ロシアによる軍事侵攻によって航空便が使えなくなったウクライナでは、鉄道がヨーロッパ各国へとつながる貴重な移動手段となってきました。ウクライナ国鉄が運行する寝台急行「キーウ・エクスプレス」も、その1つです。ウクライナの首都キーウとポーランドの首都ワルシャワを結ぶこの列車は、侵攻以降、家族や知人と離ればなれになったウクライナの人たちにとって、大切な人と再会するために、なくてはならない存在になっています。ロシア軍による攻撃が続く中で夏休みの時期に入った6月。この列車を利用する人々、それぞれの物語を、ワルシャワの駅でみつめました。
(国際番組ディレクター 馬渕茉衣/現地取材 金子潤郎)
キーウ・エクスプレスとは
キーウ・エクスプレスは、ウクライナ国鉄が毎日往復1本、運行する寝台急行です。ウクライナの首都キーウとポーランドの首都ワルシャワの間、約800キロを18時間ほどかけて旅します。旧ソビエトの一部だったウクライナは、今もソビエト時代の軌道幅を採用しているため、国境付近では台車交換も行われます。
侵攻前、この列車は飛行機と比べて価格が安いことなどから、多くの人が旅行や出張のために利用してきました。侵攻直後は、ウクライナから避難しようとする市民が殺到したほか、今も数少ない公共交通として、国外に避難している家族や知人に会いに行ったり、避難先からウクライナに帰省したりするためなどに利用されています。
再会の喜びあふれる到着ホーム
夏休みの時期に入った6月、キーウ・エクスプレスが発着するワルシャワ東駅で撮影を始めました。毎日午前10時すぎ、キーウからの列車が到着します。ホームには、列車の到着を待つ人たちが集まり、なかには花束を持った人の姿もありました。
まもなくして、列車が到着。ウクライナでは、18歳から60歳の男性の出国制限が続いているため、降りてくるのは、ほとんどが女性や子どもです。
「久しぶり」
「無事でよかった」
ホームのあちこちで、涙ながらに抱き合う人たち。軍事侵攻後、離ればなれになった家族や知人と再会した喜びにあふれていました。キーウから到着したという女性は、「息子に会うために1週間の予定でワルシャワに来ました。ウクライナで教員をしているため、頻繁に国外に出ることはできませんが、息子に会えてうれしいです」と話していました。
誰かを待っている様子の若い男性がいました。相手の姿を見つけられず不安そうでしたが、突然、くしゃっと表情を崩し、列車の出入り口に駆け寄りました。男性が待っていたのは、弟と母親です。去年から家族のもとを離れ、1人、ワルシャワの大学に通う男性を訪ねにきたといいます。
母親「息子と半年間会えず寂しかったので、いまとてもうれしいです。ワルシャワに来ると、ほっとします。ウクライナでは空襲警報が鳴るたびにシェルターへ逃げなければなりませんでした。ワルシャワでは空襲警報は聞こえないので、やっと安心できます」
再会の喜びと、戦禍のふるさとを離れて安どする思いを語った母親に対し、弟が口にしたのは、意外なことばでした。
弟「ウクライナに住むのは怖くないよ。ただ暮らす、それだけのことさ。空襲警報が鳴っても落ち着いて対処するよ」
母親「子どもたちのほうがより順応し、戦争をゲームのように捉えているようです」
弟のことばからは、侵攻が長期化する中、戦争が日常となっている現実が、かいま見えました。
戦闘激化も ふるさとに帰る人たち
キーウから到着した列車は、約8時間後の午後6時前に、今度はキーウに向けて出発します。ロシア軍による攻撃が続く今、乗客たちは、なぜウクライナに向かうのでしょうか。
ベンチで1人、列車を待っていた女性に声をかけました。侵攻前からアメリカに住んでいるイリナさんです。
取材者「なぜウクライナへ?」
イリナさん「息子に会いに行くためです」
2年ぶりに息子に会うというイリナさん。見せてくれたのは、軍隊にいる息子の写真です。息子は、いま訓練の最中で、いつでも前戦に呼ばれる可能性があるといいます。
イリナさん「母親がどんな気持ちか、ことばは必要ありません。痛み、絶望、そしてときどき恐怖です」
実は、イリナさんがキーウに帰るのは、侵攻後、初めてです。この帰省には、息子に会いたいという前向きな気持ちだけでなく、帰るのが怖いという後ろ向きな気持ちもあるようです。
イリナさん「(かつて)キーウはとても平和で人々はとても楽しそうでした。(帰郷して)爆撃された場所を見ることが怖くてたまりません。国境を越え、その場所を見たら心が痛み、泣いてしまうでしょう。それでも私は生きたいし、この戦争の人質にはなりたくないです」
夏休みを利用し、避難先からウクライナに戻るという女性もいました。16歳のマリアさんです。
マリアさん「夏を家族とドニプロで過ごすことにしました。ドニプロはここ数週間ひどい攻撃にあっていますが、私は気にしません。とにかく帰りたくてしかたがないのです」
マリアさんは、半年前まで家族とともにウクライナ東部のドニプロで暮らしていましたが、ミサイル攻撃が続き、パニック障害の症状が出るようになったといいます。その後、家族と離れ、フランスに1人避難したマリアさん。症状は次第に緩和されたものの、家族への恋しさに耐えきれなくなったといいます。
マリアさん「母は私にフランスにとどまるように言いました。ドニプロに戻ったら(パニック障害の)症状がでるかもしれません。でも今は、ただ家に帰りたいです」
出発時刻が迫る中、ホームで憂鬱そうな表情を浮かべる女性を見かけ、思わず声をかけました。ユリアさんです。定年退職した夫と9歳の息子とともに、1週間、トルコに滞在していました。
ユリアさん「キーウはとても緊迫しているので、息子をリラックスさせたいと旅行に出たのです。息子の気分は晴れましたが、ウクライナに戻ったらどうなるのか分からず心配です」
キーウに戻る不安な胸の内を明かしてくれたユリアさん。それでもウクライナに帰るのは、そこがふるさとだからだといいます。
ユリアさん「ウクライナには帰らなければなりません。犬も猫もいて、農場や両親の墓もあります。家を置き去りにはできません」
出発 別れの時
出発の直前。ホームで固く抱き合い、最後まで別れを惜しむ親子の姿がありました。ポーランドに避難している娘に会いに来ていた母は、家族のため、再びウクライナに戻るといいます。
母親「(家族を)助けるために私は戻らなければいけません。娘には安全でいてほしいです。(ウクライナに帰るのは)怖くはありませんが感情的にぎりぎりです。もう慣れましたが、何が起きるのかわからないのです」
2人の様子を見守っていた車掌は、侵攻以降、こうした出会いと別れの瞬間を幾度となく目にしてきました。だからこそ、戦禍の中、列車の運行を続けることの意義は大きいと感じています。
車掌「家族のもとへ帰る人、家族と別れ国を出る人、戦争で多くの運命が引き裂かれました。鉄道は戦争が始まって以来、人々を支え続けてきた唯一の交通手段です。鉄道職員は誰1人、逃げ出すことなく、列車を走らせてきたのです。人々から必要とされていると感じているからです」
【取材後記】
「キーウ・エクスプレスという寝台急行列車がある」
そう聞いた時、その名前の響きに魅力を感じるとともに、「何か物語がありそうな場所」だと想像力をかき立てられました。今回の取材で特に印象に残ったのは、戦争で緊張状態を強いられる中、心の休息を求めてウクライナを出て、また戻っていく人たちの姿でした。空襲警報の鳴らない、安全な場所でぐっすり眠ることが、その人が必要としていることであり、戦時下のいま、得がたいものになっています。つかの間、休息をとって気持ちを立て直そうとするたくましさも、ウクライナから逃げたいという思いも、どちらも本音なのだと思います。ウクライナに戻る不安を感じながらも、「誰かが残らなければいけない」という責任感や使命感の間で葛藤することばからは、日々のニュースを目にしているだけではわからない、ウクライナの人たちの心の揺れも感じました。これからもウクライナの人たちのさまざまな思いを乗せて走るこの列車を、取材し続けていこうと思います。
(国際番組ディレクター 馬渕茉衣/現地取材 金子潤郎)
(この動画は10分52秒あります)