にっぽんカメラアイ
美しい色彩、計算されたカット、流麗なカメラワーク 映像の力を追求した短編ドキュメンタリ-
「砥取 トトリ」
初回放送日:2023年3月7日
京都・亀岡の山奥にある洞窟。そこを潜り抜けた先にはロマン溢れる大空間が広がっていた。「ゴンゴン」と採掘打音を奏でる天然砥石唯一の掘匠・土橋要造さんの姿を追った。 2億5000万年という時間をかけて生成された地層が眠る山奥の洞窟。天然砥石になる鉱脈を自ら見つけ出し、30年以上もひとり手作業で採掘し続けているのが土橋要造さん(72)。世界中の職人達へ唯一無二の切れ味を生み出す極上の天然砥石を届けるため、洞窟でひたすらせっとう(ハンマー)を振り、矢(杭)を打ち込み続ける。土橋さんの採掘史が凝縮された大空間と、そこでの息遣いを臨場感あふれる映像と音声で伝える。
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よくある質問
担当カメラマンより
【Q1】制作するうえで、どんなことにこだわりましたか? 洞窟内の映像で番組を魅力的に作り上げることにこだわりました。 「うわ、なんだこの空間!異世界だ」 初めて天然砥石が眠る洞窟へ、この番組の主人公である土橋要造さんに案内してもらった時の感想です。この瞬間から洞窟内の映像で勝負することを決めました。 京都府亀岡市の、とある山にその洞窟はあります。舗装されていない山道を車で進んだ後、高木に囲まれた坂道を徒歩でひたすら登ります。ようやくたどり着いた先にある壁面にぽっかり開いた穴がその洞窟の入口、なのですが、一人ではとても「立ち入ろう」と思えないほど異様で、怖い雰囲気が中から漂ってきます。そんな穴へすたすた歩いていく土橋さんの後ろ姿を追いかけて入ると、屈みながらでないと進めないほど低いトンネルが20m続き、その先に突如開けた空間にたどり着きます。高さ15m、奥行き25m、テニスコート程の広さ。音は何も聞こえず、匂いもしない。ただそこには白、赤、黄、紺のカラフルに輝く天然砥石の美しい壁面が四方に広がり、静かな空間を作っていました。掘削跡が残る岩壁はゴツゴツとしてとても立体感があり、じっと見ていると今にも飲み込まれそうな迫力があります。また岩肌を近くで見ると色合いが異なる幾つもの層が複雑に絡み合い、それだけで芸術品のような模様を生み出しています。数十秒前まで山林の中にいたことを考えると、静かで厳かなこの空間を異世界だと錯覚してもおかしくない程でした。 「これは火山灰と放散虫(プランクトン)が2億5000万年という時間をかけて堆積してできたものなんです。1000年に1mmずつ堆積したんです」と土橋さんは語ります。 2億5000万年前・・・。1000年に1mm・・・。途方もない数字の連続に圧倒され言葉もでません。2億5000万年もの間、大地から熱、そして圧力という恵みを受け、1000年に1mmの速度で成長し続けた天然砥石となる鉱脈。それが今私の目の前にあると思うとその果てしない大きさのロマンに感動しました。この空間に私が一目惚れするのは必然的なことでした。 ~採掘作業はどのようなものか~ 明治10年から140年以上続く砥石採掘業の4代目。土橋要造さん(72歳)は今現在、天然の仕上げ用砥石を採掘する世界で唯一の掘匠です。貴重な資源を最大限活用するために坑内掘り(手作業)に拘り、矢(杭)とせっとう(ハンマー)を用いて天然砥石を採掘します。 音を頼りに岩盤内にある隠れた亀裂を見出し、そこへ向かって腕の長さほどの矢を突き刺します。両手で握らないと振れないくらい重いせっとうを何度も何度も矢に叩きつけることによって岩盤内の亀裂を広げ、そこから割り落として天然砥石の岩塊を採掘します。しかし力一杯叩けばいいという訳ではありません。岩塊に不必要な亀裂が入ると砥石として活用できる部分が減少するため、数回叩いては視覚、聴覚、触覚を頼りに亀裂の進行状態を確かめ、慎重に作業を進めます。手作業に拘る理由はこの様にして余計な亀裂を入れないためです。そんな作業を半日から一日やり続けようやく岩塊を一つ採れるかどうか。その様な作業は自他ともに認める3K(きつい、きたない、きけん)そのもの。身体的、精神的に大変過酷な作業ですが土橋さんはそれを懸命にやり続けてきました。 現在採掘している鉱脈は土橋さん自らが発見し、30年以上も掘り続けている場所。つまり20m続くトンネルやその先の大空間は全て土橋さんの手作業による掘削によって生まれたものになります。そのことを踏まえ、改めて洞窟内を見渡すと先程の異世界のように綺麗という印象に加え、天然砥石に対する土橋さんのただならぬ情熱を感じとれます。人間が30年という時間をかけて一つのものに注力するとこんなにすごいことを成せるのか。現在27歳の私には到底理解できない時間スケールです。穴へ入る前に感じた異様な雰囲気の正体が何となく分かった気がしました。 ~番組としては何を伝えたいか~ 今回の番組は天然砥石文化を継承する唯一の人物である「土橋要造さんの人柄」を「天然砥石の魅力」と共に伝えることが狙いでした。それは天然砥石文化の、奥深くロマンある世界感に魅了されたこと、そしてその文化を守り抜く土橋さんの人柄に惹かれたことが番組提案を行った率直な動機だったからです。 その上でこの「にっぽんカメラアイ」という番組は、カメラマンが自ら提案し撮影まで行う番組のため、特に「映像で視聴者へ伝える」ことが求められます。加えて番組尺が5分という限られた時間のため、あれもこれもと撮影した映像を流すことはできません。ワンテーマ勝負といっても過言ではない番組です。 土橋さん自身は天然砥石に関する採掘から加工、販売まで多岐に渡る仕事を行っています。番組尺が限られている中で全部の工程を追いかけるのか、一部の工程を掘り下げるのか。番組の切り口として様々なことが考えられました。番組の全体像を決める上で非常に重要な決断だったのですが・・・その結論はすぐにでました。 「洞窟の中の映像で勝負したい!」 洞窟に入った時に私が感じた感動とロマン、これこそが「天然砥石の魅力」であり、それを映像を通して広く世の中に発信したい。また地道かつ過酷な採掘作業を30年以上も、大空間の洞窟を作り上げるまで継続し、天然砥石文化を守り続けている「土橋要造さん」を伝えたい。そう考えたからでした。 ~洞窟の中の撮影はどうだったか~ 「ゴン、ゴン、ゴン、ゴン」「はー、はー、はー、はー」「ゴン、ゴン、ゴン、ゴン」「はー、はー、はー、はー」 普段は沈黙に包まれる洞窟内。しかし土橋さんが採掘する時だけは鈍い打音と荒い呼吸音が交互に響きます。せっとうの打音はまさに2億5000万年の眠りから天然砥石を覚醒させる目覚ましのよう。岩盤内にある亀裂の進行に合わせて音色を変えながら一定のリズムを刻みます。土橋さんは亀裂の状況を確認しながら一発一発確実にせっとうを振りますが、肩で呼吸するほど体力を消耗させていきます。普段の明るい表情とは対照的に歯を食いしばりながら行う作業です。それでも真剣な目つきで岩壁から視線を外しません。天然砥石に対して真摯に向き合い「いい石でてこい。いい石でてこい」という気持ちを込めてせっとうを振ります。 そんな採掘作業は事前取材で聞いていたよりも過酷。カメラを向けているとその緊張感が伝わり、私は自然と息を止めてしまうほどでした。そうすると私も土橋さんと同じように息があがります。せっとうを振っていない私も「はーはー」と息をする不思議な状況。それでもとにかく土橋さんに喰らいつきます。カメラを構え、ファインダーを覗き、土橋さんの気持ちに置いて行かれないように撮影します。必死に採掘する土橋さんを心の中で「頑張れ、頑張れ」と応援しながら撮り続ける瞬間もありました。こだわっていた洞窟内の映像はその様な感覚で撮影したものになります。 ロケ期間が終わり、編集を経て、結果として番組の大部分が洞窟の中のシーンとなりました。当初考えていた「洞窟の中の映像で勝負したい!」という思いは実現されました。あとはこの様にして撮影した「天然砥石の魅力」「土橋さんの人柄」が映像を通して伝わるといいなと考えています。 【Q2】ぜひ見てもらいたい「こだわりのワンカット」は? こだわりのワンカットは土橋さんを追って洞窟に入っていくドリーカット(カメラを担いで歩くカット)です。 岩壁にある入口から天然砥石がある洞窟内までは岩肌剥き出しのトンネルが約20m続きます。その20mを土橋さんの後を追って入っていくことによって見ている人を一気に「天然砥石が眠るロマン溢れる大空間」へ誘いたいという思いで撮影しました。 洞窟の怪しげな雰囲気を活かした誘いにするためにはドリーカットがいいだろうか、「どこに連れて行かれるのだろう」と見ている人が感じる歩く速度はどれくらいだろうか、トンネルの採掘跡が残るゴツゴツした岩肌に目を向けさせるためには土橋さんとどれくらい距離をあけて歩けばよいだろうか、様々なことを考え試行錯誤しながら撮影しました。その甲斐があり、結果としてこのカットが番組内で用いられる一番長く印象的なカットになりました。 【Q3】苦労したところ、難しかったことは? 天然砥石の「唯一無二の切れ味を生み出す」という性能の質感を映像で表現することに苦労しました。 天然の仕上げ砥石は「外観」と「性能」に大きな特徴を持ちます。外観に関しては同じ色・模様のものが一つとして存在しないということ。性能に関しては研ぐことによって唯一無二の切れ味を生み出すということ。番組のひとつの狙いとして「天然砥石の魅力を伝えること」を掲げていたため映像でそれぞれの特徴を表現したいという思いがありました。 外観については砥石の種類によって色や模様に一目瞭然の違いがあります。淡い紫色で染色したような砥石もあれば、黒の濃淡で迷彩柄になっているもの、白地に赤と黄色の模様が入っているもの、オレンジのグラデーションになっているもの等々。どれも美しく、一つ一つが芸術品に見えます。そしてその数はこの洞窟だけで30種類、歴代の鉱脈のものを入れると数えきれない程存在します。そのためこの特徴を映像で伝えることは可能でした。 その一方で、唯一無二の切れ味を生み出すという性能の特徴を映像として表すことに苦労しました。 「切っている感覚がしない。触れるだけで切れる感じ」 ある方は唯一無二の切れ味をそう表現します。研がれた包丁で切る、またはノミで削る、その瞬間を撮影することで性能を表現する。これがまず考えられました。しかし私には主役である天然砥石を映像に入れながらこの特徴を伝えたいという思いがあり、試行錯誤の撮影が始まりました。 私はまず砥石の表面に目をつけました。表面の質感を撮影することによってその特徴を伝えられるのではないかと考えたからです。視覚や触覚で感じたツルツルした表面という印象を超える新たな発見を期待し、砥石の表面をアップにして撮影します。しかし・・・撮影できたのは平滑面でした。凹凸がない綺麗な表面であることに感動したのですが、残念ながらこの映像からは天然砥石が「唯一無二の切れ味を生み出す」という納得感を得ることができませんでした。あらゆる角度から撮影を試みたり、照明を工夫したり、最後には砥石を回転させて撮影しましたが結果は全て同じでした。砥石単体の映像ではなかなか伝わらない。そう考え、次は研いでいる時の天然砥石と刃物の接地面を撮影しようと試みました。 研ぎの速い動きに対して接地面で生じる現象をしっかり撮影するため特殊なカメラでスローモーション撮影を行いました。砥石と刃物の間にある非常に僅かな隙間を狙ってカメラを構えます。そのようにして撮った映像から見えたものは・・・泡のみでした。高速で刃物を動かすことによって研ぎ汁に空気が入り、接地面に生じたものだと考えられます。動きにあわせて舞うきめ細やかなものから大きくなって破裂するものまで大小様々な泡。映像自体は非常に面白かったのですが前回と同様に納得感は得られませんでした。どうしようか。そんな時に大佛師である松本明慶さんにお話を聞くことができ、そこからヒントを得ることができました。 「鉄に(天然砥石を)こすり付けると黒い汁がでるんですね。それが鉄の溶けた量ですね。ねっとりして、すーっと流れるようなええもんでしてね」松本さんのお言葉です。鉄のノミは研ぎ汁に溶けながら鋭利になるのですが、品質の良い砥石で研ぐ時はそれがより顕著に表れるとのこと。その話を踏まえてノミが研がれる様子を見てみると・・・瞬く間に研ぎ汁が黒くなっていきます。更に目を凝らすと鉄の粒子の流れも見えます。松本さんのお言葉通り、滑らかに流れる様子は見ていて気持ちがいい。これは「唯一無二の切れ味を生み出す」という天然砥石が持つ特徴の質感を見事に表している。そう考え、苦労の末、求めていた映像を撮ることができました。 【Q4】カメラマンとして現場で感じた最も印象的なことは? 洞窟内で見た土橋さんの明るい表情が最も印象的なことでした。 「戦場です」 事前取材の時に「土橋さんにとって洞窟はどういった場所ですか?」とお聞きした時の答えです。返答を聞いて私は「そうだよな」と感じました。身体的・精神的に過酷であり危険を伴う採掘作業を、天然砥石文化を継承する唯一の人物としての責任感を持ちながら、ただ独りで行っている場所。それは確かに土橋さんが戦いに行く場所として考えていても不思議ではありません。そう感じたからでした。ならば洞窟内を戦場として撮ろうと決意してロケ撮影期間に入りました。 採掘作業の様子を実際に見てみると、Q1でも記載したように、それは私が想像していた以上に地道で過酷な作業でした。重いせっとうを振る時は普段にこにこしている土橋さんも肩で息をしながら険しい表情をしており、「戦場」という言葉通りの光景です。しかし直ぐにその言葉に対して違和感を持つようになりました。 土橋さんは体力的な都合からせっとうを二、三十発打っては休み、打っては休みを繰り返しながら採掘作業を進めます。そのインターバル休憩として地面に腰掛けている時です。先ほどの険しい表情と打って変わって和やかな表情で鉱脈の地層を眺めています。見かたによっては少し楽しそうな気もしてきます。作業を再開するとまた息を切らしながらの険しい表情。それを繰り返します。何回かその光景を見ているうちにあることに気づきました。 せっとうを振っている時の表情は険しいけれど、辛いことを耐え凌いでいるという感じではなさそうだ。 砥石文化を守るため、待ち望んでいる人々に天然砥石を届けるため、土橋さんは過酷な採掘作業を耐え凌ぎながら行っているという先入観が私にはありました。それは作業内容をお聞きした上で、洞窟内を「戦場」と例えた土橋さんのお言葉から勝手に膨らませたイメージでした。最初はその先入観を持って作業を見ていたので気づかなかったのですが、改めて土橋さんのお顔を見ると少し違う印象を抱きました。 目にとても力があり、光が宿っている。歯を食いしばり、表情こそ険しいが、それは辛く苦しいというマイナスなものではなく、なにかワクワクしているようなプラスなものに見えました。どんなことを考えているのだろう。休憩している時にお聞きしました。 「せっとうで叩く一発一発にいい石出てこい、いい石出てこいという気持ちを込めてやっています。いつもどんな石が出てくるか楽しみなんです」 実は表面に見える地層からそこを掘って得られる天然砥石の種類は分かりません。地層の流れが急で複雑なため数十センチ先の地層は表面のものから変化している場合が多いからです。そのため掘っている先の天然砥石の種類を正確に予想することは極めて困難です。岩を落とし、裏面の地層を見た時に初めて(その岩塊の)砥石の種類が分かります。 この鉱脈から見つかった砥石の種類は30種類。どの種類の石が出てくるだろうか。もしかしたら新しい種類の砥石が見つかるかもしれない。これまで採ったことがある種類の砥石だったとしても模様の入り方はそれぞれ一点物。どんな種類のどんな模様の石に出会えるのだろう。ワクワクするな。このような思いで土橋さんは作業されていたのです。そう考えると休憩中に砥石の地層を眺めている時の和やかな表情も、過酷な作業中に見せたあの力強い表情もそれぞれ理解できます。この様なことに気づくと洞窟内が「戦場」ではなく「ロマン溢れる空間」に見えてきます。ならば洞窟内をロマン溢れる空間として撮ろう、とここで考えを改めました。 もちろん土橋さんは天然砥石文化を今後も継承していくため、また、天然砥石を待つお客さんへいい砥石を届けて喜んでもらうために砥石採掘業を続けています。しかし土橋さんの根幹の部分には「いい石に出会いたい」という強い思いがありました。その思いは30年間掘り続け、あの大空間を生んでしまうほど。土橋さんは誰よりも天然砥石の魅力に心を奪われ、誰よりも天然砥石を愛している人でした。そのことに気づかせてくれた「土橋さんの洞窟内での明るい表情」が現場で最も印象的なことでした。 (担当カメラマン 小山 諒)