The Crossroad 稲垣潤一さん

NHK
2023年12月1日 午後1:39 公開

今回は、あの冬の名曲をめぐる
クロスロード特別編!

稲垣:「分岐点というか、振り返れば
僕の背中を押してくれた。」

1992年にリリースした名曲
「クリスマスキャロルの頃には」が、
歌い手である稲垣潤一さんの人生にとって、
どのような分岐点をもたらしたのか、
深堀していきます。
聞き手は小田切千アナウンサーです。

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小田切:「カラオケで歌われる方も多くて、
歌いたいなって。」

稲:「ブレスのタイミングが
ちょっと難しい曲なんですよね。
『クリスマスキャロルが~』
とここで一回ブレスしなきゃいけない。
『流れる頃には~』
でまたブレスする。
酸欠にならないように、
たっぷりブレスのときに息を吸って。」

小:「息継ぎ忘れちゃうものですか?」

稲:「僕はさすがに忘れませんけど(笑)」

小「(笑)」

小:「これからの季節、カラオケで。」

稲:「ぜひトライしてみてください。」

■当時、稲垣さんは、音楽活動開始から
20年目を迎えていました。
CMソングやドラマの主題歌などを歌い、
数多くのヒット曲に恵まれた稲垣さん。
順調にキャリアを積むなかで、人知れず、
悩みを抱えていたと言います。

稲:「実は(「クリスマスキャロルの頃には」
発売当時の)1992年のころ、
音楽を楽しめなくなっていたんです。
あまり言ったことないんですけど。
ライブツアー終わったらレコーディング、
レコーディング終わったらまたライブツアーって
その繰り返しなんですよね。
ライブで歌っていても、
歌わせられているというか、
そんなことはないんですけど、
そんな気になっちゃう。
だから自分の中ですごくもがいていたというか
燃え尽き症候群とも違うと思うんだけど、
何か“勤続疲労”みたいな。」

■プロとして、
求められている役割を果たそうと、
ひたすら走り続けてきた稲垣さん。
知らず知らずのうちに、心が疲れていたのです。
仙台の実家に戻り、休暇を取っていたとき
作曲家の三井誠さんから
「歌ってほしい」とデモテープが届きます。

稲:「この曲を初めて聴いたとき、
サビを聴いたときにもう
『これすごくいい作品になるね』
と話していたんですよ。
ただ、よすぎるというか、
A・Bメロがサビと比べると
申し訳ないんですけど
ちょっと見劣りするんですよね、展開的に。」

■この曲をなんとしても完成させたい。
稲垣さんの心に火が付きました。

稲:「こちらの要望を伝えて、
何度も何度も直しをしてくださって。
今だったらメールに貼り付けて送って、
それを聴いて、また返すなんてことは
簡単にできちゃうけど、
当時はいちいち、カセットテープに録音して。」

小:「録音しないといけないですもんね。」

稲:「それでまた作って、こちらに送ってきて、
何か月もかかりました。」

■そしてメロディーが半年以上を費やして完成。
作詞は、あのヒットメーカー、
秋元康さんが手がけることになりました。

稲:「ラブソングにしたいと
思っていたんですけど、
クリスマスソングになるとは
思ってもいなかった。
で、詞ができあがってきたら
『クリスマスキャロル』が
8回でてくるんですよ。」

小:「8回…出てきますね、はい。」

稲:「『これちょっとくどいでしょう』
という話を、秋元さんにしたんですよ。
そうしたら秋元さんが、
『稲垣さんの歌がのれば、これはくどくない』
と言うので、ちょっと歌ってみたんですよね。
そうしたら、
『あ、これは秋元さんの言っていることが
正しいかもしれないね』ということになって。
レコーディングは夏ですよ、クリスマスソング。
暑い盛りにクリスマスソングを
レコーディングしたっていう。
スタジオにクリスマスツリーぐらい用意してよ
みたいな。」

■1年がかりで完成させた渾身の作品は、
稲垣さんの予想をはるかに超えて
大ヒットしていきます。
そしてこの曲が、
音楽を楽しめなくなっていた稲垣さんに、
前向きな力を与えることになるのです。

稲:「『クリスマスキャロルの頃には』で、
マイクを向けると、皆さん大合唱してくれる。」

小:「この曲がリリースされる前のライブでは、
そういうことはあまりなかったんですか?」

稲:「皆さんにマイクを向けてというのは
そんなにしてなかったですね。
ひたむきに歌っているっていう。
それがだんだん(マイクを向けると)
皆さんいいお顔というか、笑顔も混じってきて、
自分の中で(楽しめないとか)そんなこと
言っていられないような状況になり、
本当に歌ってきてよかったなと
思うんですけどね。」

■ファンと一緒に歌える楽曲を手に入れた
稲垣さん。
肩の力を抜いて、音楽活動を
楽しんでいこうと思えるようになりました。

稲:「自分が楽しまなきゃ
そんないい歌、歌えないし、
自分が楽しめる内容にしていこうと、
かじを切ったっていうか。
自分でも方向性を見失っていた時期に、
この曲と出会って、本当によかったなと思うし、
背中を押してくれた楽曲だったんだなと
思いますね。」