身近な風土の輝きとそこに暮らす人々を通して「小さな旅」をしてみませんか。
本州の西の端、山口県下関市。九州とを結ぶ「関門橋」が架かる街。昭和48年に開通した関門橋は全長1068mで、当時は“東洋一のつり橋”。物流の大動脈として日本経済を支えてきた。地元の誇り・関門橋を建設中から撮影し続けてきた男性。どんなに苦しいときも橋を見上げ、老舗旅館を守ってきた女将。関門橋を一望できるロープウエーを30年無事故で動かしてきた運転手。関門橋に思いを寄せて暮らす下関の人たちに出会う旅。
太平洋の荒波が打ち寄せる茨城県鹿嶋市。2700年前から続くとされる鹿島神宮とともに、町の人たちは暮らしてきた。境内にある茶店で半世紀にわたって参拝客を迎えてきた女性。波が高くハマグリ漁が思うようにできないこの春、“神宮さん”を訪ねては海が穏やかになる日を願う80歳の漁師とその孫。鹿島神宮ゆかりの古武道も地元の人たちに脈々と受け継がれてきた。神宮さんに見守られ、春を生きる鹿嶋の人たちに出会う旅。
新宿から電車で1時間、高尾山のお膝元・高尾は知る人ぞ知る梅の名所。春には1万本以上が花を咲かせ「高尾梅郷」と呼ばれている。その始まりは昭和37年。耕し手のいなくなった畑を梅林に。入学などの節目には家の庭にも。町の人が1本1本増やしてきた。定年後、ボランティアで梅の手入れをする男性。母の味の梅干しを作って故郷で暮らす喜びをかみしめる女性。満開の梅の下で遊ぶ子どもたち。思いをつなぐ早春の高尾を訪ねる。
城下町として栄えた佐賀市。街を歩くと店先や通りに「えびすさん」。その数840に上る。江戸時代、多くの人とモノが行き交った長崎街道沿いに商売繁盛を願ってまつられ、広まったとも。毎日えびすさんにお茶を供えては、店が続くことを願う老舗和菓子店の店主。亡き夫の姿を重ねて語りかける女性。長い年月の間に欠けてしまった部分を修復する石材店の3代目。えびすさんを心のよりどころにして生きる佐賀の人たちに出会う旅。
原爆ドームのほど近く、広島市の中心地にある基町アパート。戦後バラックが建ち並んでいた地区に造られた巨大団地で4200人が暮らしている。住人の高齢化も進むが、ラジオ体操に集まる人は元気いっぱい。団地の片隅にある喫茶店を切り盛りする男性は、ご近所さんが困っていたらほうってはおけないという。そんな“昭和な雰囲気”にひかれて引っ越してきた若者も。変わりゆく広島の街に息づく、どこか懐かしい暮らしを訪ねる旅。
高知県いの町は、古くから和紙づくりが盛んに行われてきた「紙の町」。町には清流で知られる仁淀川が流れ、水が欠かせない紙すきを支えてきた。ただ戦後、和紙の需要は激減し、数多くあった紙すき工房も今は6軒に。それでも父から子へ、紙すきの技を伝える職人親子。原料のコウゾ栽培を地域みんなで守る山里。かつて紙問屋だった建物では土佐和紙を使った張り子づくりも。町の心を受け継ぎ、和紙とともに生きる人たちに出会う旅。
群馬県北部、2000m級の山々に囲まれる片品村。豊かな自然が残る村には、夏は尾瀬観光、冬はスキー、たくさんの人がやってくる!山には傾斜と雪の重みで根元が曲がった「根曲がりの木」も。この木で地元の人たちが作るものとは?農閑期の仕事として行われてきた炭焼きを守る職人と弟子。雪の中を駆け回り、すくすくと育つ子どもたち。片品村に流れるゆったりとした時間、心あたたまるいとなみ、そしてあふれる笑顔に出会う旅。
大阪一の繁華街・梅田から歩いて10分ほど、ビルの谷間にある中崎町。築100年以上の長屋、昔ながらの商店や飲食店…レトロな町にはあたたかなつながりと笑顔があふれている。老舗の銭湯には一番風呂を楽しみにやってくる人がいっぱい!放課後、子どもたちが笑顔で駆け寄ってくる駄菓子店!週に3日だけ開き、ついつい長居してしまう本屋さん!都会の真ん中でほっと一息、それぞれの居場所を大切にして暮らす人たちに出会う旅。
四国山地のただ中にある徳島県三好市の祖谷(いや)。小さな集落が点在し、冬は雪に閉ざされる山深い地域。住む人は年々減っているが、今も祖谷ならではのあたたかな暮らしが息づいている。奥祖谷のシンボル「かずら橋」を後世に残そうと架け替えを行う男性。先祖が切り開いた畑を守り、昔ながらの生活を続ける夫婦。集落のみんなに見守られて育つ子どもたち。12月、雪に覆われていく祖谷で豊かに暮らす人たちの冬支度を訪ねる。
日本海に沿って断崖が70キロにわたって続く福井県の越前海岸、冬には冷たい風が吹きつける。しかしこの季節ならではの恵みも。代表格は全国にその名を知られる「越前がに」。冬の間、越前町ではカニをゆでる湯気があちこちで立ち上り、漁港は活気にあふれる。福井市の居倉町には、寒風に耐えて海沿いの崖の上に咲く「越前水仙」。厳しさの中にある恵みを分かち合い、支え合いながら厳しい冬を生き抜く越前海岸の人たちを訪ねる。