The Crossroad 宇崎竜童さん

NHK
2023年9月4日 午後1:09 公開

今年、歌手デビューから50年を迎えた
宇崎竜童さん。
10月11日には
「デビュー50周年メモリアルコンサート」を
予定しています。
作曲家としても、
数多くの名曲を生みだしてきました。
山口百恵さんに提供した楽曲
「プレイバックpart2」や
「さよならの向う側」などは
今でも愛されていますよね。
そんな宇崎さんの人生の分岐点とは…?
聞き手は佐藤俊吉アナウンサーです。

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宇崎:「数え切れないほどの
分岐点はありますが、振り返ると、
阿木燿子さんと出会って
阿木さんが結婚してくれて、
諦めもせずに今までつきあってくれている。
阿木さんと知り合ったことが
いちばん大きな分岐点。」

■18歳のとき、
宇崎さんは、大学の軽音楽サークルで
阿木さんと出会いました。

宇:「(阿木さんが)
『私、楽器できません』
と言うんですよ。
『いや僕が教えるから』
といろいろな説明をしていたのですけれど、
その中であれ?どこかで…
あ、この人が“本当の妻”なのだと。
あ、もうこの人に違いないと。
『あなたと私は
結婚することになっていますから』
と言ったんですね。」

佐藤:「どういう反応でしたか?」

宇:「え、いや
『そうかしら?』と言われました。
毎日阿木さんに『結婚してください』って。
ははは。」

■出会いから7年後に結婚。
しかし当時、宇崎さんは仕事が長続きせず、
職を転々としていました。

宇:「マネージメントをやったり、
弾き語りをやっていました。
でも本当は作曲家になりたかった。
自分で作詞作曲を趣味でやっていたんですよね、
学生時代から。」

新しい曲を生み出そうとする中で、
宇崎さんは作詞に悪戦苦闘していました。

宇:「自分でたくさん詞が書けないので、
それで少し途方に暮れていたら、
周りにいる人たち、先輩や後輩に
『詞を書いて、詞を書いて』って。
阿木さんにも
『3曲くらい詞を書いてくれない?』
と言ったら、
一晩でサササッと。
チラシの裏の白い所に鉛筆でなぐり書きで。
その中の1曲が
『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』
だったんです。」

■宇崎さん率いるバンド、
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドに提供し、
大ヒットしたこの曲で、
阿木さんは作詞家デビュー。
宇崎さんもミュージシャンの道を
歩み始めることができたのです。

宇:「最初からセリフにしようと
思ったわけではなくて、
セリフみたいな歌だなとは
思ったんですけれど、
『メロディーを付けなきゃ』が前提で、
何回も何曲もメロディー付けましたけれど、
うまくいかないんです。
だから
『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』しか
メロディーがない。
あと全部語りですよね。
それで『同じ印税をもらった』
と怒られたんですけどね。ははは。」

■この曲がきっかけになり、2人の元には、
楽曲制作の依頼が次々と舞い込みます。
なかでも、
山口百恵さんに提供した数多くの作品は
時代を象徴する名曲となりました。

宇:「『プレイバックpart2』は、
『あしたまでに作ってくれ』という
とんでもないむちゃぶりがあったんです。
間に合わさないといけない、発売日に。
阿木が先に詞を書いて持ってきたときに、
もう作品ができているんですね。
パッと詞を見たら『緑の中を』、
これしかないよなというメロディーが出てくる。
おもしろいなと思った。
詞の中にもうメロディーがあるので、
作曲家としてはすごく楽ちんでしたね。
あっという間にできてしまう。
そういう何十年があって、
いろいろなヒット曲も書けたし。」

■阿木さんの詞に導かれるように
メロディーを生み出してきた宇崎さん。
人生に欠くことができない存在だと言います。

佐:「阿木さんから、宇崎さんご自身が
影響された部分はありますか?」

宇:「影響はされるけれど、
その影響が反映しないですね。ははは。
マネできないんですね。
3度食事を作ってくれるわけですよね。
何と言ったらいいのか分からない、
ネーミングができないような食事を出すので…」

佐:「え、どういうことですか?
褒めているんですよね?」

宇:「褒めています。
あれとあれを入れて、
きのうの残り物を入れて。」

佐:「おいしいわけですよね?」

宇:「おいしい!おいしい上に、
栄養バランスがもう一目瞭然なんですよね。
かなわないよね、かなわないでしょう。
詞の才能と、料理の才能と、
いろいろな才能を持っている人だなと
思っています。
でも、完全にマヌケだと思うところも
あるんです。
一日中携帯電話を探していますからね。
ははは。」

佐:「阿木さんとの出会い、
分岐点がなかったらどうですか?
もし阿木さんと出会ってなかったら
どうなっていました?」

宇:「ろくでもない人間に…
しかもこんなに健康で
77歳まで生きられなかったと思いますね。
添い遂げようとしてくれていることに対して、
ものすごく感謝がありますし、
何かこの人のサポートができないかなと
いつも思っています。」