アルツハイマー病“新薬”の登場で認知症研究が大きな転換点を迎える⁉

NHK
2023年5月29日 午前0:00 公開

「患者と家族、そしてこの分野のすべての科学者にとって、記念すべき出来事だ―」

去年11月、世界的なアルツハイマー病臨床試験会議の檀上でそう語ったのは、認知症治療の研究に30年以上を捧げてきた岩坪威さん(東京大学大学院・教授)です。

この日、アルツハイマー病の新たな薬「レカネマブ」について、治験を経て有効性が確認されたと発表されました。なぜ、「記念すべき出来事」なのか。それは、この薬が病気の原因物質に働きかけ、症状の進行を遅らせる、確かな有効性を示した世界初の薬だからです。

今年1月にはアメリカで迅速承認(※深刻な疾患で必要とする人が多い薬に対して行われる制度)され、すでに実用化が始まっています。日本では開発した製薬会社により承認申請され、現在、国の審査が行われています。

「認知症の治療は難しい―」 そんな現実を変えようと闘い続ける、患者や家族、そして研究者たち。今、転換点を迎えている認知症治療の研究最前線に迫ります。

アルツハイマー病の “新薬” その実力は?

日本の認知症患者は現在およそ600万人、2025年には65歳以上の5人に1人が認知症になると言われています。認知症を発症させる病気はいくつかありますが、約7割を占めるのがアルツハイマー病です。

“新薬”の治療対象となるのは、そのアルツハイマー病の中でも「早期アルツハイマー病」というステージの段階。認知症の一歩手前である軽度認知障害から、軽度認知症の患者さんです。

治験での薬の効果は、どうだったのでしょうか。1795人の治験参加者のうち、半数には本物のレカネマブ、もう半数にはプラセボ(有効成分の入っていない薬)が、2週に1度、投与されました。期間は1年半です。その結果は…

症状の悪化度を比べると、本物のレカネマブは、プラセボよりも27%悪化が抑えられていました。治験の結果から、早期の患者がより重い症状の認知症に進行するのを、2~3年遅らせることができると推定されています。

アルツハイマー病のメカニズムと“新薬”の働き

レカネマブが作用するのは、原因物質の1つと考えられている「アミロイドβ」と呼ばれるタンパク質です。これは健康な人の脳でも発生しますが、通常は脳内のゴミとして分解・排出されます。しかしアルツハイマー病では、その働きが衰えたり、アミロイドβが多く生み出されたりして、脳内に蓄積し、集まって固まっていきます。これが引き金となり、最終的に神経細胞が死滅すると考えられています。

レカネマブは脳に届くとアミロイドβの塊にくっつきます。目印となって免疫細胞に除去させたり、これ以上アミロイドβ同士が集まらないようブロックしたりするのです。

治験参加者の脳の画像を見てみると、治験後は、レカネマブの効果で確かにアミロイドβの量が減っていることが確認されました。

レカネマブの登場は大きな “ターニングポイント”

これまで、アルツハイマー病の薬がひとつもなかったわけではありません。病気によって減少する脳の神経細胞の働きを助ける薬などがありましたが、これらは症状を緩和させる対症療法的な薬でした。また、レカネマブと同じ考え方で開発された薬がアメリカで条件付き承認されたこともありましたが、こちらは治験の結果、有効性があると言えるのかどうか、議論が分かれています。原因物質に働きかけて進行を抑制し、有効性がしっかり確認されたものは、今回が初めての薬だと言います。

東京大学大学院教授の岩坪さんは、レカネマブがアミロイドβに対して効果を示したことが、認知症研究の歴史における大きなターニングポイントだと話します。

「アルツハイマー病の原因がアミロイドβだという確証はなかったんです。他にもさまざまな要因が考えられるのでどこを標的にすればよいのか非常に難しかった。それが今回、レカネマブに治療効果があったということで、やはりこれは正しい標的だったんだということが証明されました。節目となる出来事だと思います」 (岩坪さん)

人類 vs 認知症 闘い続けて120年!

実は、治療薬開発に至るまでには長い道のりがありました。そもそも、アルツハイマー病の発見は約120年も前に遡ります。世界初の症例報告は、1906年、ドイツのアロイス・アルツハイマー博士によるものでした。博士は患者の脳を解剖し、シミのようなものが多数あることに気づきます。これが「アミロイドβ」の塊であると判明するのは、なんと1980年代に入ってからのことです。

しかし、その後も、このアミロイドβと病気がどうかかわるのか、研究者たちは、長きに渡りその謎に頭を悩ませてきました。1990年代には、アミロイドβを生み出す遺伝子の変異が相次いで発見され、アミロイドβが病気の原因だと考えられるようになりました。そこでアメリカの医療ベンチャーにいたデール・シェンク博士は、アミロイドβを標的に治療を試みます。アミロイドβそのものを注射し、体内の免疫細胞に敵と認識させ、排除させる「ワクチン療法」です。

1999年、マウスの実験が成功し、大きな期待が寄せられますが、人での治験で重い副作用が出て、開発は中止になってしまいます。ただ、その後の研究によって、この方法は確かにアミロイドβの塊を取り除いていたことが分かりました。そこで、この研究をベースに、抗体を体内に入れるという方向で薬の開発が盛んになっていきます。

しかし、それから20年たっても、承認までたどりついた薬はありませんでした。開発された薬は確かにアミロイドβの塊を取り除いているようですが、症状の改善や進行を遅らせる効果は見られなかったのです。

薬の開発につながる2つの “ブレークスルー”

「アミロイドβは病気の原因ではないのでは」とさえ言われるようになる中、驚きの発見が報告されました。アミロイドβは、症状が出る20年以上も前から脳に蓄積するというのです。さらに、神経細胞の死滅も発症の10年以上前から始まっていました。つまり、発症してからアミロイドβが標的の薬を投与しても遅く、発症前に投与すべきだということが判明したのです。

さらに、今回の新薬開発につながる発見が北欧・スウェーデンでありました。ウプサラ大学名誉教授のラーシュ・ランフェルトさんが、1997年にウメオという北部の町でアルツハイマー病の多い一族を調査したことがきっかけです。

一族の家系図をたどると、50%の確率でアルツハイマー病が遺伝する特殊な家系であることが判明しました。詳しく調べたところ、特有の遺伝子変異が見つかりました。それをArctic Mutation(北極変異)と名付けます。この変異があると、アミロイドβは塊を作る前段階、「プロトフィブリル」という集合体を多く作ります。このプロトフィブリルは、通常のアルツハイマー病患者の脳にも見られ、強い毒性があることが分かったのです。

そこでランフェルトさんは、プロトフィブリルを標的に薬の開発を始めました。そして生まれたのが、レカネマブです。

気になる「副作用」と「治療費」

治験では、脳の中に一時的にむくみが出るというもの、小さな出血が起こるという副作用が確認されています。多くは無症状でしたが、一部にめまいや頭痛などの軽い症状が出ました。また、ごくまれに非常に重い副作用が出ることもあるため、定期的にMRI検査を行うことで、早期に発見し、救命できるようにすることが重要になると考えられています。

薬価は、アメリカでは1人当たり年間350万円ほどに設定されました。日本では未承認のため、まだ分かりませんが、やはり数百万円程度になるのではと考えられています。ただ、認知症の社会負担は日本全体で年間十数兆円と言われるほど大きな問題です。岩坪さんは、重い介護が軽減されたり、長く働ける人が増えたりという可能性も考えると、保険適用などの形で広く使えるようになるのが望ましいのでは、と話しています。

治療のカギとなる「早期発見」の最新研究

薬を効果的に使うには、まず早期アルツハイマー病の段階で病気を見つけることが重要です。しかし、早期に正確に診断するのは、認知症専門医でも難しいと言います。現在、検査方法は2つあります。1つは、脳内に蓄積しているアミロイドβを画像化して確認する「PET検査」で、もう1つは、腰あたりから脳脊髄液を採取しアミロイドβの量を推定する「脳脊髄液検査」です。ただ、高額だったり、患者さんに負担があったりと、手軽ではありません。

そこで今、世界的に注目されているのが「血液バイオマーカー検査」です。脳から血中へ、わずかに排出されているアミロイドβや関連物質を調べ、脳内のアミロイドβの蓄積度合いを推定しようというものです。

この技術を開発したのは、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんが率いるチームです。受賞対象となったタンパク質の質量分析を行う技術を応用し、今回の装置を開発、多くの物質が混在する血中から、正確に目的の物質を検出することを可能にしました。

注目したのは、「アミロイドβ42」とそれに似た物質「APP669-711」という2つの物質です。血中の2つの量は、同じように体調によって変動しますが、アミロイドβ42は脳内で塊になりやすく、もう一方は塊になりにくい性質があります。そのためアルツハイマー病が進行すると、アミロイドβ42は血中に排出されにくくなります。つまり、血中ではアミロイドβ42の量が減り、もう一方の比率が高くなるのです。この2つの量の比から、高い精度で脳内のアミロイドβの蓄積度合いを推定できるようになりました。

大分県臼杵市では、この血液バイオマーカー検査を用いた診察フローの構築を目指し、研究を進めています。研究責任者である、大分大学医学部准教授の木村成志さんは、この検査の有用性に大きな期待を寄せています。

「簡便で安全性の高い検査なので、早期かつ正確な診断が多くの患者さんに提供できるようになるでしょう。いずれ、専門医でなくても、かかりつけ医の段階で診断が可能になり、新しい治療法に早くつながることができるようになる。とても有用だと思います」 (木村さん)

自分や周囲が気づく方法は?リスクチェックの尺度も開発中!

日本老年精神医学会のワーキンググループは、認知症の症状が出始めてから医療機関を受診するまでおよそ4年かかるという研究結果に注目し、本人や家族が簡単に認知症のリスクをチェックできる、新たな評価尺度を開発しました。

13個の項目に「はい・いいえ」で答えると、認知症の傾向あり、グレーゾーン、問題なし、の3段階で判定が表示されるものです。

特徴的なのは、本人がやっても家族や医師などの他者がやっても同じ判定結果が出るところ。本人と他者の回答の違いを74組分のデータで解析してみると、本人は他者と比べ、症状を3分の1程度軽く評価すると分かりました。そこでアルゴリズムを組み、属性により回答の重みに差をつけ、誰が答えても正確に判定できるようにしたのです。

ワーキンググループのリーダーである筑波大学名誉教授の朝田隆さんは、まずは健康診断や人間ドックでアクセスする機会を増やし、今後広く社会実装していきたいと話しています。

「世間に広まっていって、ご本人、ご家族にまずはやってもらえたらと思います。開発した尺度の項目は専門医によって厳密に選ばれたものなので、こういうものを生かして早期発見、そのあとの早期治療につながるようにしてほしいです」(朝田さん)

認知症の克服を目指す挑戦は続く

認知症の初期段階の方だけでなく、無症状期の方に対する予防の研究も進んでいます。そして、多くの研究者が、認知症の症状が進んだ方への治療法も開発すべく奮闘しています。

「認知症が進んだ方にも、絶対いい治療法を発明して提供しなければいけないと思っています。アルツハイマー病の概念が変わりつつある時代、ちょうどそういうところに、私たちは到達したのだと思います。さらに研究を進めていきたいと思います」 (岩坪さん)

治療が難しいという認知症の常識を変えようと、これまで多くの研究者たちが認知症の解明と治療法の開発に挑み続けてきました。そして、その挑戦はこれからも続きます。認知症の概念が大きく変わる、新しい時代が到来することを願ってやみません。