今日のゲストは
DEAN FUJIOKA(ディーン・フジオカ)さん。
現在放送中の朝ドラ「らんまん」で
坂本龍馬役を演じました。
日本だけでなく、
アジア各国でも活躍する国際派俳優です。
一方ミュージシャンとしても
精力的に活動。
このほど、日本での本格的活動10年を記念した
初のベストアルバムを発表しました。
DEAN:「続けることでしか
生み出せないものがあるのだなと
かみしめることができましたね。」
マルチに活躍するディーンさん。
その人生の分岐点とは?
聞き手は小田切千アナウンサーです。
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小田切:「よろしくお願いします。」
D:「よろしくお願いします。」
小:「草履(ぞうり)なのですね。」
D:「いや、草履というか
雪駄(せった)ですかね。
私物ですね。夏なので。」
小:「いいですね。涼しそうで。」
D:「オススメですよ。
ピュアジャパニーズなので。」
小:「ピュアジャパニーズ!」
■1980年、
福島県で生まれたディーンさん。
高校卒業後はアメリカに留学。
世界経済をけん引する
ITの本場で働きたいと考えました。
D:「ITとかAIの技術とか、
そういうものに対しての興味が強くあったので
ITを使った生活のれい明期の社会の変化を
生活レベルで感じられたのは
すごく大きかったなと思いますし、
いろいろなアンテナに引っかかるものを
吸収していったような日々でしたね。」
■しかしその時、
思いもよらぬ事件が勃発しました。
【2001.9.11アメリカ同時多発テロ】
D:「9.11があったことによって、
多くの学生が教室から消えたり。」
■この事件をきっかけに、
外国人へのビザの発給が厳格化されました。
ディーンさんは
アメリカのIT業界で働く夢を
諦めざるを得ませんでした。
そして人生を手探りし始めたディーンさん。
24歳の時
バックパッカーとして訪れた香港で
人生の分岐点に出会うことになります。
【DEAN FUJIOKAさん人生の分岐点
~24歳の時 香港でスカウトされたこと】
D:「香港で知り合った友達に
『あそこのクラブに行かない?』
みたいな感じで誘われて一緒に行って、
ちょっと冷やかしで参加させてもらって。
たまたまフロアにいた
地元のファッション誌のエディターの方に、
声をかけてもらった。
『モデルの仕事やってみないか?』と。
自分としては
『お金がもらえるのだったらぜひ』
という感じでやったのがスタートですね。」
■思いがけず足を踏み入れた
エンターテインメントの世界。
最初のうちは、収入が安定せず、
苦労を重ねました。
D:「家もなかったので
大部屋をインド人の宝石商たちと
シェアして過ごしたり。
(他にも)契約書の読み方、作成のしかたを
たたき込まれた。
それができないとついていけないわけですよね。
契約書がすべて。
そこに書いてあれば、それは実現するし、
書いていなければ、
だまされたほうがバカだよねという話。
自信なんてなかったので、根拠もないですし。
生き残るためにやらなきゃいけないことを
やっただけみたいなところがあるので。」
■ディーンさんは生活のため、
依頼を受けた仕事は
積極的に引き受けることにしました。
そんなスタンスが飛躍につながっていくのです。
D:「仕事するということは
2~3週間に1回飛行機に乗ったり、
船に乗ったり、列車に乗ったりして
移動するみたいな。
香港をハブ(拠点)にして、
世界のいろいろな所に仕事に行くのが
自分のスタートだったから
それが当たり前だと思っていました。」
■1つの場所に留まらず、
アジア各国を巡りながら仕事をすることになった
ディーンさん。
そのことに大きな生きがいを
見出すようになりました。
D:「破壊的なプロセスだったり
するわけですよね。
特に国を変えていく、
文化圏や言語を飛び越えてやっていくのは
全く違う宇宙観の中に
飛び込むことになるので。
それまでの常識みたいなものが
非常識になるぐらい。
その中でまた新しい自分を構築し直す、
というプロセスを
ずっと繰り返しやってきた感じなので。」
■こうしてアジアでの知名度が着実に上がり、
2006年には台湾に拠点を移し、
テレビドラマに出演。
2009年にはインドネシアで本格的に
音楽制作にも取り組むようになりました。
その活躍が注目され、
遂には日本デビューを果たします。
2015年に放送された
連続テレビ小説『あさが来た』で
五代友厚役を演じ大きな話題になりました。
小:「あの当時の経験は、
どう今に生きていると
思っていらっしゃいますか?」
D:「相手が何を求めているかを察知する
ということだと思いますね。
なぜそこに求人をかけているかって
意図があるわけじゃないですか、
お金を払っているのだから。
やるべきことを自分で考えて、
ソリューション(解決法)を見つけて、
それを成立させるために努力するみたいな、
なんかそういう感覚ですかね。
続けてこられてもうすぐ20年ですかね?
これまでの縁というもの、
そういう人生なんだろうなーというのは、
少しずつ感じ始めていますね、今は。」