SFの世界で「コールドスリープ」として描かれてきた、人間を冬眠状態にする“人工冬眠”。そんな夢のような話を実現に近づける研究成果が今、続々と報告されています。人工冬眠が実現すれば、宇宙船で冬眠して遠くの天体まで旅したり、現代の医学では治せない病気の患者が冬眠して治療法ができるのを待ったり、ということが可能になるかも知れません。
そもそも冬眠というのは、クマやリスなどの動物たちが厳しい冬を乗り越えるために、体温を低下させ、エネルギー消費を極限まで抑える“究極の省エネ状態”で生き抜く方法です。そして、この冬眠状態を人工的に作りだし、人間に応用しようとするのが人工冬眠です。数時間でも体を低代謝の状態にすることができれば、緊急時に治療の時間を稼ぐことができるため、救急医療の現場から期待されています。本当に私たちも冬眠することができるのでしょうか。人工冬眠研究の最前線に迫ります。
冬眠のスイッチ「Qニューロン」発見の衝撃
2020年に筑波大学と理化学研究所の共同研究チームが発表した1つの論文が世界に衝撃を与えました。本来、冬眠しないはずのマウスを“冬眠に極めて似た状態”に誘導することに成功したというのです。
冬眠に導くために行ったのは、“ある神経細胞群”を刺激することでした。その神経細胞群は「Qニューロン」と呼ばれ、マウスの脳の視床下部に存在します。Qニューロンを刺激すると、マウスの酸素消費量が著しく低下し、さらに体温も数日間にわたり大きく低下しました。この状態は少なくとも1日以上安定して持続し、その後すべてのマウスは障害が残ることなく、自発的に元の状態に戻ることも分かりました。
研究チームのメンバーで、理化学研究所冬眠生物学研究チームの砂川玄志郎チ-ムリーダーは、マウスの代謝を測定したときの驚きをこのように話します。
「本当にびっくりしました。酸素消費量が著しく落ちたあと、ちょっとずつ体温も落ちていって、最終的には室温からプラス2~3℃。室温が20℃で、体温が22~23℃にまで落ちました。Qニューロンが発見されたことによって冬眠をしない動物でも冬眠に近い状態を作れる可能性が示されたというのはすごく大きいと思います」(砂川さん)
砂川さんはもともと小児科医として国内有数の小児病院で重症の子どもたちと向き合う日々を送っていました。多くの子どもの命を救いましたが、それでも何度も悔しい経験をしたことから冬眠研究を志すようになりました。
「今の医療をすべて注ぎ込んでも助からない症例がやっぱりあります。一生懸命治療したけれども、もうあと少し何か他の手立てがあればいけるのになってことはよくあるんです。本当にしんどそうな1日をしのぎきれたらすごく明るくて長い未来が待っているのにと。諦めと悔しさみたいなのが混在したような気持ちでした」(砂川さん)
そんな時、偶然目にしたのがマダガスカル島に生息する「フトオコビトキツネザル」というサルが冬眠しているという論文でした。私たちと同じ霊長類のサルが低体温、低代謝になることができるのなら、人間も冬眠できるのではないか。人間を、このサルのような“省エネ状態“にすることができれば、今まで救えなかった命を救えるのではないかと考えた砂川さんは、医療現場を離れ、人工冬眠の研究の道へ進む決断をしたのです。
実は「冬眠」という現象自体も科学的に十分には解明されておらず、ましてや人間を冬眠状態にする方法を見つけるという砂川さんの研究は不可能にもみえる挑戦でした。ところが、砂川さんが研究を始めた2年後、ある研究者の偶然の発見によって“人工冬眠”の研究は飛躍的に進歩します。
その発見をしたのは、睡眠研究の第一人者である筑波大学教授の櫻井武さんです。櫻井さんが、睡眠や覚醒に関わる脳内物質を調べようとマウスの神経細胞を刺激したところ、不思議な現象が起きました。
「特定の神経細胞を興奮させる実験をしていてマウスが動かなくなりました。生理学的に詳しく調べていくうちに“冬眠”と区別できない状態になっていると気がついたのです」(櫻井さん)
櫻井さんはもともと親交があった砂川さんに連絡をして、マウスの体内で何が起きているのか共同研究で詳しく調べることにしました。その結果、実験中のマウスの体温や酸素消費量から、“冬眠に極めて似ている状態”になっていることが明らかになったのです。
そして、この神経細胞群こそが、“冬眠スイッチ”ともいうべき「Qニューロン」です。「Q」は、「QRFP」という名前のペプチドの頭文字です。このQRFPは、私たち人間も含め哺乳類に広くあることが分かっているため、人間でもQRFPを含む神経を刺激すれば、マウスと同じ“冬眠に極めて似た状態”を誘導することができるのではないかと期待が高まっています。
昔は人類も冬眠していた?
冬眠しない人間を人工的に冬眠状態にするなんてとんでもない発想のようにみえますが、“大昔に人類は冬眠していたのではないか”という報告もあります。
人類が冬眠していた可能性を示す痕跡が残っていたのが、スペインの洞窟で発見された約50万年前の人類の数千もの骨です。ネアンデルタール人の祖先で「ホモ・ハイデルベルゲンシス」と呼ばれる絶滅した人類です。
研究を主導したトラキア・デモクリトス大学(ギリシャ)のアントニス・バルチオカス名誉教授は、発掘された頭蓋骨上部に強度不足から骨がへこんでしまう「くる病」の病変がみられたことから人類が冬眠していた可能性を考えるようになったといいます。
「私は当初、冬眠に関しては否定的でした。しかし、くる病の病変を発見し、古代の人類が冬眠していたのではないかという考えに至りました」(バルチオカスさん)
くる病は、日光を浴びないことによるビタミンD不足で発症するため、暗闇の洞窟の中で数か月間、冬眠していたのではないかと考えられるのです。
さらに、冬眠していたかもしれない痕跡はこれだけではありませんでした。多数の穴があいている指の骨も見つかりました。
寒さや暗闇で強いストレスを感じると「コルチゾール」というストレスホルモンが生成されますが、このストレスホルモンは体内のカルシウム不足を引き起こします。すると、カルシウム不足を感知した副甲状腺が「副甲状腺モルモン」を分泌し、不足したカルシウムを骨から取りだすため、結果的に骨が浸食されてしまうのです。つまり、極寒かつ暗闇という極度のストレスにさらされる洞窟の中に長期間いた証拠と考えられます。
しかし、これだけだと単に寒い時期を、洞窟などの暗闇で過ごしていただけとも考えられます。
決め手となった痕跡が、いくつもの層に分かれている骨でした。これは骨が成長する期間と冬眠により骨の成長が止まる期間が交互にあることを示しています。
「骨層の形成に、毎年のようにギャップがあることを突き止めました。このギャップは冬眠動物の骨にもある特徴で、冬眠していたことの証拠になります。私たちはこれらから古代の人類は冬眠していたと結論づけました」(バルチオカスさん)
“恐怖のにおい”が冬眠スイッチに!?
冬眠は科学的なアプローチが難しく解明が進んでいませんでしたが、近年の科学技術の進歩によって研究手法が編み出された結果、Qニューロンの他にもさまざまな冬眠スイッチが見つかり始めています。
その一つが、“恐怖のにおい”です。マウスに、「チアゾリン類恐怖臭」という天敵に似せて作ったにおい分子を嗅がせると、まるで冬眠したかの様に動かなくなり、体温、代謝ともに低下させることができることが分かりました。
この冬眠スイッチを発見した関西医科大学准教授の小早川高さんは、もともとマウスを使って嗅覚の仕組みを研究していました。小早川さんが考える、においで冬眠に近い状態を誘導することができる仕組みは次のようなものです。
マウスの鼻腔や気管にある感覚センサーで恐怖臭の「におい分子」を感知すると、この情報は感覚神経を伝わって脳幹に伝達され、さらに中脳に伝達されます。脳幹と中脳は、互いに情報を伝達しあい、危機情報を感知します。すると、天敵から逃れるための反応として、体の動きを止めて体温を下げるという“冬眠に似た状態”を誘導するのです。
さらに、中脳が活性化することで生命の危機に対する驚くべき効果が見られました。恐怖臭を嗅がせたマウスを、通常わずか10分程度しか生存できないような低酸素環境に入れたところ、平均して4時間ほども生存することができたのです。
また、通常、脳の血流を止めると脳梗塞になり、脳の広い領域が破壊されますが、恐怖臭を嗅がせたマウスでは、脳の破壊が大幅に抑制されることも分かりました。
なぜ恐怖臭を嗅がせると、冬眠のような状態になるだけでなく、生命の危機を生き延びる力を引き出すことができるのか。小早川さんは、このメカニズムを解明して医療へ応用したいと話してくれました。
「目指しているのは“感覚創薬”の開発です。直接、臓器に作用する薬ではなく、においによる刺激によって脳に危機情報を伝達して、マウスのような危機を生き抜く力を引き出す薬が感覚創薬です。例えば、救急車などで運ばれている重症患者に、酸素吸入をするガスマスクなどを通してにおい刺激を与えることで、冬眠状態を誘導し、かつ危機を生き抜く力を引き出すことができれば助かる命が増えるかもしれません」(小早川さん)
人工冬眠がひらく未来の可能性とは
人の命を救いたいと研究の道に進み、Qニューロンという冬眠スイッチを突き止めた砂川さんは、2040年ころに数時間から数日間という短時間の人工冬眠を実現させ、救急医療の現場で活用したいと考えています。
「まずは短いところから始めて、だんだん長くしていきたいと思っています。例えば、最初は臓器だけの冬眠で、次の段階としては、数時間とか、数日間という、救急医療に使えるような冬眠を実現したいと思っています。さらに、長さだけではなく、冬眠するタイミングを自分でコントロールできる“任意冬眠”も考えています。急病になったときに人工冬眠に自分で入るみたいなのが理想だと思っています。そうすればもっといろんな人が助かるでしょう」(砂川さん)
砂川さんは、いずれさらに長い時間の冬眠ができるようになると考えています。そして、それが可能になれば、宇宙分野での活用も期待されます。
「宇宙旅行などでは、必須の技術になると思っています。途中で補給できないので、地球を出るときに、食べもの、水、酸素などのあらゆるリソースを全部持っていかないといけないわけです。到着するまで冬眠して過ごすことができれば、その分リソースを節約できて、一度に多くの人を遠くの天体まで移送することが可能になります」(砂川さん)
今まではSF映画の世界だった夢の技術「人工冬眠」は、実現へ近づこうとしています。医療そして宇宙と、多くの分野に活用できる夢の技術の今後に期待が高まります。