老舗旅館の“顔”はベトナム人

NHK
2023年8月23日 午後2:30 公開

182万2725人。

去年、厚生労働省が発表した日本で働く外国人労働者の人数です。過去最多となっています。

総人口に占める外国人住民の割合が全国で4番目に高い三重県でも、その外国人労働者の需要は年々、高まっています。

北勢部に位置する菰野町の老舗旅館でも、従業員の3分の1を外国籍の人が占めるほどになっています。
この旅館の“顔”として働くのは、ベトナム人の男性です。ことばや文化の違いに戸惑いながらも「おもてなしの心」を伝えようと奮闘しています。

(津放送局 伊藤憲哉)

老舗旅館の“顔”フロントはベトナム人

三重県北勢部に位置する菰野町。

この町にある創業61年の老舗旅館は、雄大な景色を一望できる和室や温泉、それに三重県産の食材をふんだんに使った豪華な日本料理が特徴。観光客や地域から長年にわたって愛されています。

「いらっしゃいませ。お疲れ様です。こちらでお伺いいたします。」

この旅館の“顔”フロントを務めるのはベトナム出身のファム・チュオン・ジャンさん(24)。去年から、この旅館で外国人として初めてフロント業務を任されています。

「フロントの業務は忙しいですけれど、いちばん楽しいです。旅行中のお客様のいちばん楽しい時間を一緒に共有できることがうれしいです。」

日常会話はまだまだ勉強中ですが、丁寧な接客の受け答えは客から好評です。

(30代男性・客)
「朝食の時間やチェックアウトの時間など、ゆっくりひとつひとつ丁寧に説明してもらって助かりました。」
  (40代男性・客)
「ことばづかいなど、接客が丁寧で、非常にわかりやすかったです。地域にもう溶け込んでいる感じがします。」  

日本好きで来日も・・・「敬語」や「漢字」ことばの壁

丁寧な接客で客から高い評価を得ているジャンさんが日本に興味を持ち始めたのは中学生のとき。きっかけは日本の漫画やアニメでした。

最初は、ベトナム語の字幕で漫画やアニメを見ていましたが、日本語で内容を理解したいと思うようになりました。そして、5年前に来日し、日本語学校で勉強を始めましたが、決して順風満帆ではありませんでした。

まず直面したのがことばの壁です。学校の教科書で習うことばと日常で使うことばは全く違いました。

(ジャンさん)
「学校で勉強したことと、ふだん日本人が話していることばや表現が違って、どうしたら良いのか困った。」

さらに、漫画やアニメには出てこない「敬語」や「漢字」にも苦労したと言います。

(ジャンさん)
「敬語と漢字は難しくて最初は全然わからなかった。いまはしゃべることぐらいはできるけど、人の名前などで見たことのない漢字が出ると未だに読めないことがある。」

最も苦労したのは「おもてなしの文化」

人と接することが好きだというジャンさん。2年半、日本語学校で必死に勉強したあと、接客について学ぶために専門学校にも2年間通いました。

しかし、ことば以上にジャンさんを悩ませたのが、日本の「おもてなし」の文化でした。日本とベトナムには、客に対する接し方の違いがありました。

(ジャンさん)。

「日本はお客様をいちばん上において常に考えますが、ベトナムはお客様と仲良くなって友達のような感覚で接客します」。

さらに、客室まで荷物を運ぶのを手伝ったり、客のくつやスリッパをつま先がそろうように並べたりするといったことも初めての経験でした。上座や下座といった細かい日本のおもてなしの文化に適応するのにも時間がかかったと言います。

“国籍の垣根をなくした旅館に”

そんなジャンさんを見守る1人の姿がありました。おかみの伊藤寿美子さんです。

この旅館のおもてなしとは、「お客様を第一に考えつつ、楽しく会話すること」。伊藤さんは、このおもてなしの心を現場で繰り返しジャンさんに見せました。そのかいあって、いまではジャンさんは少しずつ笑顔で接客できるようになってきました。緊急対応が求められる宿直の仕事も1人で任されるまでになりました。

(おかみ 伊藤寿美子さん)
「最初はお客様との話し方にしても敬語は使えるけど、どこかぎこちなかった。でもとにかく真面目で毎日毎日、コツコツと働いて、いまはほとんどミスなくきれいな仕事をやってくれるようになりました。」

そのうえで伊藤さんは、期待も込めてジャンさんの課題も指摘します。

(おかみ 伊藤寿美子さん)
「『伊勢神宮はここから何時間でいけますよ』など、もう少し近所の周辺の情報をお客様と会話できるようになったらすごいですよね。旅館に泊まりに来て下さるお客様はスタッフとの会話を求めてきている人もいるので、お客様の趣味や観光情報を共有できるようになると、旅館で働くだいご味ができると思うし、人間力も上がって成長すると思う」。

いまでは34人の従業員のうち実に3分の1を占める11人がベトナムとネパールの人たち。おかみの伊藤さんは、新型コロナの5類移行に伴うインバウンド需要の高まりに向けて、先手を打って多くの外国籍の人を雇ったということです。

伊藤さんが目指すのは、国籍の垣根をなくした旅館です。

(おかみ 伊藤寿美子さん)
「日本人や外国人といったしきりを取りされる旅館にしていきたい。そして、お客様がいま以上に満足して帰ってもらえるような旅館にみんなでしていきたい。」

心でつながるのがジャンさん流のおもてなし

おかみの伊藤さんの支えによって日本の「おもてなしの文化」を習得しつつあるジャンさん。ジャンさんにおかみさんと一緒に働いてみてどうですか、と問うと、「お母さんみたいな存在で、いつも教えてくれてありがとうございます」と照れながら笑顔で話してくれました。

今後は、ベトナム人ならではの朗らかさと日本のおもてなしの心を兼ね合わせた自分なりのおもてなしを客に伝えていきたいと言います。

(ジャンさん)
「ことばの壁や文化の違いがあっても心の声でお客様とつながっています。おもてなしの心を持ってお客様をサポートして、楽しい旅行になるように手助けしたい。そして、ことばが伝わらなくても心と心がつながっていることがいちばん大事だと思います」。