朝倉の横綱 梅ヶ谷藤太郎とは?

NHK
2022年6月13日 午後2:31 公開

今回、追跡!バリサーチ、寄せられた投稿がこちら。

朝倉が生んだ第十五代横綱・梅ヶ谷藤太郎(うめがたに・とうたろう)とは?

福岡県出身力士といえば、元大関の魁皇関や琴奨菊関、そして松鳳山関が有名ですが・・・。

梅ヶ谷関、実は明治時代に活躍した福岡出身の力士なんです。

いったいどんな横綱だったのか?バリサーチしました。

石堂智雄さん

今回、投稿してくれた石堂智雄さんにお聞きしました。

石堂さんは、90年代の若貴ブームで相撲にはまり、以来、30年近く相撲の歴史を調べてきたそうなんです。

その中で知ったという朝倉市出身の横綱、梅ケ谷藤太郎は・・。

「東京相撲で22場所(116勝)6敗しかしてないというところが強かった。58連勝でとにかく力士としても強く親方としても力を持っていた」。

勝率なんと9割5分という圧倒的な強さを誇った横綱。

ぜひその活躍を福岡の皆さんに知ってほしい!といいます。

生まれ故郷の朝倉市に向かいました

いったいどんな横綱だったのか。

手がかりを求めて、生まれ故郷の朝倉市に向かいました。

立派な銅像

さっそく出迎えてくれたのは、立派な銅像。

きっと地域では有名な人物に違いない!と思いきや…。

地元の人「詳しくは知らないです」。

地元の人「存在は知っているけど名前を記憶してない」。

あらら?あまり知られていない!?

地元の資料館

そんな中、地元の資料館に、横綱に関する貴重な資料があるとの情報が。

梅ヶ谷藤太郎に与えられた“横綱の免状”

こちらは、138年前の明治17年に、梅ヶ谷藤太郎に与えられた“横綱の免状”です。

朝倉市教育委員会 文化財係 倉元慎平さん

朝倉市教育委員会 文化財係 倉元慎平さん
「免状は、梅ヶ谷関が40歳の時に授与されたもの。大変貴重な資料になります」。

銅像は、横綱として初の土表入りをモチーフにしたもの。

化粧まわしには、初代総理大臣、伊藤博文の名前も刻まれています。すごい!

さらに、地元で横綱について詳しく調べている人たちがいると聞き、訪ねてみることに。

そこにあったのは、明治期の貴重な本人の写真など、たくさんの資料。

「これは横綱に推挙されて土俵入りを行ったときの写真ですね」。

身長176センチ、体重105キロ。

相手の得意技から逃げない、堂々とした相撲で人気を博していたそうです。

顕彰会の皆さん

こういった写真を集めたのが、地元で結成された顕彰会の皆さん。

30年ほど前に、横綱の親族がいた東京や青森、相撲博物館などを訪ね、集めたそうです。

名前しか知らなかった横綱の写真を発見し、身近に感じるようになったと言います。

第十五代横綱初代梅ヶ谷顕彰会 副会長 秋山藤重さん
「ここにおったということは聞いていましたけどね。今(の力士)では小柄ですけどね、それが横綱になるっちゅうことは大したもん」。

その横綱のしこ名は、今も朝倉に残る『梅ヶ谷』という地名から付けられました。

山間の小道を上っていくと…。

「ここに生家があってて」。

横綱は、江戸時代末期の1845年に、ここにあった家に生まれました。

残念ながら建物は残されていませんが、その跡には、立派な記念碑が建てられています。

その中に驚きの記述が・・・。

生まれた時から体が大きく体重は6キロ

ひき臼を引きずりながら遊んでいた

ディレクター「生まれた時から体が大きく体重は6キロ!?しかも藤太郎はひき臼を引きずりながら遊んでいた!?」。

ひき臼

なんと、そのひき臼が今も残されているといいます。

大人でもずしりと腰に来るこのひき臼を、生後7か月で引きずって遊んでいたというのです。

第十五代横綱初代梅ヶ谷顕彰会 会長 養父一守さん
「小さいときにこれをひっぱってそうついて、かなり向こうまで引っぱっちょったということはですね、いかに力があったんじゃなかろうかと思うんですね」。

少年時代は、娯楽として盛んだった、神社での宮相撲で活躍。

大人たち相手に負け知らずだったと言います。

18歳でふるさとを離れ、本格的に相撲の世界へと進み、大横綱と呼ばれるまでになりました。

顕彰会では、たくさんの人に横綱を知ってもらおうと伝記を製作。

さらに、コロナ前までは、毎年、わんぱく相撲大会も開催。

努力家だったというその精神を引き継いでいます。

豪雨災害が相次ぎ、ふるさとを離れる人が増えている朝倉。

横綱の功績を伝える活動にこれからいっそう力を入れていきたいと考えています。

第十五代横綱初代梅ヶ谷顕彰会 会長 養父一守さん
「こういう田舎の山の中から名横綱っちゅう梅ヶ谷藤太郎関が出たということは地元の誇りでもあるしですね。若い人に継いでいきたいと思います」。

日本相撲協会によると、横綱・梅ヶ谷藤太郎の活躍によって、明治期に一時停滞していた相撲人気が大いに高まったそうです。

さらに引退後も、相撲協会の要職につき、国技館の建設に尽力するなど、相撲界の礎になったといいます。

また、福岡出身の横綱は、第十五代の梅ヶ谷藤太郎と第十代で柳川出身の雲龍久吉だけなんです。

情報を寄せてくれた石堂さんも、再び県内から偉大な横綱が誕生することを期待しているとのことでした。


放送後、視聴者の方からこんな声も!

「梅ヶ谷藤太郎の銅像のある道の駅には、5月に行って来ました!碑文の内容に感心いたしましたが、果たしてどれほどの方がご存知だろうかと思いました。本日の放映を機に認知が広まれば良いと思います!」。


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