奈良市にある奈良県立図書情報館でこの夏、ある少年飛行兵に関する資料が初めて公開されました。寄贈から30年近く、日の目を見ることなく眠っていた資料には当時の少年の率直な思いがつづられていました。
(寺井康矩 記者)
初公開の日記
奈良県立図書情報館で夏になると毎年開かれる戦争の企画展。ことしの展示の中心は古びた大小7冊のノート。表紙には、今谷正一(いまたに・まさかず)という名前が記されています。太平洋戦争で20歳の若さで亡くなった今谷正一さんの日記です。
今谷さんは大正13年(1924年)、現在の奈良県山添村に生まれました。地元の小学校を卒業後、15歳で東京の陸軍航空学校に入学。その後、少年飛行兵として訓練を受けて戦地に赴きました。日記には昭和19年に20歳で戦死するまでの4年間の日々が600ページ余りにわたってつづられています。
(今谷正一さん)
ただ飛行機に乗りたい~少年の純粋な思い_~_
企画展を担当した県立図書情報館の職員、佐藤昭俊さん(55)は当時の少年の率直な思いが書かれた内容に衝撃を受けたといいます。
(佐藤昭俊さん)
佐藤さん:「長い時期にわたり学生時代から戦死する直前まで書かれている日記を見たのは今回初めてだった。少年としてはものすごく率直にものを書いている」。
佐藤さんが特に印象に残っている部分があります。今谷さんが18歳の年に書いた「随想の巻」と記された1ページです。
「我々ハ何ノ為ニ少年飛行兵ヲ志シタルヤ。只一ツ、飛行機ニ 乗ランガ為ノミ。
『国ノ為』トカ『国軍ノ為』或ハ『機ニ乗リ正義ニ敵スルモノヲ打チ砕カン為』
ニハ非ズ」
(現代語訳:俺たちは何のために 少年飛行兵になろうと思ったのか。ただひとつ、飛行機に乗りたいからだけだ。「国のため」とか「軍のため」、「飛行機に乗って正義の敵を打ち砕くため」ではない)。
佐藤さん:「天皇のためだとか国のためだとか言いがちになるが、そうではないんだと。ただひとつ、本当に飛行機に乗りたいために志したんだという非常に素直な気持ちが表れている」。
憧れのパイロットになったその先に・・・
当時、飛行機のパイロットは花形の存在で、多くの少年たちが憧れたといいます。今谷さんの日記にも陸軍の学校に入学した際に「未来の名パイロットを目指す」と書かれていて、空に強い憧れを抱いていたことがうかがえます。しかし憧れのパイロットになった今谷さんを待ち受けていたのは、死と隣り合わせの戦場の空でした。
昭和19年、今谷さんが東南アジアの戦地で書いた日記です。
「九月二三日(土)曇
俺ノ天長節ダ。満二十才ノ秋ヲ迎ヘタ訳ダ。若干所懐ヲ述ベン。後二ヶ月ヲ経ズシテ
『ビルマ』ノ空ニ敵撃滅ノ為ニ散テ行ク俺ダ。此ノ世ニ何ノ未練ガアラウ」
佐藤さん:「天長節は本来、天皇誕生日という意味だが、この9月23日に今谷さんは20歳になった。そこでもう2か月も経ずしてビルマ(ミャンマー)の空に敵を撃滅するために散っていくんだ、つまり戦死するんだという事を予感する言葉を書いている」。
この2か月余り後、今谷さんはミャンマーから転戦したフィリピンのレイテ島近くの上空で敵と戦い戦死します。今谷さんのように戦場で亡くなった少年飛行兵は、およそ4500人にのぼるとされます。
佐藤さん:「飛行機が好きなためにパイロットになったと書いてはいるんですけれど、この段階ではもう自分の死を避けがたいものとして捉えている。時代だからしかたないとはいえ、純粋な気持ちが戦争のために利用されてしまったのは何かやるせない気がする」。
埋もれる貴重な資料
実はこの日記、今谷さんの弟が図書情報館に寄贈してから30年近く書庫に眠っていました。毎年、戦争の企画展を担当してきた佐藤昭俊さんが、ことしの展示内容を検討する中でその存在に気づき、ようやく日の目を見ることができました。
戦争資料の収集を活動のひとつに掲げる県立図書情報館の書庫には、全国各地から寄せられた戦争に関する資料数千点が収蔵されています。当時の人々の日記や県内の写真などのほか、戦前の満州の様子を撮影した写真などもあります。今でも毎年100件ほどの寄贈があるといいます。しかし、内容を調査するのは佐藤さんただ1人。人手不足でその多くが未調査のまま眠り続けています。
佐藤さん:「少しずつ確認するようにしているが本当に膨大にある。本来なら誰でも閲覧できる形にするのがよいとは思うが、まだそういった段階には至っていないのが現状」。
そんな中で佐藤さんは毎年、膨大な収蔵品の中から資料を選び企画展として戦争の姿を現代の人たちに伝えてきました。終戦から78年。戦争を知る人たちがどんどん減っていく中、佐藤さんは今後も調査を進め、今谷さんの日記のような当時の人々の生の声を伝える資料を少しでも世に出していきたいと考えています。
佐藤さん:「何十年か前なら当時の悲惨さを体験した人への聞き取りなどもできたが、もう不可能になりつつある。当時を知る人がほとんどいなくなっているからこそ、こうした資料を通じて当時の人の思いを知り、その時代のことを知ることがどんどん大切になってくると思う。戦争や平和の問題について考える上でも、これからも資料を紹介していきたい」。
寺井康矩 記者
2017年入局。徳島局をへて去年から出身地の奈良で歴史・文化の取材を担当。
好きな言葉は「和をもって貴しとなす」。