このドキュメンタリーがヤバい!
各界のキュレーターたちが「ヤバい」くらいに印象に残った今年のドキュメンタリーをおすすめする!
このドキュメンタリーがヤバい!2022
初回放送日:2022年12月30日
佐藤栞里が驚きバナナマン設楽が涙。ヤバいほど魅力的な20以上のドキュメンタリーを紹介する。ヒコロヒーとシソンヌ長谷川興奮。紹介番組はNHKプラスなどで視聴可能! ヤバいほどリアル、ヤバいほど泣ける、未知の世界を垣間見られる。今年話題になったイチ推しのドキュメンタリーを紹介。20以上の番組・作品をゲストが語りつくす。佐藤栞里が植物の真実に驚き、「餅ばあちゃん」に感動。バナナマン設楽が涙した3人の女性の物語。クジラやホタテの大移動、白い海など超貴重映像も満載。ヒコロヒーが思わず2回見た番組は?シソンヌ長谷川も大興奮。紹介番組はNHKプラスなどで視聴可能です。
- 番組情報
- その他の情報
- 詳細記事
出演者・キャストほか
- パネリスト設楽 統(バナナマン)お笑い芸人
- パネリストヒコロヒーお笑い芸人
- パネリスト佐藤 栞里モデル
タレント - パネリスト長谷川 忍(シソンヌ)お笑い芸人
- パネリスト斉藤 和義「Hanako」編集キャップ
- 番組司会杉浦 友紀NHKアナウンサー
- ナレーション浪川 大輔声優
よくある質問
NHKスペシャル「鯨獲りの海」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 鯨獲りとは一体どのような営みなのか。そのありのままを、視聴者自身が海の上で体験しているような映像体験を作れないかと考えながら制作しました。ただ観察するということを超えて、自分も人間界を離れた海の上で日々を過ごし、次第に陸のことを忘れ、自然の繊細な変化を全身で感じ取りながら鯨を追っているような臨場感と生々しさ、没入感。そうしたものを孕んだ映像を作りたいと思いました。 捕鯨船の上で見る情景は、自然の神秘と神聖さに満ちたものでもあり、また人として生きることの業をありのままに突きつけられるものでもあります。それをロジック抜きにすべて記録し、体感して頂くことが、鯨獲りという営みを理解する上で大事なことではないかと思いました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? トップマストから、変幻自在に泳ぐ鯨を探すシーン。鯨は基本的に、目視でしか探すことはできません。ニタリクジラのブローはとても小さく、霞のように一瞬で消えます。熟練の乗組員は風向きや鳥の飛び方、気温、海の色など様々な情報から、次第に鯨がどこをどう泳いでいるのか想像できるようになると言います。鯨の気持ちになって海を走り、探し出す。これこそ人類が異種の生物と深い次元でコミュニケーションしている様子そのものだと思います。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 電波が届かないので、スマホが使えないこと!!!・・・そんな海の上で 53 日間を過ごすと言うことは、何にも遮られることなく、ただ捕鯨船団の人々と同じ海を生きるということでもありました。記録するとは、ドキュメンタリーを作るとはどういうことなのか。自分自身がどんなディレクターであるべきなのか、沢山のことを考えました。長い長い取材、そして文字通り命がけの撮影で、力を尽くしたところは数え切れないほどありますが、いま思い出すのは船の上の日々の記憶だけです。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 最初に放送した「ノーナレ」版を見て、中学生の女の子が一人、鯨獲りになりたいけれどどうしたらいいですか、と捕鯨会社に電話をくれたと聞きました。その子は、水産高校に進んだそうです。昭和の時代の捕鯨者の人々からも、喜びの声が多く届いたそうです。そして、かつて南氷洋で同じ日新丸船団を取材し、1987 年の「南氷洋の黄昏」を制作した小林さんから「ありがとう」と伝えられたことも感慨深いことでした。ドキュメンタリーを作る、時代を記録すると言うことは、過去の時代からの手紙を受け取り、少しだけ何かを書き加えて、また未来に向けて贈るという営みなのかもしれません。 (番組ディレクター 鈴木夏生)
NHKスペシャル「北の海 よみがえる絶景」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 普通の自然番組にしないこと。「幻の絶景x日本の海の社会問題」という掛け合わせ。それを出来る限り多くの人に共感していただけるように感動的に前向きな気持ちで見終わるようにすることにこだわりました。番組の趣旨は「資源管理・魚の乱獲を防ごう」と一言でも言えてしまうメッセージです。ただそれだけでは多くの人には共感もしてもらえないし、届きません。 自然番組には時に難しい、受け入れがたいメッセージでも美しい映像と感動の力で届けるパワーがあると私は信じています。 環境問題や資源管理の問題を取り扱う番組では、ある種の「恐れ」を前面にだし、それを防ぐにはどうするか?という構造が多いです。もちろんそれで感化されて行動に移せるひともいます。ただほとんどの人にとってはせっかくテレビをゆったりみられる時間に重たい話をされてもキツいよ~と思うひとも多いと思います。ただそんな人にも面白そうな自然の話なら見て感じてもらえるのではと願っています。 この番組に登場する生き物は、「にしん・ほっけ・ほたて」と私たちが普段スーパーなどで買っているようななじみ深い魚です。それが実はとんでもなく感動する絶景を作り出していて、その生末は私たちの活動が大きくかかわっている。近頃は環境問題では生き物がいなくなっている危機に瀕しているという恐ろしい話が多いですが、わずかでも希望を持てる話があるということを知ってほしいと思い制作しました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? まず忘れて欲しくないことが、今回の番組は舞台が全て日本です。遠い知らない自然ではなくほかならぬ自分たちの国で起きているスペクタクルなんだ!と感じて頂ければ幸いです。中でも個人的な気持ちも大きいですが、イチオシのシーンは2つです。 【巨大ホッケ柱がそびえ立つ瞬間】 ホッケ柱は本当に神出鬼没、いつどこで出てくるのかという法則性がつかめませんでした。本当に渦が海面に現れるのか?渦が出来たとしてそこに近づいて水中カメラマンが入って撮影ができるのか?夜明けから日没まで毎日ひたすら海を眺めてやっと撮影ができた時はクルー皆で大喜びでした。映像では表現できませんが、ホッケ柱の渦が現れる時には本当に魚の生臭い匂いが(ホッケの糞の油のにおい)が辺りに漂い、カモメが集まりだした先に渦があらわれるのです。放送後に中川カメラマンが現地に行ったそうですが、撮影できなかったそうです。やはり幻の絶景なのです。 【ニシンの群来再現実験】 番組上ではしれっと見せているニシンの実験ですが、これほどの規模は世界初。これ一本で番組が出来そうなほど、紆余曲折がありました。漁師さんの協力で生きたまま捕獲。北海道を横断する形でニシンを陸送。昼夜通して研究者と学生の皆さんと観察。照明や人工海藻の位置など調整しやっとの思いで実った群来の再現実験は是非見てほしいシーンです。 「誰も見たことのない光景を撮る」というのはテレビの原点だと思います。 番組でも決定的瞬間を撮るためにスタッフの努力を少し見せていますが、実際はもっと大変です笑 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 【取材:礼文島のナマコ漁師のジレンマに触れること】 ホッケの資源保護のためにナマコを禁漁にしたというと、聞こえは良いですが収入に直結します。しかもその補償もない、まさに善意と我慢による身を切る対策です。美談だけで済まない難しいところが資源管理にはついてまわります。その努力を広く知ってほしいことを伝えて交渉のあとに気持ちをカメラの前で語ってくださったことは本当に感謝しています。資源を管理していく過程には必ず痛みが伴う部分があるということを忘れてはいけない難しい部分です。 【ロケ:80年以上前のかつての群来の光景を知る漁師を見つけること】 かつてのニシン漁、群来を自分の目で見たという方に語って頂くのが良いだろうというアイディアはすぐに出ましたが、探すことは容易ではありませんでした。北海道の日本海側の漁協にひたすら電話をかけ続けて、ロケ直前にようやく辿りついたのが番組に出演してくださった竹内さんです。ニシン漁にかける思いも人一倍強く、昨日のことのように語ってくださりました。当時大量に漁獲されて巨万の富を上げた人々がそれを忘れられず、ニシンの減衰と一緒に没落していったというお話は特に印象的でした。「ニシンは人を惑わす魚」という一言は番組に欠かせない強烈なインパクトを残していると思います。 【構成:自然のビューティーVS環境・資源管理の番組バランス】 今回の番組は見る人によっては中途半端と感じるかもしれません。もっと資源管理のことを教えてくれよ、あるいは難しい話は良いからもっとスゴイ映像を見たい。このバランスをどうとるのかは制作している間、悩み続けていました。49分の中でテレビ番組がなすべき役割を考えた時の私たちなりの最大公約数が今の形です。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 小学生の親子から絵とお手紙が届いたこと。「テレビつくってくれてありがとう」という一言でしたが、苦労して撮影・制作した甲斐があったと報われる思いです。一人でも自分の番組を見た視聴者、特に若い世代にも少しでも届いたのかと思うととても嬉しい気持ちです。私自身も子どもの頃にテレビで見た自然・環境番組に感化されて今ディレクターになりました。非常に単純かもしれないですが、ひとりひとりの思いがこうして繋がって新たな一歩・ドキュメンタリーにつながっていくのかな?と思います。 (番組ディレクター 鶴園 宏海)
NHKスペシャル「玉鋼に挑む 日本刀を生み出す奇跡の鉄」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? まず、なぜいま、たたら製鉄をドキュメントしようと思ったのか。 私は平成元年に入局して30年以上、NHKスペシャルやクローズアップ現代といった番組で、日本企業のドキュメンタリー、とりわけ家電・自動車・半導体といったものづくりの現場のインサイド・ドキュメンタリーを数多く手掛けてきました。というのも、ものづくりの世界にこそ日本人の美徳や強みが凝縮されているのではないか、という思いがずっとあったからです。しかし、ここ数年、深掘りしたいと思えるような「ものづくりの現場」になかなか出会えませんでした。メイド・イン・ジャパンの手詰まり感は、かくも極まっていたということでしょうか。 そこで、「日本のものづくりの原点」に立ち返ってみようと考えました。温故知新と言いますか、原点にこそ、なにか未来へのヒントがあるのではないかと。実は、7年前に島根県の「鉄の道」(たたら製鉄で作った鉄を奥出雲から安来の港まで運んだ道)を旅する番組を制作したときから、日本古来のたたら製鉄をドキュメントするチャンスをずっとうかがっていました。たたら製鉄を主催する日本美術刀剣保存協会のたたら課長こと黒滝哲哉さんに久しぶりに連絡をとったところ、なんと次の操業を最後に定年退職されるとのこと!これはやはり、「いまこそたたら製鉄のドキュメンタリーを作りなさい」という啓示ではないか、という思い込みをエネルギーに企画を立ち上げました。たまたま最初に企画の相談を持ちかけた加藤チーフプロデューサーが、以前「プロジェクトX」という人気番組で「たたら製鉄復活」のストーリーを手がけたことがあるという不思議な偶然も、私の思い込みを増幅してくれました。こういう偶然が重なるときって、ドキュメンタリーの企画はうまくいくものなんですよね。 さて、制作する上でこだわったことは大きく3つあります。 ひとつは、群像ドキュメンタリーとして成立させることです。ドキュメンタリーを制作する際、主人公を絞るほうが描きやすいでしょうし、限られた放送時間で視聴者に何人もの登場人物を認識してもらうのは難しいでしょう(50分の番組だと、経験的になんとなく2.5人くらいの印象があります)。しかし、多くの大事はひとりのヒーローの力だけで成し遂げられるものではありません。番組でもナレーションしたとおり、たたら製鉄は「全員参加のものづくり」です(それは私たちの番組作りも同じです)。 そこで、この番組では、それぞれの職人さんのたたら製鉄における役割とキャラクター、そして職人同士の関係性の糸をストーリーの流れにのせて紡いでいくことで、できるだけ多くの職人さんにフォーカスしたいと考えました。レジェンドの木原村下と4人の次期村下候補。その4人もそれぞれのバックグラウンドや流儀でキャラクターが際立ちます。そして、4人の村下候補をサポートする炭焚(すみたき)の存在が、トラブルの中で浮き彫りになってきます。こうして番組では12人のたたら職人のうち、7人のお名前を紹介することができました。さらに、裏方としてコロナ禍での操業実現に奔走された、たたら課長の黒滝さんの存在もストーリーに織り込んでいます。それぞれの関係性が物語の推進力となることで、たたら製鉄の現場をリアルにお伝えできたのではないか思います。まあ、これはひとえにたたら職人のみなさんが放つ魅力のたまものでしょうが。 ちなみに、同じ映像素材を使ってBS特集やローカル特集など別バージョンの番組(「玉鋼の十二人」「玉鋼をつくる!」など)をいくつも作ることで、NHKスペシャルで紹介できなかった皆さんも含めた(今年の操業を病で欠席された方も含めた)全員のお名前と役割を紹介することができました。 もうひとつは、単なる伝統技能の紹介に甘んじず、現場で何が起きてどうなっているのか、そしてそれをたたら職人たちがどう解決していくのかを可能なかぎりつぶさに捉え、問いかけと映像と語りでストーリーを立体的に描こうという試みです。 たたら製鉄は、30分おきに砂鉄と木炭を粘土の釜に入れていくという、一見シンプルに思える作業です。また、釜の中で何が起きているのか、普通に見ていてもなかなかわかりません。実際に、あるたたら職人さんからは「説明しても、あなたたち素人にはわからんでしょう」とも言われました。しかし、やはり物事には原因と結果があって、内部がほとんど見えない釜でも、よく見ていると、好調の兆候、不調の兆候がたたら職人たちの反応や動きを通じて見えてきます。職人さんたちに問いかけて状況を読み解きつつ、現場で起きていることを起きているときに的確に捉えてこそ、玉鋼づくりがいかにダイナミックで奥深いものかが伝わるわけです。たとえ難解なことでも、雰囲気の描写に逃げず、現場で起きていることはいったい何なのか、それを徹底して理解しようとする-これは今回も含め、ずっと一緒にドキュメンタリーの現場に立ってきた竹内秀一カメラマンの信条でもあります。重い4Kカメラを肩に担いで撮影した竹内カメラマンの映像は、私たちロケチームが何に興味を持って何を見ているのか、番組をご覧の皆さんに克明に伝えてくれたのではないかと思います。 そして最後のこだわりは、現場での気づき、問いかけ、発見をナレーションという糸で紡いでいくのなら、カメラマン・音声マンとともに現場に立って現場を認識してきたディレクターの私自身が、自分自身で書いたナレーションを読むのがベストではないかと思い、僭越ながら読ませていただいたことです。 ドキュメンタリーから取材者の存在を消し去ることで視聴者が感じるリアリティを高めようという試みが増えているように感じますが、私は取材者であるジャーナリストの目線を打ち出す一人称目線のドキュメンタリーを追求したいと考えています。もし、取材者の目線なんて不要だ、などという空気が世の中にあるとすれば、むしろそれを乗り越えていくことに挑戦したいと思います。私自身が去年までものづくりやイノベーション分野の解説委員を兼務していたことも影響しているのかもしれませんが、組織人とはいえ、その思いがあってこそ、映像ジャーナリストとしての存在意義があると信じています。今回の番組が7年前からあたためてきた企画だったことも、自分自身で語るのがベストだという思いにつながったのでしょう。 それに加え、以前海外のコンクールに出席した際、ヨーロッパのプロデューサーから「NHKのドキュメンタリーは、誰がどういう立場からナレーションを読んでいるのかわからない。まるで神の声だ」と言われたことが深く印象に残っています。その頃、ヨーロッパからの出品作品の多くがノーナレーションで、字幕で説明を入れるスタイルをとっていました。そのヨーロッパ流のよしあしはさておき、私は「ならば、取材者自身が一人称の目線でナレーションを語ればよいではないか」と考えるようになった次第です。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? どこを見てもらいたい、というのはなかなか難しいですね。制作メンバーである松江局の鈴木ディレクターは、理論派の佐藤さんが問題を解決していくところ、そして疲弊した堀尾さんの後を受けて三浦さんが炭焚の安藤さんの機転に助けられながら問題解決していくところを挙げました。カメラマンの竹内さんは、それに加え、私がナレーションでたたら製鉄から得た気づきをストレートに語っているところ(39~40分)、日本刀に陶酔するアメリカの愛好家たちの表情、そして釜壊しのシーンなどを挙げました。 私がひとつあげるとすれば、28分半~35分のシーンでしょうか。疲弊した堀尾さんが残した釜の不調を三浦さんが引き受け、炭焚の安藤さんの機転に助けられて釜を復調させます。そして三浦さんが安藤さんに感謝の言葉を述べ、「たたら製鉄は全員参加のものづくり」という気づきへとつながっていく一連ですね。「村下がおらんとたたらはできんです。だけど、村下だけが頑張っても、たたらはできんのですわ・・・」という三浦さんのインタビューは、まさにナレーションでも書いたとおり、三浦さんがこれだけは言わせてくれと私たちに熱く語ってくれた言葉です(NHKスペシャルではカットしましたが、BS版ではこの言葉の背景にある三浦さんの過去への悔恨も描いています)。そして、このあと玉鋼の出来映えに対する木原村下の懸念を、弟子たちは全員参加のものづくりで克服して、玉鋼を生み出すことになんとか成功します。 この「全員参加」という言葉は、ときとして人を動かす立場の者に都合よく使われる危うさもはらんでいますが、一方で私たち日本人の強みを表すひとつのキーワードだと感じました。日本のものづくりの現場の「全員参加」は、西洋の分業とは根本的な違いがあります。西洋の分業は、「私の持ち場はここ、他は知りませんし責任も持てません」というのが基本なのですが、日本の「全員参加のものづくり」の場合は、ひとりひとりが持ち場に加えて「のりしろ」のような部分で結びついていることなんですね。例えば、苦戦していた裏の村下役の三上さんをサポートしようと、本来競い合うはずの表の炭焚の田中さんが助っ人に駆けつける場面がありました。ひとりひとりがのりしろで結びつくことで全体としての強さを高めていくのが、日本の現場力の神髄の一つです。 そして、それに関連して、たたら職人たちがいまこの時代に、あえて昔ながらの技法を貫いている意義にも思いをはせました。伝統技能の保存という大義名分にとどまらない意義です。 私自身、テクノロジーや文明の利器を否定する者では決してありませんが、我が身をセンサーにして釜と向き合うたたら職人たちの姿に、かつて日本の強みだった「身体性を重んじるものづくり」を想起しました。1000分の1ミリを削り分ける指先の感覚、図面を頭の中で瞬時に立体化して問題が起きる箇所を先んじて言い当てる能力など、身体性のものづくりは様々な気づきや工夫を生み出し、かつて粗悪品の代名詞だったメイド・イン・ジャパンを、わずか30年ほどの間に世界一のブランドへと押し上げました。デジタルテクノロジーの時代にそんなものはもはや通用しないという考えもあるかもしれませんが、一方で便利なリモートでのコミュニケーションに何か物足りなさを感じるという現実、これも身体性の欠如から来るものではないかと私は感じています。新しいものを生み出すには、まず我が身を動かし、我が身で気づきを得ることが重要なのではないかと、私自身あらためて考えさせられました。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 本来1月から2月にかけて3回行われる玉鋼づくりは、コロナ感染の第6波と重なったため、結局3月上旬に1回だけ行われることになりました。そして、たたら職人のみなさんがコロナに感染するリスクを最低限に抑えるため、私たちはたたら場の事前取材も、たたら職人さんたちとの事前の顔合わせもできないまま、いきなりロケを始めなければなりませんでした(もちろん島根入りする直前にロケチーム全員PCR検査で陰性を確認しました)。私も木原村下と数年前に2度お目にかかったことがあるだけで、群像ドキュメンタリーをやろうというのに、その主役である職人のみなさんとロケ本番で初顔合わせというのは、なかなかのものです。しかも長期にわたって撮影するわけではなく、たたら操業は下準備を含め7日間の勝負です。 事前にできることは、たたら課長の黒滝さんに職人さんたちの人物評をたずねたり、たたら製鉄に関する著作を熟読したりして、玉鋼づくりの工程を頭にたたき込みながらイメージを膨らませることだけでした。重要なのは、こうして頭の中に創り上げた物差しを頼りに、「現場を凝視する」ことにつきます。認識力をフルに回転させ、コトが起きているときにコトの意味を読み解いていくわけです。例えば、次期村下候補筆頭の堀尾さんに対して、木原さんが口うるさくなっている様子に注目し、愛弟子意識の強さを感じる一方、木原さんの指摘に対する堀尾さんの微妙な反応から、どうも「そろそろオレ流でやらせてほしい」と感じているのではないか、と認識して、そのことを堀尾さんに問いとしてぶつけるとか。三上さんの表情から、去年うまくいかなかったことをかなり気にされているな、とか。必ず砂鉄の量をはかりではかってから釜に入れる佐藤さんは、流儀が違うな、とか。三浦さんは操業中に仲間への感謝の言葉を口にすることが多いのはなぜなのだろう、とか。こうした現場での疑問と問いかけと認識のプロセスがそのままドキュメンタリーになっていったのが、この番組なのかもしれません。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 同僚の中にはSNSで視聴者の書き込みをチェックしながらオンエアを見る人も多いようですが、実は私は、この何年か、番組を放送した後の反響を自分からあまりチェックしなくなりました。世に出した番組をどう受け止めるかは、視聴者の皆さん次第ですし、番組が何かを考えていただくきっかけになれば、それでよいのではないかという思いが大きくなってきたからです。それでも、よい反響が耳に届けばうれしいですし、否定的な意見が届けば「なんでやねん」と思ってしまうものなのですが。 なので、私の耳に届いた反響に限られますが、「こんなものづくりが日本の奥出雲のただ一カ所だけで行われていたとはつゆ知らず、炎に我が身をさらして玉鋼づくりに挑む職人さんたちの姿に心打たれた」「日本刀をつくる刀鍛冶のドキュメンタリーは見たことはあるが、その日本刀づくりに玉鋼という特殊な鉄が必要で、しかも世界であの職人さんたちだけがつくっているという事実は全く知らなかった。その現場を見せてもらえたことに感激」というように、知られざるものづくりの現場と知られざるたたら職人の存在に驚きと感動を覚えたという内容が多かったと思います。知られざるという点では、なにせ、局内での企画提案会議でも「玉鋼」をすんなりと「たまはがね」と読めない人がそこそこいて、タイトルにルビを振ったぐらいですから。 それと、この番組は英語版が作られ、NHKワールドジャパンという国際放送で世界に発信されたのですが、その反響がとにかく大きかったそうです。「行うことすべてが芸術。すばらしい」「西洋人とは違う種類の倫理観・献身・規律」「現代の技術や機械を凌駕する職人の技に感動」というような熱いコメントが、世界中から寄せられていました。 とにかく、こんなすてきな職人さんたちがいらっしゃるということを、多くの視聴者に知ってもらえたならば、制作チーム一同、本当にうれしく思います。やはり、ものづくりの世界にこそ日本人の美徳や強みが凝縮されている、という思いをあらためて強くしました。いつまでも「ものづくり、ものづくり」と言っていることが、日本経済を停滞させている一因だという見方があることも理解していますが、一方で、自分たちの中にないものを武器に世界で戦うことも、世界に貢献することもできません。自分たちの中にあるものを時代に合わせてどう生かすか、という発想が重要なのではないかと思います。そして、経済ではなく、文化を支えるものづくり、つまりマネーではなく心をつかむものづくりの重要性が視聴者に届いていればと願っています。 (番組ディレクター 片岡 利文)
100カメ「美容クリニック」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? ひとつめは、取材をするにあたって、先入観や根拠のない偏見をなるべく持たないようにすること。100 台のカメラに映ったものを、とにかく徹底的に観察することを心がけました。通常のドキュメンタリー取材では、ディレクターの問題意識や意見が、ともすれば誘導質問にもつながるおそれがあります。そうした恣意性を排除して、映っていた自然な様子や“素”の姿から、番組を制作することにこだわりました。いざのぞいてみると、取材させていただいたクリニックでは、訪れた人々が晴れ晴れとした顔になり、上機嫌で帰って行きます。クスッと笑える会話も意外と多いなど、いくつも発見がありました。 ふたつめは、リアルさにこだわること。「キレイを手に入れたい時には、痛みが伴う」というのも、画面を通して伝えられる重要な情報です。脂肪吸引のキュルキュルという音、糸リフトで長い針を刺す施術など、手術の一部始終の映像をしっかりみせることにこだわりました。 最後に、時間をかけて、丁寧に取材すること。モザイク無しで取材の許可取りに応じてもらったり、1か月後の経過まで追いかけることをご了解いただいたり、取材交渉は慎重に行いました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 番組の終盤、自分のやりたい治療が定まらず1時間以上カウンセリングを続けた女性に、院長の奥村智子医師が語りかけるシーンです。実は奥村医師自身も、20 代の頃から美容整形手術を繰り返し受け、理想の自分を追求してきた当事者の 1 人です。「美しくなりたい」「自分に自信を持ちたい」という切実な思いに対して、人生を通じて情熱を傾けてきた院長の言葉には、コンプレックスを自分自身の輝きに変える人間の強さが宿っていると感じました。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 実際の手術の様子を映像で伝えるというリアルさの追求と、映像的なショックを軽減するバランスです。手術シーンの前には、このあと刺激的な映像が流れることを事前にお伝えするテロップを打つ、痛みの苦手な方のために、“目のそらしどころ”として、オードリーの2人のワイプを一時的に大きくするなどで工夫しました。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 放送後、顔出しで撮影に応じてくださった皆さんから「放送を楽しく見た」という感想をいただけたことです。中には「夫や子どもと一緒に笑いながら見ました」という方もいらっしゃり、ほっとしました。100 カメは、取材先の方と直接お話する機会が限られるので、うれしい反響でした。 「100 台のカメラで定点観測する」というドキュメンタリーは、現場に直接足を踏み入れるのとは異なり、あえて距離をとるという不思議な手法です。ただ、距離を取るからこそ取材者を意識しなくなり、飾らない姿、“素”が撮れるという面もあります。 私自身を振り返っても、今回の取材に入る前は「(実際見たことはないけれど)美容医療は後ろめたいもの」という無意識に抱くイメージが、多少あったと思います。ただ、今回、100 台のカメラで徹底的に観察してみて、その見方は一面的なものであると気付かされました。「観察して、発見する」というドキュメンタリーの基本に立ち返ることができるのも、100 カメの魅力だと思っています。 (番組ディレクター 横内悠希)
NHKスペシャル 超・進化論 (1) 「植物からのメッセージ ~地球を彩る驚異の世界~」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 生き物たちの“見えざる世界”を映像化することです。最先端の研究から分かってきたのは、「生き物たちの営みの多くは、人間の目に見えないところで繰り広げられている」ということ。私たちはどうしても、自分の目に見えているものだけで、世界を捉えてしまいがちです。しかし、科学の最前線を追うことで、生き物たちの“見えざる世界”の一端を描き出すことはできないものか。その思いで、科学者と共に、これまで撮影されたことのない可視化実験に挑戦したり、実証的な特撮映像を丹念に積み重ねたりと、新しい映像表現に挑んでいます。 植物同士のコミュニケーションの実証映像などは、世界でも初めて撮影された貴重な映像です。誰も見たことのない新奇の映像と、研究成果に基づいた最先端のストーリーで、生き物たちの見えざる営みを体感して頂けるような番組を目指しました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? すべてのシーンです。番組の土台となっている最先端の研究と科学者たちの言葉、生き物の新世界を瑞々しく描き出すための撮影、VFX/CG、音などの要素。そして、ドキュメンタリーと響き合いながらストーリーを紡ぐドラマ。科学の粋と映像表現の力を融合して作り上げた49分間です。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 主人公は、“動かない、物言わぬ、地味な生き物”というイメージの植物。そして、描こうとしている重要な要素は、“生き物同士のつながり”という、目に見えづらい「系」。ということで、普通に考えれば、決して映像向きの題材ではありませんので、そこは難易度の高い挑戦でした。裏を返せば、これまでの多くの優れた自然番組は、生き物たちの目に見えるダイナミックな行動を映し出してきました。しかし今回は、肉眼では見えない世界にいかに思いを馳せられるかを大切にしていました。難題をクリアできれば、その先に今までと違う景色をお見せできるはずだ、という思いで制作していました。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 「まったく知らない世界に触れた」「これまでの常識、世界観が変わった」といった声が多く届き、それは有難い反響でした。番組を見終わった後に、“世界がちょっと違って見える”。そんな番組を作れればと思っていました。また、「子どもがくぎ付けだった」「生き物の研究を志す子どもが増えるのではないか」という声も、一際うれしいものでした。未来につながる番組になっていたなら、これほど嬉しいことはありません。 (番組ディレクター 白川 裕之)
ETV特集「ブラッドが見つめた戦争 あるウクライナ市民兵の8年」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? ウクライナ侵攻が始まり、最初に驚いたのはウクライナ市民兵の士気の高さでした。軍事経験のない一般人が戦争に加わり、何故ここまで強くしぶとく、勇気を持って自国を防衛できるのか。それが私にとって最大の「なぜ?」であり、こだわったテーマです。 その答えに辿りつくためには、少なくともウクライナが親露派政権を失脚させた2014年のマイダン革命まで遡らなければいけませんでした。かつ、国と国のやりとりではなく1市民兵の目線になり、戦争が人にもたらす負の力を解像度を上げて見つめることも必要でした。 8年前は普通の青年だった主人公ブラッドは、2022年の侵攻で正真正銘の軍人になっていきました。私は彼が25歳から34歳という時期に、どんな思いで銃弾に耐え続けたかを想像し、この戦争を今度こそ終わらせないといけないから、今諦めるわけにはいかないんだと思うようになりました。ブラッドを通して「だからウクライナは諦めずに戦い続けているんだ」という解を視聴者の方に見つけてもらえるよう、「8年」というキーワードを1番意識しました。 Q.2 放送後の反響で印象的なことはありますか? 反響のひとつひとつがとても心に残りました。 その中で「日本が戦争になったときに私は従軍ドキュメンタリストをやれるだろうか?務まるだろうか?と自問自答する西野のドキュメント」と鋭い意見をいただきました。自分でも気づいていませんでしたが図星でした。私はブラッドのように、逃げずにカメラを回せるんでしょうか?視聴者の方が、「日本が戦争になったら自分はどうする?」と自問している感想も多く見ました。これから私たちはどう世界と向き合っていけば良いのか、改めて考えさせられました。 (番組ディレクター 西野 晶)
映像の世紀 バタフライエフェクト 「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 「この番組はロケしたら負けだ!」 番組立ち上げのキックオフミーティングで制作統括が放った一言です。これまでの ディレクター人生でそんなことを言われたことはありません。普通はロケをいかに頑張るかで番組の成否は決まります。それを全否定するわけなので、この言葉は衝撃でした。もちろん、「映像の世紀」という世界中のアーカイブ映像を発掘して作る番組だから言えることです。私はこのチームに初参加だったので戸惑いました。 この回もロケしたいポイントは様々にありました。言わずもがなメルケルのインタビュー、ほかパンクの女王ニナ・ハーゲンが今どうしているか?等々、ディレクターなら当然のようにロケしたくなります。それをぐっと押さえて、あくまでアーカイブだけで構成するのです。結果、やはりそれで正解だったと思っています。歴史の視点から現在を照射する。そこに現在のロケ映像を加えると生半可なものになってしまうのだろうと思います。ロケをしないという割り切り。ぜひ視聴者の方にも感じてもらえればと思います。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 「民主主義はいつもそこにあるものではないのです」。 ラストシーン、メルケルが退任の際に語った言葉です。この一言を伝えたくて全体を構成しました。東ドイツの過酷な体制を生き延び、自由を勝ち取ったメルケルの言葉はずしりと重く響きます。民主主義は守らないと壊れてしまう。目の前にあって当たり前のものではないのだと。ウクライナでの戦争は言うに及ばず、いま世界中で民主主義が危機に直面しています。日本もひとごとではありません。今こそ多くの人に考えてもらいたいと思っています。 (番組ディレクター 小林 亮夫)
ふたりのディスタンス 「爆笑問題 太田光と妻・光代」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 夫婦のありのままの距離感を感じられる番組にするために、ふたりの日常や空気感を素直に撮影することを意識しました。特に夫婦旅行では、宿の部屋にスタッフが極力入らないようにするなど、ふたりきりの空間を守りながら撮影しました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 豪華な自宅や、光さんのラジオ収録の舞台裏など、見どころはたくさんありますが、何と言っても10 年ぶりの夫婦旅行です。特に、固定カメラで撮影した宿の室内や、列車の個室では、光代さんが光さんに甘え声で話したり、ふたりがカードゲームをして笑い合ったりと、すてきな距離感を感じられます。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 「私たち仲良くありませんので、番組が成り立たないと思いますよ」。光代さんに企画書を持ち込ませていただいたとき、開口一番に告げられた言葉でした。撮影が始まると、夫婦はいつも別行動で、自宅にお邪魔しても会話はほとんど撮れませんでした。ふたりの間に流れる空気感を、何とかして撮影したい。そんな私たちの思いを汲み取られたのか、しばらくして光代さんが「ふたりで旅行に行きたい」という思いを打ち明けられました。こうして、10 年ぶりの夫婦旅行が実現したのです。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 芸能界で活躍してきた特別な夫婦としてではなく、30 年連れ添ったごく普通の夫婦として見ていただき、感動や共感をしたという声に多く触れることができました。また光代さんは、「ふたりの大切な思い出が出来ました」と振り返られていて、うれしかったです。 (番組ディレクター 大川ゆき乃)
BS1スペシャル「正義の行方 ~飯塚事件 30年後の迷宮~」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 再審を題材にする番組は、「冤罪」を主張する場合もあるかと思いますが、今回の番組では「冤罪か否か」に迫ろうとはしていません。私たちがこだわったのは、事件の当事者それぞれが信じる〈真実〉と〈正義〉です。立場の異なる人たちの考えを多角的に取材・構成し、双方がぶつかり合う様子をそのまま提示したいと考えました。そこから視聴者の皆さんが自ら事件のことに思いを馳せてもらえればと思っています。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 元警察官と、弁護士や元死刑囚の妻の言い分が大きく食い違う場面です。いったい何が真実なのか、誰の正義を信じればいいのか...ぜひ目をこらしてご覧頂き、自分の中の“真実”を探って頂ければと思います。飯塚事件は決定的な証拠や自白がない中、状況証拠を集めて死刑判決が下されました。「自分ならどう判断するか」と、人が人を裁くことの重さを体感してもらえればと考えています。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 今回は公平中立を保つため、制作者の視点を出さないようにと「ノーナレ-ション」で制作しました。しかし、証拠や裁判の流れなどを説明する際に、ナレーションなしでどう展開するか課題でした。そのため、インタビューでは時系列の展開についても「臨場感」を意識して聞き、それでも足りない部分は聞き手が補うなど工夫しました。また、NHKに残されていたニュース映像と音声もナレーションの代わりの役割を果たしてくれました。今回は海外ドキュメンタリーでは定番となっている「アーカイブ・ドキュメンタリー」の形式も応用しています。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 「飯塚事件」は全国的には“埋もれた事件”でしたが、放送によって少しずつ視聴者の方々に認知度が上がってきているのはありがたいことです。さらに、SNS上で警察側と弁護側の主張に分かれて論戦が起きたり、事件に関する文献に当たる人々も出てきています。番組をきっかけに自ら事件を調べ、司法の判断や死刑について考えてみようという動きを喜ばしく思っています。 (番組ディレクター 木寺 一孝)
NHKスペシャル「新型コロナ病棟 いのちを見つめた900日」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 何事にも、こだわりません。 そこがコロナ病棟であれ、いかに普通に撮影するかがカギだと思い、取材していました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 主人公である藤谷茂樹医師と看護師たちとのヤリトリ。緊張感がある現場にあってユーモアを忘れず、お互いにコミュニケーションをとっているところが素敵だなと思いました。 ※藤谷医師のお気に入りのポケットにスマホの明かりがついていて蛍のようだと看護師が指摘しています。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 感染させない、しない点です。もし感染すれば撮影も中断するし、相手側にも迷惑をかけるからです。とにかく感染防止を徹底して撮影に臨んでいます。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? コロナ後遺症の女子高生の家族から取材をずっと受けていて良かったと言われたことが印象的です。全面回復までは、まだ時間がかかりますが前向きにひたむきに自分の人生を歩み出そうとしている女子高生からは、私たちも勇気をもらいました。 (番組ディレクター 松井 大倫)
ファミリーヒストリー「大森南朋~我が道を歩いた先祖たちの背中~」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 地道な資料探し、その一言に尽きます。 この番組をつくるとき、いつも肝に銘じているのは、ゲストに喜んでもらおうとか、インパクトのある話にしようとか、そのような誘惑に負けて嘘をつかないこと。つまり、確かな証拠となる資料もないのに、先祖は有名な武将の家臣だったとか、歴史的な事件に関わっていたなどと言わないことです。この番組は、おかげさまで多くの方にご覧いただいていますので、「嘘をつけば、すぐにバレる」と気を引き締めてつくっています。事実に基づいてルーツを探るため、コツコツと各地に足を運んで資料を探す。その番組づくりは、もちろん、この大森南朋さんの回も同じでした。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 父方の先祖が、加賀藩の本多家という武家に仕えた有力な家臣だったことや、母方の曽祖父が長野の松本で始まった普通選挙運動の中心メンバーだったことが明らかになる場面も見てもらいたいですが、いちばんは、軍人だった大森さんの祖父が、戦時中に北マリアナ諸島のテニアン島で自決していたことがわかり、その現場となった洞窟を取材すると、日本兵が残した生々しい遺品が見つかったシーンです。祖父が自決する2日前に、その姿を目撃していた人が見つかり、貴重な証言を得ることもできました。それは、戦争の理不尽さや悲惨さがリアルに伝わる証言でした。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? この番組では、ご親戚を何度もお訪ねしたり、何度も電話をしたりして、話をお聞きします。それも、昔の出来事をより克明に知るためですが、限度を超すと先方のご負担になり、敬遠されて取材を続けることが難しくなります。そうならないよう謙虚に取材を進めながら、しかし真実は解き明かしたい。そのさじ加減がいつも難しいところです。高齢の方に取材することが多いので、なおさら慎重になります。コロナ禍の中で、話をお聞きしたい人に会えないこともあり、いつも以上に取材には日数を必要としました。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 大森さんの父親で俳優の麿赤兒さんと、大森さんの母親となる女性が出会ったのは1960年代後半の新宿でした。そのころの新宿は、「毎日がお祭りのようだった」と言われるほど活気にあふれ、いわゆるアングラ文化が花開く刺激的な街でした。番組では、当時の新宿を資料映像や人々の証言で描いたのですが、それを見て「懐かしい」「嬉しかった」という声をたくさんいただきました。当時の新宿で青春時代を過ごした人たちです。そんな反響を聞きながら、今はなき「失われた新宿」ということを通して、日本は当時と何が変わったのか、考えさせられることになりました。 また、番組の放送後、麿さんが、私たちが探し出した幼なじみと電話で昔話に花を咲かせていた、という話をマネージャーから聞きました。とても懐かしそうで、嬉しそうに話していたそうです。これは、この番組の「あるある」ですが、ゲストと親戚、友人たちが何十年ぶりかで互いの消息を知り、連絡を取り合うということがしばしばあります。あの「コワモテ」の俳優、麿さんが、どんな顔で幼なじみと話をされていたのか、それを想像してとても楽しくなりました。 (番組ディレクター 矢野 哲治)
ETV特集「消滅集落の家族」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? この番組はもともと、秋田県のローカルニュースの中で放送する、1回 5 分ほどのシリーズ企画として撮影を始めました。回数を重ね、30 分版を作るところまでは始めから想定していましたが、気がつけば密着は 1 年以上に。最終的に 60 分のETV特集になりました。 そうしたスタートだったこともあり、最終盤になるまで番組のテーマのようなものは考えず、木村一家の日々を素直な目で見つめ続けるよう心がけました。 「明日の家族の笑顔」のために手探りで暮らす木村一家。 その生き方の賛否をジャッジしたり、「都会か地方か」「文明か自然か」といった議論をしたくなるのではなく、「私にとっての幸せや豊かさって何だろう」と思いをはせてもらいたいと願いながら、制作しました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 「ホタル」 放送後、もっとも反響が多かったシーンでもありました。番組では、全体を通して子どもたちがのびのびと生きている姿をちりばめています。中でも、このホタルのシーンを撮影したときに、私は木村さん家族があの集落で暮らす理由を、理屈ではなく肌で感じました。その実感が、番組でも伝わっているといいなと思います。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 日々全力で遊ぶ子どもたちについていくのが大変でした。ついつい一緒に遊んでしまうのですが、気づけば体がバキバキに・・・。一晩寝たらフル充電される子ども達の体力がうらやましかったです。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 自分の暮らしや生き方を振り返って感じたことを、ご自身の言葉で紡いだ感想をたくさんいただき、とても嬉しかったです。その中で、「絵本を読んだ後のような気分」と表現してくれた方がいました。もし未視聴の方は、ぜひ寝る前に絵本を読むくらいの気軽な気持ちで、ぜひご覧いただきたいです。 (番組ディレクター 小川瑞生)
ETV特集「餅ばあちゃんが教えてくれたこと」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 私自身が取材しながら感じた「おばあちゃんの家に行き、会話し、いろんなことを教えてもらう」ような感覚に視聴者にもなっていただけるように、餅ばあちゃんとの些細なやりとりや、なにげない会話を大事に、懐かしさや優しさなどを感じられる世界観・空気感の演出にこだわりました。 映像に関しては、多くのドキュメンタリーが担ぎカメラで主人公を追いかける形式をとるのに対し、今回はロケのほとんどを、三脚を使用し固定で撮影しました。主人公・桑田ミサオさん自身やミサオさんが生活する環境のテンポ感を大事にできたのではないかと思います。さらに、津軽の四季、特に雪を美しく切り取りたいと、4Kカメラ「AMIRA」を使用。映像美にもこだわりました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 津軽の美しい四季とそこで営まれる餅ばあちゃんの暮らしぶりを見てもらいたいです。津軽のじゃわめく(津軽弁で「血が騒ぐ」の意)ような短い夏、実りの秋、長く厳しい冬、それを越え命が芽吹く春。季節感がなくなっている現代ですが、その季節でしか感じられない空気の温度や草花の香り、観られる景色があります。その中で、季節を感じながら変わらず手を動かし続けお餅を作り続けるミサオさんの営みを見てもらいたいです。また、ミサオさんの90年以上にわたる人生を移りゆく津軽の四季になぞらえ表現したので、そこも合わせて見てもらいたいです。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 何が起こるか分からないのがドキュメンタリー。一瞬一瞬の出来事を逃すまいと常に現場でいろいろなことを探しながら撮影をしています。しかし、今回使用したカメラは機動性があまりよくなく、さらに三脚付きで撮影したため、いつ何が起こるか分からない出来事を取り逃さないようするのは非常に難しかったです。カメラマンには大変な苦労をかけました・・・が、そこは一枚画で撮りきる、伝えきる、とお互いに腹をくくり、日々撮影をしていました。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 特に女性からの反響が多く、「こんなふうに生きていきたい」「目指す生き方に出会えた」という感想を数多くいただきました。物にあふれ、時間に追われるように生きている人が多い現代。手の届く範囲で、自分の持つ10本の指をひたすらに動かし形作られる桑田ミサオさんの生き方は、「幸せとは何か、豊かさとは何か、生きるために本当に必要なことは何か」を教えてくれるような気がします。私自身もミサオさんに出会い、大事なことを教えてもらったような気持ちです。 (番組ディレクター 伊藤 麻衣)
ETV特集「ある子ども」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 親が知らない、子どものボーダーライン。SNS で「自分は大丈夫」と思っている線引きはどこにあるのか?知りたかった。そのため、ドラマの脚本を、10 代の俳優たちの感じ方によって書き直していき、その過程もドキュメンタリーで描くことに。大人である私が描いた感情を、彼らが裏切っていく様は、発見があり痛快だった! Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 主演のまいきちさんが、リハーサルで、脚本とはまったく違う行動をとるところ。現場にいた大人たちはみな、驚いた。そのことに、逆に、まいきちさんが一番驚いていた・・・ Q.3 苦労したところ、難しかったことは? うまくいかない番組こそ、作り手の本質が見える。制作中はずっと、ドラマとドキュメンタリーの融合の仕方について悩んでいた。でも、カメラマンの山崎裕さんに言われた。「ドラマとか、ドキュメンタリーとかじゃない。おれたちが作ってるのは、テレビなんだよ!」 そうだ、テレビつくってたんだよな。あれ?でも、テレビってなんだ?テレビは、「今」だ。作り手が感じてる違和感を、問いかける。投げた石は、誰にも届かないかもしれない。でも、偶然見た一人に、深く突き刺さるかもしれない。そんな不確かで、いい加減で、でもマジなもの。「ドキュメンタリー」という枠に囚われているのは、作り手だけかも? Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 放送後、そんなに反響はなかった。目を背けたい事柄だから覚悟はしていた。でも、実際に事件に巻き込まれた、あるいはその危険性があった子どもに関わる仕事の方々から、メールをいただいた。学校の先生や、福祉に関わる人たちだ。その多くが、「なんで?って聞かないで」という、主人公の少女の言葉についてだった。 番組を制作した私も含めて、大人たちは、「なぜ?」と原因を究明し、対策をたてようとする。でも、子どもたちからしたら、自分でもその「なぜ?」がわからないことが多い。あるいは、大人が理解してくれない「ワクワク」や「ドキドキ」だから、だ。その危ういけれど、「いま、生きている」生々しい心の内を、大人だからといって、踏み込んでいいものだろうか。「危ないから」と言って、禁止していいのか。あるいは、「話し合おう」と言って、方向付けして、沸き立つ心を殺してしまっていないだろうか。(もちろん、そこに付け込む加害者が悪いのは言わずもがなだけど) 「じゃあ、悪いのは誰?」 番組ラスト、少女の問いかけに、眼差しに、あなただったらどう答えますか? (番組ディレクター・演出 松原 翔)
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? こどもたちの心を、わかった気になって、取材・制作することだけは避けたいと思っていました。「大人の理屈で解釈した」結果が、この問題の一因を担っていると取材の中で感じていたからです。とにかく子どもたちの声をきこうと、夜の街に出かけました。 「SNS はどんな場なのか?」 「言い寄ってくる大人は、どう見えているか?」 クルーは3人(撮影・音声・ディレクター)ともみな40 代以上で、子どもたちにとっては親世代。拒絶されるのでは、と毎度怖さを抱えたままでの突撃でした。SNS で親友を見つけた高校生、男性から送られてきた男性自身の局部写真を、仲間うちで回して笑いあう女子中学生。ホテルで男性からお金を盗まれ、家に帰る電車代もなく橋の上に座り込んでいた高校生、家族より知らない年上男性のほうが相談しやすいと、その関係に踏み込もうとしている女の子、SNS の世界が生きる支えの女の子・・・「話を聞かせてほしい」とお願いすると、不思議と受け入れてくれ、思いを聞かせてくれました。しかし、これも SNS の世界と同じで、わたしたちが「他人同士」だったから話してもらえたのかもしれません。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? ラストです。問いかけが詰まっています。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? ずっと自問自答の中での制作が続いていたことです。取材の中で私自身、子どもたちから「あなたは、わたしを救えますか?」と突きつけられている気がしていました。それに応えることができるのか、わたしたちは、実態の見えない「ある子ども」の存在に、きちんと気づくことができて、彼らを被害から守ることができるのか、ずっと考え続けながらの取材、ロケでした。 (番組ディレクター・ドキュメントパート担当 久保田 瞳)
ノーナレ「THE LAST MILE ルボ・ジャン 最後の歩み」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? かつて日雇い労働者の街として賑わった山谷。現在は、身寄りのない高齢者、生活困窮者、路上生活者が多く暮らしています。彼らの姿をありのままに、且つ尊厳を持って描くことにこだわりました。また、彼らの置かれている状況、歩んできた人生は様々です。登場人物たちがあえて語らないストーリーにまで、視聴者が想いをはせられるような世界観を表現すること、画を切り取れるように努めました。 支援のかたち、そして山谷の街は、時代やコロナ禍で急速に変わってきています。一方で、ジャンさんと「おじさん」たちの間にある友情や愛情は普遍的なものです。そのコントラストを見せたいと思いました。彼らの些細な、そして時にはぶっきらぼうなやり取りや言葉の節々に見え隠れする愛情や友情の表現を見逃さないように、ジャンさんと「おじさん」たちの周りではひたすらカメラを回し続けました。 この番組は、ホームレス、孤独、貧困などの重いテーマを扱っている側面もありますが、山友会では陽だまりのような暖かい時間が流れています。悲しいこともたくさんあるけれど、笑いもたくさんある・・・。そんな山谷の日常をバランスよく伝えられるような編集を試みました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? ホームレスの「自転車のおじさん」が寝どこにつくシーン。一例ですが、ホームレスの方の生活の様子を見て頂きたいです。「おじさん」が、靴を脱いで、まるで布団に入るかのように、コンクリートの上に敷かれた段ボールの上にそろりと上がる・・・というその一連の所作から、「路上で生きる」ということはどういうことなのかを少しでも感じとって頂きたいです。 また、相沢さんとのお別れのシーン。例え身寄りがなくても、悲しみと愛情を持って送り出してくれる仲間、コミュニティーがいるのだということに希望を感じました。そして、納骨式のシーンでは、ジャンさんの「おじさん」たちへの想いが溢れ出ています。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? この作品に限ったことではないですが、撮影を了承して頂くための関係性を被写体の方々と築くことです。特に路上生活者や様々な事情を抱えて生活保護を受けていらっしゃる方の多くは、メディアに対する警戒心が強いので、なかなか撮影が思うように運ばなかったことが、難しいところでした。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 「まるで外国で起きていることのようだ」「炊き出しに並ぶ長蛇の列を見て驚いた」などというように、山谷で起きていることが、現在、日本で起きていることだということについて衝撃を受けたというような内容のコメントが印象的です。日常生活の中で多くの人たちが目を向けないコミュニティーや生き方に光を当てることができたのだと思いました。 (番組ディレクター・撮影 深田志穂)
ETV特集「戦禍の中のHAIKU」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? インタビューや取材に応じてくださった方たちの心情や意図、言いたいことを正確に伝えることだけを心掛けました。言葉の力をテレビで伝えたい、言葉を伝えるのがテレビの役割だと視聴者の方々に思い起こして欲しい、そう願って作りました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 全部です。どことは言えません。すべてが欠かせない大事なシーンなので。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 俳句の翻訳とインタビューの吹替え原稿の推敲は七転八倒しました。作為を廃して文字だけで俳句を見せる編集を選択したのは正解だったと思いますが、その決断をするまでには試行錯誤と迷いがありました。もちろんどの番組もそうですが、イメージ映像を撮影しないと決めた富永カメラマン、余計な映像いらない俳句は黒バックの文字だけでいいと決めてくれた西條編集マンはじめ、かかわったスタッフ全員の総合的な力でできあがった番組です。私ひとりではできませんでした。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 他の ETV 特集よりも視聴率が低く、反響も少なかったことが印象的でした。刺激的な映像や普段見られないシーンを売り物にする番組があふれる中で、異質だったのだと思います。 (番組ディレクター 山口 智也)
ドキュメント20min. 「文字メンタリー -あなたにしみこむ31音-」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 依頼のメールにありったけの想いを込める依頼人と、そのメールで得た情報だけで短歌を詠み、お手紙で返す木下さん。直接会うことはしないふたり。この関係性を壊すことなく映像が介在することにこだわりました。その結果、ノーナレーションで、依頼人にも木下さんにも、我々が知り得た情報を一切お伝えしないロケスタイルを貫きました。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 番組中盤、依頼人の加藤さんからメールを受け取った後、まったく情報のない中で木下さんが短歌に込めるメッセージの根幹を掴む瞬間をご覧頂きたいです。この瞬間は奇跡と言っても過言ではありません。木下さんは、僕らふつうの人からしたら到底思いつかないような発想と映像を頭の中に浮かべています。それがいかに奇跡かは、加藤さんの依頼メールから木下さんと一緒のタイミングで短歌に込めるメッセージを考えると実感頂けます。あまりの差に失望に似た驚きがあると思います。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 木下さんの思考過程をいかに映像化・言語化するかというところに苦労しました。木下さんは短歌を生み出す時に、映像的には何もしていません。パソコンの前に座り、頭の中で考えを巡らせているだけです。動きがあったとしても、それはパソコンに短歌や短歌のもとになるフレーズを綴るというもので、思考の結果に過ぎません。思考過程を明らかにするために、短歌の制作中、木下さんが作業しているパソコンの画面を全て録画させて頂き、それと並行して制作途中でインタビューの時間を設け、それまでにどんな思考過程を経たのかを解説頂きました。その思考過程は短歌以外でも通じる普遍性なクリエイティビティだと感じました。 Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 依頼人に向けて詠んだ短歌を収録した木下さんの歌集「あなたのための短歌集」の売れ行きが伸びました。某お買い物サイト上での通販は放送翌日に一時完売となりました。 (番組ディレクター 丸山 純平)
Dearにっぽん「ひとりたどり着いた山里で ~和歌山・田辺~」
Q.1 制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? いろいろありますが、1つは、山奥の自然の豊かさが伝わるよう、映像はもちろん、音声にもこだわっています。例えば、ヤマガラという山鳥の鳴き声が随所で聞こえてきます。山奥に実際に来たように感じてもらえたら嬉しいです。 もう1つは、主人公のももこさんが描いた“ゆるかわ”なマンガ。このマンガのおかげで番組が優しい印象になっていると思います。 Q.2 ぜひ見てもらいたいシーンは? 番組のラストの方。ももこさんが大切にしている、中岡さんからの手紙を読むシーン(中岡さんは、ももこさんが慕っている地域のお年寄りの方)。ももこさんは、都会で働いていたときは誰も頼ることができず、ひとり思い悩んでいたと言います。そのももこさんが山奥に来て「誰かを頼ってもいいんだ」「もう孤独じゃない」と思えるまで、いろいろなことがありました。そのうえで、あの手紙の内容を聞かされると、胸に迫るものがありました。 Q.3 苦労したところ、難しかったことは? 「豊かさ」って何だろう? 人は(自分は)どんなとき「幸せ」を感じるのだろう? 「頼る/甘える」「親切/おせっかい」の境界線はどこ? ・・・などと、いろんなことを自分自身に問いかけながら番組をつくりました。撮影現場となったシェアハウス「共生舎」にいると、ふと立ち止まって、自分の生き方を見つめ直したくなり、いろんなことを考えさせられます。その豊かさを極力損なわずに、見ている方に届けるにはどうしたらいいだろうかと、悩みました。 (今もうまくできたかどうか分かりません・・・) Q.4 放送後の反響で印象的なことはありますか? 反響ではありませんが、印象深いこととしては、先月、ももこさんの娘・華代ちゃんが、1歳になりました。共生舎の住人たちは温かく見守ってくれていて、地域のお年寄りたちも、華代ちゃんの成長を楽しみにしています。限界集落だった五味集落に、少しだけ活気が戻ってきたように感じます。ももこさんたちの子育てを見ていると、子育てって本当は家族だけじゃなくて、地域社会(というと大げさかもしれませんが)みんなでするものなのかもしれない、と考えさせられます。 頼りない存在を見ると、思わず手を差し伸べたくなる。損・得を抜きにした人間関係があることが、ももこさんたちの暮らしに「豊かさ」を感じる理由の1つです。 (番組ディレクター 金武 孝幸)