
復活!四国の祭り
永井アナウンサー
四国らしんばん。ゲストはアンジュルムの川村文乃さん!今回のテーマは?
川村文乃さん
みんな大好きな「祭りのチカラ」です!
私たちの祭りが帰ってきました!
4年ぶりの完全復活です。
新型コロナの影響で、中止や縮小を余儀なくされていた四国の祭り。 ことし相次いで通常開催に戻っています。
そこで私永井伸一も。
行司「はっけよい」
永井「これが4年ぶりの祭りですよ。いいですね」
女性「いかんか!」
この祭りは疫病退散と豊作を願い、160年続く高知の奉納相撲。
きょうは四国の祭りが持つチカラに迫ります!
訪れた女性
「もうコロナでできてなかったし、大変よかったですね」
訪れた女性
「こんなに盛り上がるとは知らなくてすごい楽しかったです」
永井アナウンサー
みなさんがお住まいの地域の祭りはいかがでしたか?
4年ぶり、そして各地で通常開催ということで私もね、高知県本山町のお祭りがあったので、思わず行ってしまったんですよ。
川村文乃さん
なかなか体張ってましたね。
永井アナウンサー
あのお祭りは、飛び入りで相撲に参加することができるんですよ。
川村文乃さん
すごいですね!
永井アナウンサー
そうなんですよ!
でね、地域の人たちの寄付で集まった賞金が出るということで、まさに真剣勝負。
川村文乃さん
それはかなり真剣になっちゃいますね。
永井アナウンサー
まだ筋肉痛が残っていますけど。
川村文乃さん
大丈夫ですか?
永井アナウンサー
(笑)川村さんといえばやはり高知出身ですから「よさこい」ですよね。
川村文乃さん
「よさこい祭り」は大好きです。
永井アナウンサー
ということでコチラの写真をご覧いただきます!
川村文乃さん
あー!
永井アナウンサー
よさこいに参加した時の。
これ、おいくつですか?
川村文乃さん
これは10歳の時の写真です。
私は小学校2年生のころから「よさこい踊り」を始めまして、そこから毎年いろんなチームで踊ったんですけど。
本当に「よさこい」がきっかけで踊る楽しさを知って、今アイドルになっています。
永井アナウンサー
あら!じゃぁ「よさこい」が河村さんを作ったということになるわけですね。
川村文乃さん
本当にそうです!
そこがなかったらアイドルとして歌って踊っていないです。
永井アナウンサー
高知を代表する「よさこい祭り」ですけど、四国には全国的に有名な祭り、この「よさこい祭り」だけじゃなくていろいろあります。
たとえば愛媛県でいきますと「新居浜太鼓祭り」があったり、また「よさこい祭り」もあったりしますね。
香川でいくと水の恵みに感謝する「ひょうげ祭り」徳島の阿波おどり…。
ほんとうにこれ、ごく一部なんです。
四国にどれくらいの祭りがあるかというと、実は5,000もある。
川村文乃さん
え?5,000もあるんですか?
そんなにたくさん
永井アナウンサー
その四国のお祭りが持つチカラ。
いったいどういったものなのか見ていくわけですが、最初に見ていくお祭りがコチラなんですね。
愛媛県今治市のお祭りです。
こちら4年ぶりの開催。
地域で祭りが復活するということはどういいった意味を持つのか、ご覧ください。

地域をひとつにするチカラ:水軍レース 愛媛 今治 宮窪町
愛媛県今治市宮窪町。
4 年ぶりに開かれた水軍レース大会です。
12人で200メートルを いかに速くこぐのかを競う祭りです。
この地には戦国時代に活躍した 村上海賊の拠点、能島があります。 これが祭りのゆかりとなっています。
レースで使うのは当時海賊が乗っていた小早船。
2,200人の町に4,000人が訪れました。
訪れた男性
「すごいですね。初めてこんなんやりよる聞いて」
訪れた女性
「来てよかったです」
実行委員長の關洋二さんです。
この祭り、もともとは衰退する町を盛り上げようと、およそ30年前に始まりました。
祭りは町の人たちの手作り。
小さな町が1年で最も盛り上がる一大イベントになりました。
しかし、新型コロナで中止となり、観光客が激減。
關さん。 ことしにかける思いは並々ならぬものがありました。
關洋二さん
「活気が全然なかったけんね。このままもう宮窪いう名前が名前がもう地図に載らんなるんやなかろうかいうね感じで思ったわいね。3年間あいとるけんことしはもう一致団結してね。ためこんどった思いをことしの分で爆発さそう」
4年ぶりの祭りを成功させたい。
様々な人たちが動きだしました。
町の人
「軽トラあるん?乗ってきて」
町の人は会場周辺のゴミ拾いに…。
駐車場を確保するための草刈り。
さらに、今回新たに漁師たちが取り組んだのが…。
町の人
「これを束ねていってあのひもで縛って」
これは、クラゲよけのネット。
自慢の海で海水浴も楽しんで欲しいと、ネットを手作りし、海に設置しました。
児童たち
「お願いします!」
地域の小学生にも大事な役割があります。
町の伝統、水軍太鼓を知ってもらいたいと4月から練習を重ねてきました。
男子児童
「宮窪を自慢するために」
女子児童
「そう、宮窪を。すごいんだよって」
一方、漁協の女性部が朝早くから作っていたのは、祭りに欠かせないイベント、餅まき用の餅。
「行きますよ」
「ほいさー。よいさー。ほいさー。よいさー」
ことしは4年ぶりの開催を祝って、例年の倍、4000個の餅をふるまいます。
参加者
「マスクなしでみんなが顔見えて」
「汗いっぱいかいて、化粧崩して。ははは」
關洋二さん
「宮窪が生き返ったようなわいね。ようは燃え上がるような気持ちでやってくれよんやと思います」
そして迎えた祭りの日。
關洋二さん
「燃えるような宮窪が宮窪の夏が帰ってきました。みなさん頑張って下さい」
銅鑼「ジャーン」
オープニングを飾るのは、小学生による水軍太鼓。
参加した児童
「めっちゃ緊張しました」
「宮窪って迫力が多くて楽しくて盛り上がる場所なんだよってことを伝えれました」
レースが始まります。
「ええかー?」
「はい、OKです」
「よーい」
「ジャーン」
実況
「さあ第3レースが始まりました」
レースには全国からおよそ600人が参加しました。
しかし、思わぬハプニングが。
銅鑼の係
「折れとるんですよ」
3年間のブランクでドラをたたくバチがもろくなり、手元が折れてしまったのです。
銅鑼の係
「全然なにも考えてない」
実行委員
「大丈夫。この手があるけん」
銅鑼の係
「どうするんやろ。ほんとにこれでやろうか。ははは」
子ども
「いいよ2位!!」
5時間にわたったレース。
事故もなく、無事終えることができました。
出場者「来い来~い!優勝~!」
祭りのもうひとつの楽しみ。
餅まきです。
漁協の女性部が作った4,000個の餅がまかれます。
わずか3分で終え、大盛況でした。
女性たち
「いえーい。すごいね、いっちゃん」
「たぶん県外の方とか島渡ったところから来てくれてると思うんですよ。ほんとにうれしいです」
4年ぶりに戻ってきた祭り。
ひとりひとりが力を合わせ作り上げた夏でした。
關洋二さん
「あー、終わった」
「感無量ですよね?」
關洋二さん
「感無量やけどの。うちだけのひとりではできんのよ。みんなの協力があってできたわけでほんとに感謝してます」
「これを機にまたみんなで団結して、もっともっと輪を広げて」
「地元を盛り上げてくれる。みんながひとつになれる。ね、祭りってね」
關洋二さん
「明日からまだまだこれから宮窪どんどん燃えますから」

地域を一つにすることの“価値”
永井アナウンサー
いやぁ。みなさん一つになっていましたね。
川村文乃さん
みなさん、この日をすごく楽しみにしていたんだなというのがすごく伝わってきましたね。
永井アナウンサー
餅巻きの餅もすごかったですね。
川村文乃さん
すごいたくさん投げ込まれていて。
楽しそうでしたね。
永井アナウンサー
ここからは、四国の祭りに詳しい方にお越しいただきました。
愛媛県歴史文化博物館、専門学芸員の大本敬久さんです。
よろしくお願いします。
今ね、皆さんのコメントの中に「団結」とか「一つになって」とありました。
祭りってひょっとしたら地域をまとめる力があるのかななんて思ったんですが、いかがです?
愛媛県歴史文化博物館専門学芸員 大本敬久さん
お祭りというのは地域を内と外、いろんな交流の場にもなるし、もう一つは結集の場になるわけです。
たとえば、そこにありますけれども、“おけ”とか”たる”。
それを外で締めているのが“たが”ですよね。
ちょうど輪っかのこの部分。
この“たが”が緩んでしまうと“たがが外れて”バラバラになる。
という風にお祭りというのは地域をまとめあげる一つの“たが”なのかなと思います。
永井アナウンサー
そうなんですね。
そうやって考えると川村さん、「よさこい祭り」だって地域一つになっていませんか?
川村文乃さん
そうですね。
踊る踊り子さんだけでなく、町のみなさんが一つになって「よさこい祭り」の日を楽しみにしていますね。
永井アナウンサー
大本さん、ことしは5類もありまして、4年ぶりだとか通常開催だとか特別な意味を持っています。
これってどういう風に捉えていますか?
愛媛県歴史文化博物館専門学芸員 大本敬久さん
いいわゆるコロナ禍で約4年間お祭りができなかったというのはあったんですけど、実際にできなかったということで毎年できた当たり前のことができないということで、自分たちの祭りがどういったものなのか客観視する。
そういったことのきっかけになったのかなと。
すべてがネガティブじゃなくて、ポジティブに考えて、客観視してその価値に気づく。
そういった期間だったのかもしれませんね。
永井アナウンサー
今治の水軍レースもあんな風に喜びが表に出たのかもしれませんよね。
川村さん、四国は人口減少も続いていますし、少子高齢化もあります。そうした中で祭りをどう伝承していこうか、担い手という課題があるんです。
そういった中で続いて見ていくお祭りなんですけど、コチラです。
高松の女木島のお祭りなんですが、こちらではこんな人たちが支えているんです。

外のチカラが支える祭り 住吉神社大祭 高松 女木島
高松港からフェリーで20分。
およそ120人が暮らす女木島。
この日、島で開かれる祭りに参加するためやってきた人がいます。
中塚正記さん、40歳。
中塚正記さん
「コロナになってからは帰ってきてなかったので、帰ってきたなという気持ちの方が強いですよね」
中塚さんは島の出身ではありません。
普段は東京で弁護士をしています。
参加するのは、女木島で100年以上の歴史を誇る住吉神社大祭です。
祭りの主役は太鼓台。
この島では船に見立てています。
激しく揺られても沈まない様子を表し、漁の安全や大漁を祈願します。
島の人口が減る中、実は、太鼓台の担ぎ手の8割は島の外で暮らす人たちです。
祖父母の家が島にあった中塚さん。
16歳の時、初めて参加して以来、祭りを支え続けてきました。
中塚正記さん
「祭りを通して島のおじいさん、おばあさんとかとすごく関係が深くなっていって。血のつながりとか関係なくお互いに大事にし合ってくれる関係というのが、何か自分はすごく好きだなと思ってるとこでもあります」
4年ぶりの女木島。
島の人たちとも久しぶりの再会です。
島の男性:「久しぶりやないか~」
中塚さん:「お久しぶりです。祭で帰ってきたのでお中元代わりに」
島の男性:「そんなんせんでええって」
島の女性:「久しぶりやな。ちょっと腹出とる」
中塚さん:「だいぶ腹が出ました。10キロ太った」
中塚さんには、重要な役割がありました。
「腕ピッと伸ばして胸張って」
神様の役でもある太鼓台の乗り手に、たたき方や、かけ声などを指導します。
太鼓乗りは中高生に任される重要な役目。
彼らの大半も島の外の出身です。
そのひとり、初めて参加する佐藤大成さん。
佐藤大成さん
「ばあちゃんちがこっちで(島の祭を)ユーチューブで見て。
こんな太鼓乗るんやと思って。
めちゃめちゃ面白いって言われてそれなら乗ってみようと」
中塚正記さん
「私がここまで強い思い入れを祭りに持ったのは太鼓に乗せてもらったからだというのもあるんですね。今年太鼓に乗る子たちにも、ひと夏の思い出としてもらうだけではなくって、今後も関わり続けていきたい。そういうふうな気持ちを持っていっていただけたらいいな」
祭りが近づくと、島の外から続々と担ぎ手たちがやってきます。
「毎年毎年一大作業で」
「正記 張って」
ことしはそれでも人手が足りず、太鼓台を担ぐ区間の一部を台車に乗せることにしました。
「いつ終わってしまうか僕らも分からない祭なので」
「続けていくために崩さないかんとこは崩さないかんのかな」
祭の日。
島民も総出で、太鼓乗りの着付けを行います。
「綿をたくさん巻いておかないと衝撃があって痛いので」
佐藤大成さん
「意気込みですか?頑張ります」
中塚正記さん
「おまえらが声だして元気にやった方が一番かっこええけんな」
いよいよ、本番。
「若い衆 頼む やってくれ~」
「オォ~」
中塚さんは台の動きを指揮する重要な役目。
「うおおおおおおお」
観客
「わぁ~すごい」
「久しぶりや。小さいときから行ってるからね」
島が沸いた日ー
太鼓台は7時間かけて島を練り歩く
無病息災の御利益があると伝わるみこしくぐり
「健康になりますように」
「早くできますように」
「ありがとう~」
「頑張ってね!」
島を歩き回る猿田彦
鼻でつつかれた場所が良くなる
「次もできたらいいなと。楽しみにしております。それまで何とか長持ちしときます」
「祭りのために地元に帰ってというのが、そこからまた地元愛につながると思いますし、自分のこころのふるさと
祭りの締めくくりは、太鼓台を激しく転がす一番の見せ場「暴れ」。
「最後大暴れしよう!やろうやろう」
中塚正記さん
「お前ら頑張ってやれ!!」
太鼓乗りの佐藤さん、激しく揺られても声を出すのをやめません。
「あ~ハンリョイ!」
中塚正記さん
「さあ頑張れよ大成!」
中塚さんも最後まで全力でげきを飛ばし続けます。
島の人も、そして外の人も。
共に支えた4年ぶりの祭りです。
佐藤大成さん
「達成感はあるっすね。熱気のある島やなって。次は太鼓持つ係で参加したい」
「よかったな。ええ祭りやった」
中塚正記さん
「お祭りが終わったときですね、本当に皆さん口々に、一生懸命やってくれたからこのお祭りができるんだと言っていただけて。そういうふうに…いやごめんなさい。皆さんの温かさっていうものを感じて、本当に、自分の存在意義っていうんですかね。ここに縁を持って生まれてきてこういうイベントっていうのをずっと続けていけて、そこで自分がすごく大事にされているっていうところはありがたく思っています」

祭りの姿が変わっても
永井アナウンサー
中塚さんの涙、どう見ました?
川村文乃さん
すごい熱い思いが涙からも伝わってきて、なんか心が温かくなりましたね。
永井アナウンサー
お大本さん、中塚さんがおっしゃっていた中で「自分の存在意義」という言葉がありました。
これ、どのように解釈します?
愛媛県歴史文化博物館専門学芸員 大本敬久さん
お祭りというのはその地域の特徴とか価値とか明らかに出るオンリーワンの価値があるわけなんですね。
そういったものの中から自分の存在を確認しやすい場になるわけです。
お祭りで何らかの役割を果たしていく。
そうしたら周りから感謝されるわけですね。
そうすると存在意義を確認したり、それが生きがいになっていく。
そういう場になっているかなと感じました。
永井アナウンサー
そして島の外から支えている、そして太鼓台に乗りました佐藤大成さん、表情変わりましたね。
川村文乃さん
もう祭り当日はすごいキリッとした表情ですごいたくましく強くなっていると感じました。
永井アナウンサー
こうやって人を成長させる何かがあるんですかね。
愛媛県歴史文化博物館専門学芸員 大本敬久さん
そうですね。
お祭りっていうのが学校とはまた違った地域の教育システムが見られるのかなと思いますね。
子どもたち、青年が地域の中で必要とされる存在。そして周りから認められる。そういった認知欲求が満たされて、そういった環境が人を育てるのかなと思いました。
永井アナウンサー
この女木島のお祭りは島の外の人たちが支えて、ことしは新たに台車も導入いたしました。
こうやって変わっていくのはどうなんですか?
愛媛県歴史文化博物館専門学芸員 大本敬久さん
変容は昔から行われていることなので、その地域の人たちが、今の世代の人たちがやりやすい形を模索しながら再構成・再構築していくということが、大事ですので、決して衰退とか崩れているわけではなく、変容も是とする時代かなと思います。
永井アナウンサー
工夫して継承していこうというこの動き、四国の他のお祭りにもあるんですね。
ちょっと映像を用意しました。
先月、徳島県三好市の西祖谷山村で開かれた祭り、「神代踊」です。
平安時代の雨乞いが起源とされ、去年ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
三好市の外の人や移住者も加わって、踊りを守り続けようとしているんです。
続いてご覧いただくのが愛媛県宇和島市津島町の野井地区で行われている「亥の子」。亥の子というのは本来地域の子どもたちが石をついて家を祝福するものなんですが、子どもが減少。
現在は子どもの代わりに高齢者が中心となってやっているということなんです。
大本さん、こういった形もあるんですね。
愛媛県歴史文化博物館専門学芸員 大本敬久さん
そうですね。
昔からやっているから続けるとか、伝統だから続けているだけじゃなく、自分たちの祭りがどういったものなのかというのをきちっと把握して客観視した上で理解して学んで、そしてこれからつなげようとする。その主体的な動きというものがこれからの時代は継承ではとても大事になるかなと思います。
永井アナウンサー
となるとお祭りの持つチカラと言ったら、大本さんなんですか?
地域を強くする。
言ってみれば防災とか防犯。
それにもつながっていくと思うんですけど、地域をまとめて地域が危機になった時にお祭りがそれに立ち向かうチカラになってくる。
そういう存在だと思います。
永井アナウンサー
川村さん、この番組でお祭りのチカラ、どう感じました?
川村文乃さん
そうですね。
お祭りを通して地域の方と交流できたり仲良くなったり、より地域のことが大好きになる機会だなと思いましたし、これからもずっとお祭りが続いていって欲しいなと思いました。
永井アナウンサー
四国はまだまだこれから秋祭りもありますからね。
こんな祭りのチカラ、ぜひ皆さんも感じてみてはいかがでしょうか。