあります。ベンチャー企業代表の青野真士さんは、粘菌がエサを求めて足を伸ばし続けるということと、光を当てられると嫌がって体を縮めて避けようとすることの2つの特性に注目して、コンピューターの開発に挑戦しました。

「粘菌を使って、脳型コンピューターを作れるのではないかと思いました。というのも、粘菌は足を伸ばして接続を作ったり、逆に接続を切ったりする操作ができます。脳の中のシナプスも接続を作ったり切ったりする性質があるので、粘菌は脳のようなシステムになるなと思いました」(青野さん)

このような着想を経て完成したのが、生きた粘菌をそのまま搭載した「生物粘菌コンピューター」です。青野さんは、このコンピューターの実力を評価するために、「巡回セールスマン問題」と呼ばれる、数学の難問に挑戦しました。

巡回セールスマン問題とは、セールスマンがいくつかの都市をすべて訪問して出発点に戻ってくるときに、最短となるルートを求めるという問題です。従来のコンピューターを使ってこの問題を解く場合、すべてのルートを一つずつ検討しながら、最短ルートを導き出します。都市数が増えると、組み合わせが爆発的に増加するため、従来のコンピューターが苦手とする問題でした。

一方で、生物粘菌コンピューターを使えば、この巡回セールスマン問題の“そこそこ良い答え”を、効率よく導き出すことができると言います。

その解き方の仕組みを、4都市(A~D)を訪ねる問題を例に見ていきます。

生物粘菌コンピューターは中央に粘菌を入れ、その周りに放射状に「A1」「A2」「A3」「A4」・・・「D4」までの16本の溝があります。仮に、粘菌が最初に「A1」の溝に足を伸ばしたとします。この行動はセールスマンがAの都市に1番目に訪れることを意味します。すると、コンピューターに設置されたカメラが、それを読み取り、同じ都市を2度訪れてはいけないので、粘菌が足を伸ばさないよう「A2」「A3」「A4」の溝に光を当てます。また、他の都

市を1番目に訪れてはいけないため「B1」「C1」「D1」が答えとなる可能性も消えるので光を当てます。

このように、生物粘菌コンピューターは、生きた粘菌に光を使って刺激を与え、複雑な状況に追い込むことで、粘菌の持つ情報処理能力を引き出して問題を解くという仕組みです。

粘菌が最終的に足を伸ばした溝が、巡回セールスマン問題の答えとなります。例えば、粘菌が「A1」「B2」「C3」「D4」の溝に足を伸ばしたら、「A→B→C→D→A」がこの問題の答えとなります。

さらに、粘菌が一定の周期で伸び縮みをしながら足を伸ばす特性も、生物粘菌コンピューターのポイントだと言います。複数の足が、伸びるタイミングを揃えてグループをつくったり、グループのメンバーを入れ替えたりすることで、さまざまな可能性を素早く試す、従来のコンピューターとは異なる方式の計算を実現したのです。

粘菌に代わって「電子アメーバ」誕生!

粘菌の移動速度は遅く、1時間に1センチほどしか進むことができません。そのため、生きた粘菌を使っている生物粘菌コンピューターは問題を解くために時間がかかり過ぎてしまうという課題がありました。

そこで、北海道大学量子集積エレクトロニクス研究センターの葛西誠也教授は、粘菌の遅い動きを、素早く動く電子に置き換えることで速い計算ができると考え、生物粘菌コンピューターを電子回路化することに挑戦しました。

こうして誕生したのが、「電子アメーバ」と名付けられたコンピューターです。粘菌には、足を伸び縮みさせるときに、「3歩進んで2歩下がる」という独特なリズムで動くなど、「ゆらぎ」と呼ばれる一見無駄にもみえる特徴があります。従来のコンピューターではこの「ゆらぎ」は無駄と判断され、徹底的に排除されていましたが、葛西さんは、あえて「ゆらぎ」を取り入れて電子回路化に挑戦したと言います。

その結果、生物粘菌コンピューターでは1時間かけて解いていた問題も、電子アメーバだと約40マイクロ秒で解くことに成功しました。

青野さんと葛西さんの共同研究チームは現在、電子アメーバを使った、「倉庫や工場における自動化」や「工場におけるロボット搬送の最適化」の3年以内の実現を目指しています。

さらに、葛西さんたちは、電子アメーバを1センチ角の半導体チップに詰め込む、さらなる小型化と高速化にも挑戦しています。小型化が実現すると、スマートフォンに電子アメーバが搭載され、粘菌がエサを得るためにさまざまな方向に足を伸ばすという生存戦略から生まれた技術が、地震や津波などの災害時に私たちを安全な場所まで導き、命を救うために役立つのではないかと考えているのです。

私たちの身近に存在する一見ありふれた単細胞生物も、見方を変えると、新たなイノベーションを起こすヒントをくれる存在かもしれない。私たちの考え方次第で、“単細胞”という言葉の常識が180度変わるかもしれないことを「粘菌」は教えてくれているのです。