戦国時代も年末年始は“おやすみモード”。忘年会で労い、新年会で新しいスタートを切る。今も昔も変わらないようです。しかしその気の緩みは命取りになります。年越し忘年会を襲撃され城を落とされた残念な武将もいれば、宴会に芸能集団を送り込んだ後に奇襲を仕掛けた知将もいました。年末年始も歴史は動き続けています。また、江戸時代「大奥」で行われていた、今ではちょっと考えられない宴の話もありますよ。
「大坂夏の陣」で味方を襲撃した伊達政宗軍。その真相がとんでもない。難攻不落の城を構え、戦も強かったある武将は、体を動かす“あること”が大好き。そこにつけ込まれて大切な城を失います。その“あること”とは一体?織田信長を槍で突き、その側近、森蘭丸を討ち取った人物や、日本一の兵と評された真田幸村を討ち取った人をご存知でしょうか。普段はなかなかスポットの当たらない、もう一つの歴史をお話しします。
土編に「成」と書いて「城」。字のごとく土を掘って「堀」を巡らされた防御施設。重機のない時代に、天下人クラスの大きなお城で1年~3年かけて造られました。今も昔も地域のランドマーク、「お城」。兵糧攻めを想定して、食べられる素材で造られた城や堀にサメが泳いでいる城。さらには温泉が沸いていた城など、知られざるお城の話をお届けします。
「吉良上野介」。江戸城で浅野内匠頭に斬りかかられ、「忠臣蔵」では、悪役・意地悪なキャラクターとして描かれます。また、浅野内匠頭に切腹を命じた「徳川綱吉」は、「生類憐みの令」を制定した人物として、評価は高くありません。時代をさかのぼって、木曾で育ち木曽義仲とも呼ばれる「源義仲」。「平家物語」では、戦いが好きで怒りっぽい性格と書かれています。これらの人物の評価は、果たして正しいのでしょうか?
幕末の偉人「坂本龍馬」。幕府の開国路線を支持し、幕政改革を求めた薩摩藩と、反幕的姿勢の長州藩という相いれない立場にあった2つの藩に薩長同盟を締結させ、大政奉還を実現させた功労者…といわれていますが、実はもう一つの歴史があった?甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信の「川中島の戦い」。どちらが勝者なのかもわかっていない謎の戦いです。信玄は本当に謙信と戦った?有名な一騎打ちはあったのでしょうか?
「桶狭間の戦い」は、織田信長がわずかな軍勢で本陣を奇襲し、今川義元を討ち取り、天下統一に向けて駆けのぼるきっかけをつかんだ戦いです。「長篠の戦い」は、織田信長が名実ともに天下人となった歴史上重要な合戦で、戦国最強と言われた「風林火山」でおなじみ武田の騎馬隊と、大量の最新兵器・鉄砲を用意した織田・徳川連合軍との大決戦といわれています。この誰もが知っている歴史。一体どこが盛られているのでしょうか?