サグラダ・ファミリア聖堂 2023年1月撮影 © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
日曜美術館ホームページでは放送内容に関連した情報をお届けしています。こちらは7/23放送「永遠なるサグラダ・ファミリア 〜“神の建築家”アントニ・ガウディ〜」に合わせたコラムです。なぜ、他に類を見ないサグラダ・ファミリア聖堂が実現するに至ったのか? そこにはキーマンとなった人たちがいました。
ジュゼップ・マリア・ブカベーリャ
サグラダ・ファミリア聖堂の建設を発案したのがバルセロナの書店主であったことはご存知でしょうか。バルセロナで宗教関連の出版と書店業を営んでいたジュゼップ・マリア・ブカベーリャが1866年に「聖ヨセフ信心会」(逐語訳:聖ヨセフ帰依の精神的協会)という民間団体を設立。その協会員のための本堂として教会建設を構想したのが始まりでした。産業革命が進み富裕層と貧困層の格差が大きくなる中、貧しき人々の社会不安を和らげ、神に救いを求めるための聖堂という位置づけでした。協会の会員数は、1878年時点で国外からの加入者も含め60万人に到達するなど急拡大しました。ただ、会員から毎月少額献金をしてもらうかたちで聖堂建設の資金を確保するという仕組みにしたものの、赤字財政続きでした。それが原因でたびたび建設が停滞せざるを得ませんでしたが、何とか実現させたいという人々の強い意思が原動力となっていました。
「サグラダ・ファミリア聖堂、全体模型」 2012-23 年 制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂 © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
ジュアン・マラガイ
聖ヨセフ信心会のための本堂として着工されたサグラダ・ファミリア聖堂がバルセロナ市民から広く街のシンボルとして見られるようになった背景には、詩人でありジャーナリストのジュアン・マラガイの存在がありました。マラガイが新聞『日刊バルセロナ』の1900年 12月 19日号に寄せた「生まれつつある聖堂」というコラムが転換点になったと言えます。
サグラダ・ファミリア聖堂受難の正面、鐘塔頂華 © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
この記事がきっかけで人々はサグラダ・ファミリア聖堂の特別な神秘さを認識し、また、サンタ・エウラリア大聖堂(※)と並んで我が街を代表する建物になると考えるようになりました(※バルセロナで「大聖堂」というと、サグラダ・ファミリア聖堂のことではなく15世紀に竣工したサンタ・エウラリア大聖堂のことを指します)。まだ世間的な評価が確立されていなかった時代に、マラガイはサグラダ・ファミリア聖堂が、バルセロナにおけるカタルーニャ精神を体現する理想の記念碑になると主張しました。また別の記事の中でこうも語っています。「近い将来、バルセロナはあの聖堂のまちになるであろう」。まさに今日の状況を予見していました。
サグラダ・ファミリアにすべてを捧げたアントニ・ガウディ
マラガイは記事「生まれつつある聖堂」の中でガウディのことを「この聖堂の建設に一生の生命以上のものを捧げている男」と評しましたが、実際のところ、サグラダ・ファミリア聖堂に対するガウディの献身ぶりは建築家の域を超えていました。
「ガウディ肖像写真」 1878 年 レウス市博物館
ガウディがサグラダ・ファミリア聖堂の2代目建築家として推挙されて就任したときは31歳の青年でした。建築家としてのキャリアをスタートさせたばかりで、まだ実績らしい実績も持っていないような状態でした。本人も当初は収入の安定や仕事のチャンスを得るきっかけと捉えていたようですし、事実、聖堂建築家という肩書も追い風になりその他の設計の仕事も増え充実した日々を送ります。とは言え、まだその頃はこの聖堂が自分の人生を決定づける存在になるとまでは思っていなかったでしょう。
しかし1894年に断食を行い、あやうく命を落としかけたとき、「あなたは聖堂を完成させるという現世での使命を受けている」と神父から言葉をかけられ、これにより一命を取り留めました。以後、より一層サグラダ・ファミリア聖堂の仕事に没頭するようになります。
サグラダ・ファミリア聖堂内観 © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
幾度も財政的な危機に見舞われたサグラダ・ファミリア聖堂は1914年、ついに建設中断が決定されますが、ガウディの直訴によってその決定はくつがえりました。ガウディは聖堂からの報酬も受けず、自ら富裕層のもとを戸別訪問して献金願いの活動も行いました。また、ガウディの設計事務所は1887年よりサグラダ・ファミリア聖堂内にありましたが、晩年にはベッドもアトリエ内に移し、サグラダ・ファミリア聖堂の中で生活もしていました。
今日、サグラダ・ファミリア聖堂はバルセロナを代表する建築であり、同時にスペイン最高の集客数を誇る観光地にもなっています。観光収入が増加したおかげで建設のための財政状況も劇的に改善されました。しかし過去の歴史をひもとくと、このプロジェクトが綱渡りの連続でどうにか存続した、まさに奇跡の産物であったことがわかってきます。
展覧会情報
◎展覧会「ガウディとサグラダ・ファミリア展」は9/10 まで、東京国立近代美術館(東京・千代田区)で開催。その後、以下に巡回します。
佐川美術館(滋賀・守山市) 9/30-12/3
名古屋市美術館(愛知・名古屋市) 12/19-2024/3/10