目撃!にっぽん
「目撃!にっぽん」は2022年3月で終了します。4月より「Dear にっぽん」として土曜午前10時5分から放送します。
「コロナと新宿ゴールデン街」
初回放送日:2020年8月23日
“密”が魅力だった夜の街、新宿ゴールデン街。新型コロナが猛威をふるう中、個性豊かな店主たちは、心を寄せ合い、この難局に立ち向かう。飲み屋街、5か月間の記録。 “密”が魅力だった夜の街、新宿ゴールデン街。3坪の小さな飲み屋街は、肩を寄せ合い誰でも分け隔てなく語り合える解放区として、長年愛されてきた。ところがこの春、新型コロナによって事態は一変。“密”になれない。それでもこの街に生きる個性的な人々は、“らしい”やり方で、街の灯りを消さないために、心を寄せ合い、支えあう。大都会、新宿の“3密”飲み屋街、5か月間の記録。
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出演者・キャストほか
- 語りリリーフランキーイラストレ-タ-・コラムニスト
よくある質問
番組スタッフから
【3密の街】 3月。新型コロナウィルスの感染が拡大する中、巷では“3密”という言葉が急速に市民権を得ていました。 “3密”と聞いて私がすぐに思ったのは、なじみの新宿ゴールデン街でした。 3坪(6畳)程度の狭い店。そこでしっぽりと酒を飲みながら、政治経済、時事ネタから色恋まで、様々な話に花を咲かせ、握手して、肩を組んで、ハグして…。ほろ酔いで店を後にすると、なんだか今日が少しだけ良い一日だったような気がしてくる。そんな独特な空気をまとった夜の街は、どうなってしまうのだろうか?取材をさせてもらうことになったのが、4月の初めでした。少し頑張れば、歩いて通える距離に住んでいるのも、取材を始めるきっかけでした。 【取材の日々は・・・】 マスク、手洗い、うがい、そして消毒、消毒……。 自分が感染することも怖かったですが、それ以上に、高齢の店主に感染させてしまったりでもしたら大変だと、取材中も家に帰ってもお酒は飲まず、味覚があることを確かめながら、恐る恐る取材がはじまりました。 不要不急の外出を避けなければならない中、なぜ自分はゴールデン街の取材に赴くのか? 本当にこの取材が、不要不急でないと言えるのか? 夜、クタクタになって家に帰りつくと、脱衣所に直行。着ている服を全部脱ぎ捨て、すぐに洗濯。手洗いうがいも兼ねてすぐにシャワーで全身を洗い流す日々。それでも、取材に出ている罪悪感はなかなかぬぐえませんでした。 そもそも“3密”の飲み屋街は、コロナ禍の中で本当に必要なのか?という大きな疑問が心をよぎるようになりました。 【ひとりの新米ママとの出会い】 取材をはじめて、ほどなくして、ひとりの新米ママと出会いました。新米ママと言っても、70歳。去年8月から店を始めたといいます。緊急事態宣言の中、ランチ営業やテイクアウトをはじめ、店に出続けていました。 「座して死を待つわけにはいかない」…そう言って弁当を作るママを見ていると、なぜそこまで強い思いで店に出続けるのか気になりました。昼を食べに寄らせてもらったり、弁当を買わせてもらう中で、お話を聞かせてもらうようになると、ママの強い思いの根源がだんだんとわかってきました。 ママには20年以上誰にも語ることできなかった、一つの深い苦悩がありました。 その苦悩とは、ママの子どもが精神的な病を抱え、今も生きづらさを抱えていること。その原因が、自分の真面目過ぎる子育ての仕方にあったのではないか? ずっと悩んできたと言います。 それまで呑み屋とはおよそ縁のなかったママが、ゴールデン街を知ったのは6年前。ふらりと立ち寄った店で、隣り合わせた見ず知らずの客に、自然と心の内を話していました。隣の客は、そうか、そうか、と自然な感じで受け止めてくれたそうです。ママにとっては、苦悩を吐露すること自体が初めてのことだったので、翌朝、酔いがさめた頭で、何度も現実だったのか、確かめたそうです。 「言っちゃったよ!私言っちゃったよ!」。以来、どんな人生も否定しないゴールデン街の自由な空気に惹かれたママ。その街で店を出すようになったいま、どんな生き方でも、ダメなものなんてない。そのことを身をもって体現することこそが子どもに渡せる一番のプレゼントだと言います。 「お母さん、あの歳でも頑張って生きてたなって、その子供だなって思ってもらいたい。その子供なら、今落ち込んでるけど、あと1日生きてみようという勇気になるかもしれない。本当に世の中から消えちゃいたいと思ったときに、思い出してねって思うし、最後に親として残せるものって、やっぱり生きる勇気ですよね。私はそう思うんです」 【密の街が教えてくれたもの】 不要不急の外出を控えなければならない中で、ゴールデン街の取材をすべきことだったのか?そもそも、密の街が今の時代に必要なものなのか? その答えは、私にはわかりません。ただ、人と人が密になることで得られる安堵感や、連帯感はなにものにも代えがたいものだと改めて感じました。 ここにしか、居場所がない人がいることも事実です。 家族に大病が発覚したため、家計を支えなければならなくなったスタッフ。そこで感染対策をして店を開ける決断をした店主。ママとなじみの客たちのために、ウィルス対策になるというペンキを塗って、励ます常連客。街の苦境を乗り切るために、100万もの大金を払って、2000枚のフェイスシールドを作り、タダで配る店主。 その助け合ったり、思いあったりできる気持ちの根源には、日ごろから密接な人と人との結びつきがあったからこそ、なしえたものなのではないか、と感じています。 今は“密”を避けなければならない。でも、“密”は、決して悪いものではない。 コロナが収束し、早く“密”になれる日が来ることを、心より願うばかりです。