雅楽・舞楽

NHK
2021年12月7日 午後7:01 公開

神話の時代から受け継がれ、諸外国の流行も取り入れながら作られた壮大な和のオーケストラである「雅楽(ががく)」。管絃(かんげん)を伴奏として繰り広げられる舞踊表現「舞楽(ぶがく)」。

「雅(みやび)」を追い求めた古の人々が練り上げた歌舞管絃の世界は、千数百年の時を超えて連綿と受け継がれてきた古典の中の古典というべき芸能です。

実は身近な雅楽の言葉

千数百年も前の芸能というと現代とは縁遠いものと感じられるかもしれませんが、実は私たちの身の回りには雅楽・舞楽に由来を持つ言葉がたくさんあります。

たとえば「打ち合わせ」。

雅楽はオーケストラのように多くの演奏者がたくさんの種類の楽器を演奏するにも関わらず指揮者が居ません。

そこで集まった大勢のうち、まずは打楽器の演奏者たちがお互いの楽器を「打ち」鳴らしてリズムを「合わせる」ことで、他の楽器が演奏に参加できるようにしました。そこから事前に約束事を確認することを「打ち合わせ」と呼ぶようになったとか。

また以前と同じ失敗を繰り返してしまう「二の舞を演じる」という言葉も、「老夫婦が舞楽の真似をしようとするが、うまくいかずに笑われてしまう」という、その名も「二の舞」という舞楽の演目から生まれたとか。

他にも「楽屋」「千秋楽」「あんばい」「やたら」「拍子はずれ」「ばさら」など雅楽・舞楽に由来するとされる言葉はたくさんあります。

普段何気なく使っている言葉を通して見ると、雅楽・舞楽が少し身近なものに思えてきませんか?

シルクロードが伝えた芸能、古代の香りに触れる

舞楽「太平楽(たいへいらく)」  1981年NHK古典芸能鑑賞会 4人の舞手「舞人(まいにん)」が登場します。古代中国の武人をモチーフにした演目で、舞楽の中でも特に豪華絢爛な装束で知られています。右奥に見える巨大な太鼓が「大太鼓(だだいこ)」。上に突き出た棒状の飾りは月を表しています。

雅楽・舞楽で使用される楽器や装束などは、現代の私たちからすると不思議なものが多いかもしれません。

細い竹の管が十七本も束ねられ鳥が翼を休めたような形をした管楽器「笙(しょう)」や、龍や鳳凰などの派手な装飾が施され直径2メートルもある巨大な太鼓「大太鼓(だだいこ)」など、雅楽の楽器はいずれも独特の外見と名前を持っています。

舞楽では、目も覚めるような明るい色・柄の装束に、鶏のとさかのような被り物である「鳥甲(とりかぶと)」、足首で紐を結んで着用するスニーカーのような履物「絲鞋(しかい)」など、いわゆる「和服」とは全く違うデザインのものが使用されるほか、高い鼻に大きな目など外国人の顔の特徴を強調した面も登場します。

また舞楽で用いられる小道具である「舞具」の中には、「木蛇(きへび)」というとぐろを巻いたヘビのリアルな作り物や、ゴルフやホッケーに似た古代の球技「打毬」(だきゅう・「打球」とも)の道具を再現した「毬杖(ぎっちょう)」「球子(きゅうし)」など、他では見られないようなものもいくつかあります。

これらの珍しい品々は、どれも雅楽・舞楽が盛んだった古代の文化、それもシルクロードによってもたらされたアジア各地の文化を反映したものと言われ、正倉院にも当時の品々が一部保管されています。

たとえば「源氏物語」に登場する伝説の貴公子・光源氏も、あるとき中国から伝わった舞楽の演目「青海波(せいがいは)」を披露し、そのあまりの美しさに「帝をはじめ観客の誰もが涙を流した」と記されています。

光源氏は小説の登場人物ですが、絶世の美男子が外国の舞を優雅に舞う様子は、物語に描かれるほど当時の人々が憧れたものだったのでしょう。

今に伝わる貴重な品々、そしてそれらを使った演奏を通じて、1000年以上前の人々が驚き感動した情景を追体験できるというのも、雅楽や舞楽の醍醐味ではないでしょうか。

「宮中の式楽」から日本が誇る伝統芸能へ

現在伝わる雅楽・舞楽のレパートリーは、その成立の過程によって以下の3種に分類できます。

第一に「神話の時代から伝わる日本古来の楽曲」、第二に「中国や朝鮮半島から伝わった外来の楽曲」、第三に「平安時代に新しく作られた楽曲」です。

第一のグループには、神を喜ばせるための「神楽(かぐら)」や天皇の即位の際に演奏される「大歌(おおうた)」「久米歌(くめうた)」、古代の日本各地の民俗芸能を取り入れた「東遊(あずまあそび)」「隼人舞(はやとまい)」などが含まれます。

これらの楽曲は「神に祈りを捧げ、国土と民の安寧を祈る」という天皇の役割を象徴する機能を持っていました。

第二のグループには、中国本土から伝わったという「唐楽」、朝鮮半島付近から伝わったという「高麗楽(こまがく)」「渤海楽(ぼっかいがく)」、中央アジアにルーツを持つという「林邑楽(りんゆうがく)」などアジア各地からもたらされた多様な音楽が含まれます。

平安時代、数多くあった楽曲が中国系の「左方(さほう)」と朝鮮半島系の「右方(うほう)」に整理され、この分類が現在まで受け継がれています。

「左方」「右方」ともに元は「舞」を伴う「舞楽」の曲とされますが、演奏のみの場合には「管絃(かんげん)」という形式で演奏されます。

これら外国から伝わった音楽はその新しさや珍しさが好まれただけでなく、海外から最先端の知識を手に入れることで日本の国と日本の文化をより良い形に作り上げようとする「律令国家」の考え方を体現するものでもありました。

第三のグループには、平安時代の民謡や童謡などに外国風の旋律を付けた「催馬楽(さいばら)」や、漢詩にメロディーを付けてうたい上げる「朗詠(ろうえい)」があります。

平安時代、天皇や貴族の暮らしが細部に至るまで「年中行事」として儀式化されていく中で、高貴な人々は生活の一部として雅楽・舞楽を楽しむようになりました。

催馬楽や朗詠もそうした人々のための、雅(みやび)な宮廷音楽として生み出されたのです。

「萬歳楽(まんざいらく)」 宮内庁式部職楽部 2016年NHK古典芸能鑑賞会
左方(中国系)の舞。賢明な君主の時代には鳳凰(ほうおう)が現れ「賢王万歳」とさえずる、という伝説をもとにしています。右方(朝鮮半島系)の「延喜楽(えんぎらく)」と対をなす作品とされ、そうした左方と右方の対比が成立する組み合わせを「番舞(つがいまい)」と呼びます。

いずれにしても「雅楽」という音楽は、天皇やそこに連なる貴族たちが国家運営に欠かせないものとして作り上げてきた儀式音楽であり、その意味で「宮中の式楽」という側面を強く持っていました。

それゆえかつての雅楽は、天皇・貴族や武士など有力者の開く宴(うたげ)や寺社で行われる儀式など、限られた機会に限られた人だけが触れられるものであり、その演奏法も雅楽の専門家である「楽人(がくにん)」やその子孫「楽家(がくけ)」を中心に代々守られてきました。

もっとも現在では宮内庁の中で式楽をつかさどる「楽部(がくぶ)」を中心に古代からの伝統が受け継がれながらも、大学などで雅楽の授業が行われたり、民間の雅楽演奏団体などによるコンサートが各地の音楽ホールで開催されるなど、雅楽・舞楽は一般の人にも手の届くものになってきました。

また1998年の長野オリンピック開会式では雅楽の演奏で「君が代」が披露され話題になるなど、雅楽・舞楽は限られた人のための芸能から世界に誇るべき日本の伝統芸能となったと言えるでしょう。