蚊に刺されても、なぜ気づかない? “人類最大の敵”の驚きの生態の「秘密」

NHK
2022年9月26日 午後4:08 公開

蚊は“華麗”な生き物だった…!

世界で最も人の命を奪っている恐ろしい生き物「蚊」。マラリアやデング熱など、蚊が媒介する感染症による死者は世界で年間72万人以上にもなりますが、温暖化や人口密度の上昇によって、日本でも感染症を媒介する種類の蚊の生息域が拡大していると言われています。

そんなやっかい者に対抗するために、これまで世界ではあらゆる角度から蚊の研究が行われてきました。すると、蚊の小さな体の中には、人の血を確実に吸うための驚くべき能力が詰め込まれていることが明らかになってきました。

超高感度で人を認識できるセンサー、暗闇でも確実に障害物を避けて飛べる仕組み、気づかれずに刺せる特殊な針。こうした蚊の特性を解明すると、確実で安全な“蚊よけ”が可能になるだけでなく、“痛くない注射針”や“障害物をよけるドローン”など、私たちの暮らしに役立つ技術に応用することが可能になると言います。

“人類最大の敵”である蚊の恐ろしくも華麗な生態とそこに秘められた力に迫ります。

年間72万人以上の命を奪う、脅威の生き物

蚊に刺されてかゆいのは誰にとっても嫌なものです。しかし、蚊が恐ろしいのは、病気に感染した血を吸った蚊が別の人を刺すことで病気を媒介することです。

蚊が媒介する感染症には、ウイルス感染症であるデング熱、チクングニア熱、ジカ熱、日本脳炎、西ナイル熱、黄熱、原虫疾患であるマラリアなどがあります。これらは主に、熱帯、亜熱帯地域で流行していますが、マラリアはアフリカを中心に年間2億人以上が感染し、40万人以上が亡くなります。また、デング熱は東南アジアや南米を中心に年間9600万人以上が感染、4万人以上が死亡していると推定されています。

日本でも、2014年にデング熱の感染が広がったのは記憶に新しいところですが、このときは海外から持ち込まれたウイルスを、日本に生息する代表的な蚊である「ヒトスジシマカ」が媒介したとされています。

蚊による感染症とその生態について研究している東京慈恵会医科大学の嘉糠洋陸(かぬか・ひろたか)さんは、蚊の脅威についてこう指摘します。

「歴史上、人口が最も多い今の地球は、蚊にとって格好の餌場です。私たちは地球という虫かごの中で、蚊に血を与えて蚊を増やすことを助けてきた。現在、蚊はその歴史の中で最も数を増やしていると言えます」(嘉糠さん)

血は“栄養豊富なサプリメント”

なぜ、蚊は人の血を吸うのでしょうか。実は、蚊の主食は花の蜜や樹液で、糖分さえあれば生きていけます。そもそもオスの蚊は人の血を吸うことはありません。メスの蚊の中でも、ある特定のものだけが人の血を吸うのです。

そこで実際に、2種類の蚊のメスが同じ数ずつ入った2つのケースに手を入れて、どんな蚊が人を刺すのかを確かめてみました。1つ目のケースに手を入れてみると、10秒間で11匹が血を吸おうと手に止まりました。一方、もう1つのケースにも同じように手を入れてみると、手に止まった蚊はわずか1匹でした。

実は、多くが血を吸いに来た1つ目のケースに入れられていたのは「交配済みのメス」です。未交配のメスは人の血にはほとんど興味を示しませんでした。つまり、蚊は卵を産むために人の血を吸っていたのです。

「血液は非常に栄養リッチなサプリメントです。それを卵の産生に向かわせる。そうすることで、効率よくかつ迅速に卵を作ることができるのです。つまり、次の世代をどんどん作るための生存戦略です」(嘉糠さん)

日本に生息している110種類の蚊のうち、人の血を吸う蚊は3割ほどですが、血を吸うかどうかで産卵数に大きな違いが出るといいます。嘉糠さんによると、ヒトスジシマカの場合、吸血すると1回で200個前後の卵を産みますが、血を吸わない種類の蚊だと産卵数は40〜50個ほどです。つまり、血を吸う蚊は、吸わない種類の4、5倍の卵を産むことができるのです。だから、蚊は殺されるリスクを冒してでも人の血を吸いに来るのです。

人を逃さない!驚異のセンサー

刺されたくないと思っていても、いつの間にか蚊が寄ってくるという経験は誰もがあると思いますが、蚊はいったいどのようにして人を感知しているのでしょうか。

まず、蚊が最初に人に気づくきっかけとなるのは、私たちが呼吸で吐き出す二酸化炭素です。二酸化炭素を認識するのは口の近くにある「小顎髭(しょうがくし)」という器官で、蚊はこれによって10mほど先に人がいることが分かると言います。

3mほどに近づくと、「触角」によって匂いを感知します。さらに1mの範囲まで来ると、同じく「触角」を使って今度は熱を感知します。それと同時に「複眼」によって色を感知し、最終的に人の皮膚に止まって吸血を始めます。

蚊は“体全体がセンサー”というほど多彩で高感度のセンサーを小さな体に詰め込み、それらを段階的に組み合わせて使うことで、確実に人を見つける能力を持っているのです。

蚊を知り尽くせば、確実な“蚊よけ”が可能に!?

蚊が媒介する感染症が深刻になる中、世界では驚くような“蚊対策”が始まっています。ブラジルで行われているのは、遺伝子組み換えをしたオスの蚊を野生に放つというもので、野生のメスと交尾すると、生まれたボウフラは育たず死ぬようにプログラムされています。

一方、日本の化粧品メーカーは、蚊の生態を徹底的に研究することで、その特性を逆手に取った安全かつ確実な“蚊よけ”技術の開発に力を入れてきました。蚊よけに使おうと考えたのは、「低粘度シリコーンオイル」という化粧品やシャンプーなどさまざまな日用品で使われている液体です。

実は、これは蚊の脚の特殊な構造を利用したものです。蚊は、幼生の間は水中で暮らし、さなぎから羽化するときに水面を足場にして水の上に出てきます。そのため、蚊の脚には微細な凹凸構造があり、その隙間に空気が入ることで、空気の層によって水に浮くことができるようになっています。

研究チームの仲川喬雄さんたちは、低粘度シリコーンオイルを皮膚に塗ることで蚊が皮膚に止まれなくなるのではと考えました。

「蚊の脚は超撥水性なので、逆に水と正反対の性質を持つ油には馴染みやすいのです。微細構造なので、隙間に『毛細管現象』でオイルがどんどん吸い上げられていくというイメージです」(仲川さん)

毛細管現象とは、液体の中に細い管を立てると液体が管の中に吸い上げられる現象です。液体の種類によって管内の水位は異なりますが、蚊の脚の構造が非常に細いうえ、なじみがいいオイルだとどんどん吸い上げられていくのだそうです。実際に、低粘度シリコーンオイルを使って実験すると、表面に接触した蚊はわずか0.04秒で吸血の体勢をとれないまま飛び去ることが分かりました。

さまざまな液体を試行錯誤した末にたどり着いたオリジナルのオイルは、すでにタイで商品化され、化粧品メーカーならではの知恵と技術で人々を蚊から守っています。

蚊の針をヒントに“痛くない注射針”が!

やっかい者だからこそ、蚊はあらゆる角度からその生態が研究されてきました。そうして明らかになった蚊に秘められた驚くべき力を、私たちの暮らしに役立つ技術に応用しようという研究も進んでいます。

関西大学のロボット・マイクロシステム研究室の青柳誠司教授が研究しているのは、“痛くない注射針”です。

「なぜ蚊が痛みなく刺すのかにすごく興味があって、今できるエンジニアリングを駆使して、世の中の役に立つような商品を実現するために研究しています」(青柳さん)

蚊が私たちに気づかれることなく刺すことができる理由の一つは、「針の細さ」です。蚊の針の細さは、一般的な採血用の針の10分の1、わずか0.05 mmほどです。しかし、秘密はそれだけではありません。

青柳さんは、驚くほど精密な針のメカニズムを解き明かしました。実は、私たちが「蚊の針」と思っているのは蚊の下唇です。その中には、6本で構成される針が隠されています。蚊は吸血の際、まず外側の一対の針を使います。これには縁に鋭いギザギザがあり、ノコギリのように皮膚を切り開いていきます。そのため、皮膚がたわまずに周囲の痛点への刺激を最小限に抑えることができ、痛みを感じないのです。

さらに、青柳さんの最新研究で、蚊が針を回転させながら皮膚を刺すことも痛みの軽減につながっていることが明らかになりました。蚊の針を模したプラスチック製の針と、人間の皮膚を模した材料を用いて実験すると、針が回転しない場合は皮膚が大きくたわむのに対し、回転させた針では抵抗力が小さくなり、たわまずに刺せることがわかりました。

青柳さんはこの技術を注射針に応用し、さまざまな医療現場での実用化を目指したいと考えています。

「いろいろな場面で使えると思います。まずは乳児や小児です。それから、痛みに耐えられる大人でも、それが毎日1日3回、4回とか、それが永遠に続くってなるとものすごい気分がめいりますよね。糖尿病の患者さんはそうなんです。そこが一番のターゲットです」(青柳さん)

蚊の飛行技術をドローンに!?

蚊の驚くべき飛行技術をドローンに応用しようという研究も進められています。昆虫の飛行メカニズムを専門に研究している千葉大学の中田敏是准教授は、あるとき蚊の音を研究している専門家から声を掛けられたことがきっかけで、蚊の飛行メカニズムの解明に取り組むようになりました。

「『蚊が暗闇でも壁とか床にぶつからないように飛べているみたいなんだけど、なぜかを一緒に調べませんか』と。音で障害物を見つけられるというのを聞いた時点で、僕は『ウッソー』って思ったんですよね」(中田さん)

カギを握るのは、蚊の触角の根元にある「ジョンストン器官」という特殊な器官です。触角は、人間でいう「鼓膜」の役割を果たしていて音や振動を受け取っていますが、ジョンストン器官は“触角の0.0005度の振れ”、つまり、ごくわずかな空気の揺れを感知できると報告されています。

中田さんは、蚊は自らの羽ばたきで空気の振動を起こし、それを感じ取っているのではないかと考えました。そこで、蚊の羽ばたき運動を高速度カメラで解析すると、羽ばたきは1秒間に600〜800回と、同程度のサイズの昆虫と比較しても、非常に高速であることが分かりました。さらに蚊の羽ばたきによって生じる気流を数値計算で再現し、壁や床などの障害物による気流の変動を調べました。

すると、体長わずか4mmほどの蚊がその10倍ほど離れた場所での気流の変動をキャッチして、障害物と認識できることが分かったのです。

「(人間で例えると)建物の4階とか5階くらいの高さで、自分が羽ばたいている気流が変動しているから、下に床があるぞって分かるようなことです」(中田さん)

中田さんの研究を応用したドローンの開発は、海外ですでに始まっています。蚊の気流感知システムを組み込んだドローンは、自ら起こした気流を感知し、気流が乱れると赤く光って障害物を認知、回避することができるのです。

「災害が起きたときなど複雑な環境で飛ぶ場合に、障害物を検知して避けるというのはものすごく重要な技術だと思うので、そういうところに使えるんじゃないかと思います」(中田さん)

長年、蚊の生態を研究してきた嘉糠さんは、こうしてさまざまな角度から蚊の生態を明らかにすることで、最終的には蚊が媒介する感染症が撲滅できる日がくるのではないかと考えています。

「蚊は生き物として非常に優れていて、かつ華麗なものでいろんな側面から研究することが尽きません。一方で、私たち人間と蚊との戦争を考えると、私たちはずっと負け続きです。私は、そろそろ“蚊と人間は共存すべき”と考えていて、蚊の秘めたる力を明らかにすることで、本来の悪者である病原体を蚊の中からいなくなるようにする日がいずれ来るのではないかと期待しています」(嘉糠さん)

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