わが娘を手放した日〜中国・一人っ子政策のその後〜

NHK
2023年12月9日 午後10:50 公開

番組のエッセンスを5分の動画でお届けします

(2023年12月9日の放送内容を基にしています)

父親「18年間 娘を探している。抱きしめたのは一度きりだ」

取材班「娘の名前は?」

父親「付けていない」

取材班「実の娘さん?」

父親「もちろん」

母親「義父が勝手に娘を手放したのよ」

父親「男の子を望む父が、断りもなく娘を他人に渡した。その後ずっと探している。冬になると眠れない。娘は冬に生まれたから、冬が来ると悲しくてたまらない。髪が白くなったのも、そのためだ」

母親「一人っ子政策が厳しかった。一生続く悪夢だ。娘のことを忘れようとしても、忘れられない」

父親「一生に一度でいいから、娘に会いたい。諦めきれない。なぜ娘を手放さなければならないんだ」

<親子をつなぐボランティア ロング・スタイさん>

中国、江西省。38度の炎天下で歩き回る女性の姿が。

ロング・スタイ「娘を手放した人を知りませんか?」

住民女性「そんなの星の数ほどいるよ」

中国全土で人探しをしているロング・スタイさん。アメリカからやってきた。

探しているのは、ある子どもたちの生みの親。みな、中国の親元から引き離され、養子として海外へ渡った。

ロング・スタイ「生みの親を探したい子どもは本当に多い。彼女たちから依頼されて、親を探している」

商店主「そんなの海に落ちた針を探すようなもんだ。一人っ子政策の時は、そんな子どもは多かった」

中国で数多くの親子を離れ離れにさせてきた政策がある。

“一人っ子政策”。人口の増加を抑制するため、1979年から2015年、36年間にわたり実施された。

(90年代初頭)

「出産適齢期のみなさん、この放送を聞いたら、直ちに妊娠検査に出かけてください」

ひと組の夫婦につき、原則子どもを一人しか産んではいけないと定めるこの国策。

しかし、当時の農村では、重男軽女(じゅうだんけいじょ)、家を継ぐ男児を優先するという意識が根強かった。男の子が生まれるまで産み続け、女の子が生まれると手放されることが多かった。

ロング・スタイ「政策に違反すると高額の罰金を科されるので、生まれた娘をどう隠すか、悩む親が多かった。そして、たくさんの女の子が親元から離され、孤児院に預けられた。その後 海外の養子に出されたのです」

当時、国際養子縁組の制度で、およそ15万人もの子どもたちが世界各地に送り出されたと言われている。

ロング・スタイ「生みの親を探している子どもの資料です。この子の名前は“広福燕”。江西省の孤児院に預けられて、英語名はミケイラ」

「私の名前はミケイラ。アメリカ・マサチューセッツ州出身。大学4年生で人類学を学んでいる。私は生まれて9か月の時、江西省の孤児院から養子に出された。この町は中国人やアジア系の人は少なく、ほとんど白人で溶け込むのが難しかった。みんなと違うのが嫌で、ブロンドの髪、青い瞳が欲しかった。私は生みの親を探している。自分の歴史や生みの親について、どんなに小さな情報でも知りたい。人生の大切なピースが欠けている。それを知りたい」

ロングさんは、ミケイラさんの依頼で生みの親を探す旅に出た。

ロング・スタイ「江西省の駅前(えきぜん)鎮という町に行って、頼小華という人を探しに行く。頼小華はミケイラを拾った人のはずだ」

生みの親を探すのに唯一の手がかりは、孤児院から提出されたこの資料。

「2001年5月30日未明。駅前鎮の政府幹部、頼小華と唐明亮は、生まれて間もない女児を拾い、孤児院に届けた」

ロング・スタイ「頼小華という人を知りませんか?」

商店主「この辺は、頼小華って名前は山ほどいるよ。頼小華だらけだよ。駅前鎮の役所に聞いてみたら」

2人の役人を知らないかと聞きにいった。

役所職員「頼小華って役人も聞いたことがないね。唐明亮?わからないね」

ロング・スタイ「2人ともここの幹部だったそうです。本当に唐明亮を知らないですね?」

役所職員「この町の唐さんはみんな親戚だけど、聞いたことがない」

この街で、頼小華と唐明亮を探し出せなかったロングさん。

あまりにたくさんの子どもが孤児院に届けられた当時、書類に記載された名前は、いい加減だった可能性があるという。

ロング・スタイ「こんなことは日常茶飯事でよくあること。でも、他に情報がないので、孤児院の資料をもとに調査を続けるしかない」

駅前鎮から車で2時間。娘を手放したことを後悔している女性がいると聞き、訪ねた。

周暁芳(しゅうぎょうほう)さん、50歳。娘を出産したのは、22年前の冬のこと。娘の円満な人生を願い、“楓圓(ふうえん)”と名付けたが、その後、孤児院に預けざるを得なかった。

ロング・スタイ「どこで娘を産んだ?」

周暁芳「瓦と土でできた古い家。一人っ子政策が厳しかったので、そこに隠れて出産した。娘が泣くのが怖かった。産着を外で干すこともできなかった。赤ん坊の泣き声で出産が知られると、捕まってしまうから、出産直後に手放すしかなかった」

その時、周さんはすでに4人の娘を出産していた。この地域では、一人っ子政策に違反して出産すると、年収の3・5倍、さらに産むと、年収の7倍に当たる罰金を科された。

周暁芳「年間の稼ぎは1万元もなかったが、罰金は数万元も課された。食べるのにお金が足りず、途方に暮れた。あの娘を産んだ時、本当に困窮していた。罰則として、家を取り壊され、食べ物も穀物も奪い取られた。飼っていた豚も連れ出された。また出産したと政府に知られると、不妊手術をさせられ、子どもを産めなくなってしまう」

ロング・スタイ「ならどうして産んだの?」

周暁芳「ここは農村だから、男の子が生まれるまで産み続けるしかない。家を継がせるため、子孫繁栄のために、農村ではこれは譲れないとされていた」

今、町の市場で精肉店を営む周さん。楓圓さんを手放した翌年、6人目の子どもを産み、ようやく息子が生まれた。

ロング・スタイ「5人も子どがもいるのに、なぜ手放した娘を探したいのですか?」

周暁芳「自分の体から落ちた子は大切に決まっているよ。一人っ子政策がなかったら、絶対に娘を手放さなかった。どんなに貧しくても、自分の食べる分を娘にあげて育てたはず。今も娘と同じくらいの女の子を見かけると、目で追ってしまう。自分の子じゃないかなと確かめてしまう。娘に一目会えればいい。私を母として認めてくれなくても構わない」

話を聞いたロングさんは、楓圓さんも養子として海外で暮らしているかもしれないと考えた。息子から唾液を取り、DNA鑑定を行う予定だ。

周暁芳「本当に娘を見つけてほしい。お願いね」

<親を思う子>

中国出身のロングさんは、夫のブライアン・スタイさんとアメリカ・ユタ州で暮らしている。夫婦の間に実の子どもはなく、中国から3人の養女を迎え入れ、育ててきた。やがて、彼女たちから「生みの親は誰」、「なぜ捨てられたの」と聞かれた。

夫婦は娘の疑問に答えたいと中国でリサーチを行い、実の親子をつなぐ活動を始めた。これまで、DNA鑑定を通じて実の親子を300組近く特定してきた。

この日、新たに特定できたのは、アメリカで暮らしながら、ずっと中国の親に会いたいと願い続けてきた女性。

ブライアン・スタイ「ある女性の唾液を鑑定して、先日結果が出た。あなたとマッチングできたんだ。彼女はあなたの実の姉だ」

グレイス・ロミッグ「実のお姉さんが見つかったって。お姉さん、私に似ている」

「私はグレイス・ロミッグ20歳。中国の広東省から引き取られた。私は2002年1月27日、広東省茂名市にて拾われた。水色の産着、ピンクの帽子を身につけ、毛布に包まれ段ボールで眠っていた。へその緒がまだ付いていた。家族が見つからず、その日に孤児院に預けられた」

グレイスさんが10ヶ月の時、養母になりたという女性がアメリカからやってきた。

これは2人が初めて会った時の様子。

養母ベス・ロミッグ「映っている子がグレイスよ。じっと私を見て『この人は誰?』と思っているようだった」

養母のベスさんが、グレイスさんを引き取ったのは44歳の時。独身で子どもが欲しかったベスさんは、中国の国際養子縁組を知り、申し込んだ。看護師として働きながら、グレイスさん、そして同じ中国出身のジェナさんを育ててきた。

養母ベス・ロミッグ「グレイスは、生みの親を思って泣くことが多かった。自分に似ている人を探していて、外でアジア系の人を見かけると、『私のママかも。姉妹かも』と叫び、『やはり似ていなかった』とがっかりしたりした」

中国の家族を思いながら、アメリカで育ったグレイスさん。ベスさんの負担を減らしたいと、古着屋でアルバイトしている。

グレイス・ロミッグ「アメリカで生まれていないことに、孤立を感じる時がある。自分の出自も、生みの親も知らない。生みの親が私に会いたくない可能性も想像してきた。私にとって生みの親を探すのは、かけがえのないこと。彼らが歩んできた人生について、いろいろ知りたい。子どもを手放した理由も」

養母ベス・ロミッグ「グレイスは私にどんなに愛されていても、やはり居心地が良くなかったのかもしれない。親に捨てられたという思いは、ずっと彼女の心にある。悲しい思いをしている娘を見て、とてもつらい。でも、私にしてやれることは何もない。グレイスが生みの親に会うことで、心の傷を癒やしてほしい。自分は望まれた子なんだと知ってほしい」

中国の両親には、実の娘が見つかったと姉が伝えてくれた。

グレイスさんは3ヶ月後、生みの親に会いに行くことになった。

<子を思う親>

中国、広東省にある小さな町、呉川(ごせん)。

楊亜貴「怖いんだよ。私のみっともない姿を見たら、娘が帰って来なくなるじゃないかと心配なんだ」

町の建築現場で日雇い労働をしている、楊亜貴(ようあき)さん、65歳。アメリカで暮らすグレイスさんの実の父親だ。

父・楊亜貴「18歳から働いて、この年でもまだ働きゃならん。まあ、しょうがない。子どもたちに食わせるために金が必要だ。水にも飯にも金がいる」

楊さんは、妻の陳軒娣(ちんけいてい)さんと2人暮らし。21年間、娘のことをずっと思い続けてきた。

父・楊亜貴「どこで暮らし、学校には行けているのか、苦労はしていないか、ずっと考えていた。アメリカなんて、そんな遠くにいると思ってもいなかった。アメリカは、教育も食べ物もなんでも中国より良い。豊な国なんだろう」

実は父親の楊さんは、一度も娘の顔を見たことがない。

出稼ぎで不在の間に、楊さんの母親が独断でグレイスさんを手放してしまったという。

父・楊亜貴「娘が生まれた時、母が家にいて『娘はいらない。人にあげよう』と決めた。『男の子だったらよかった』と。この村では、男の子がいないと堂々と振る舞えない。男の子が多い家から見下される」

グレイスさんが生まれる前に、夫婦にはすでに10歳になる長男がいた。もう一人男の子がほしい、と一人っ子政策に違反して3人を生み続けたが、生まれたのはみな女の子だった。

父・楊亜貴「一人っ子政策は本当に厳しかった。役場の人が来るたびに、隠れようとドアを閉めたが、何度もドアを壊して中に入ってきた。丸太で壊したんだ。私は2回、妻は3回捕まった。家から連れ出され監禁される。罰金を払わないと帰らせてくれない。とても怖かった」

夫婦が払わされた罰金は、年収の3倍に当たる20万円。日雇労働で貯めたお金を使い果たし、家計は限界に達していた。

それでも楊さんの母親は、もう一人男の子がほしいと強く願った。しかし、産まれたのは、またも女の子のグレイスさんだった。

父・楊亜貴「すでに娘が3人いて、これ以上は家に置くのを母は許さなかった。母の言うことは絶対で、妻は抵抗できなかった」

母・陳軒娣さん「悲しくて泣いた」

弟夫婦は、女の子を生み続けた陳さんが、弱い立場だったと振り返る。

楊さんの弟「母は男子優先の考えが強かった」

楊さんの弟の妻「1人目の孫が男だったから、義母はすごく喜んでいた。その後、孫娘が生まれて、義母の態度は冷たくなった」

取材班「そんな義母に不満はなかった?」

楊さんの弟の妻「義姉は不満を言える立場ではなかった。全てを飲み込んでしまう」

母・陳軒娣「何て言ったら良いかわからないよ。娘が恋しくて悲しくなる。一人っ子政策が厳しくて、生活が苦しかった。でも、貧しいこの家じゃない方が、娘は幸せだったかも」

取材班「娘に会えたら何を話しますか?」

母・陳軒娣「わからない。娘は英語を話すのでしょ?」

陳軒娣「娘がアメリカから帰ってくる。生みの親に会いにくる。無事帰って来られますように」

<20年の空白を取り戻す親子>

アメリカから22時間。ついに故郷、中国の地を踏むことになったグレイスさん。養母のベスさんと、妹のジェナさんも一緒にきてくれた。生まれ故郷・呉川は、広州から高速鉄道でおよそ3時間。

グレイス・ロミッグ「このワンピースは古着屋で買った。今日のために買った。中国で赤は縁起が良いと聞いたので。家族に会えることに、まだ現実味がなく、信じられない。両親に会って彼らの顔を見たら、きっと泣いちゃうと思う」

父・楊亜貴「親戚も含めて、家族全員集まるよ。娘の歓迎会を開く。娘が帰ってくるのがうれしいので、爆竹を鳴らす。ここ広東省の風習だ」

母親の陳さんは、新しい靴で21年ぶりの娘を迎える。

父・楊亜貴「娘の姉妹たち帰ってきたよ」

広州で働く次女の楊土娣(ようどてい)さん。DNA鑑定でグレイスさんと一致した実の姉だ。

親子をつなぐ活動に取り組むロングさんも駆けつけてくれた。

取材班「どうしたの?」

姉・楊土娣「母が泣いているから」

いよいよ近づいてきた21年ぶりの親子の再会。

グレイス・ロミッグ「新しい場所にいる緊張感と、両親が私に期待していることを想像して、不安になる。私は彼らが理想とする娘なのか。私の存在が、家族の日常を壊してしまわないか」

グレイスさんを待ちわびる両親と姉、そして兄。両親はうれしい反面、ある不安を抱えていた。

父・楊亜貴「娘から責められないか心配だ。『どうして私を捨てた』と。そうだろう。娘にそう聞かれるのが怖い」

姉・楊土娣「おかえりなさい。お父さんとお母さんだよ」

母・陳軒娣「泣かないで。泣かないでおくれ」

養母ベス・ロミッグ「グレイスは、あなたが私にくれた最高の贈り物です」

娘を迎えるために、家族は普段は口にしない豪華な料理を用意した。

親戚や友人、およそ70人が祝福に集まった。初めての家族揃っての食事。

グレイス・ロミッグ「全ての瞬間、自分は歓迎されていると感じた。食事の時も、お腹いっぱいに食べさせようとしてくれたり、細かいところまで気を遣ってくれて、愛を感じた」

養母ベス・ロミッグ「私たちへの歓迎ぶりに驚いた。中国では、女の子は大事にされないと聞いていたが、グレイスを歓迎する様子は、聞いていたのと真逆だった」

取材班「歓迎会にいくら掛かりましたか」

父・楊亜貴「一晩で3万元(約60万円)くらいだな。娘が帰ってきてくれたから、喜んで金を使った。親戚と友人から金を借りて用意した。娘を喜ばせたいんだ」

失われた21年を取り戻す1週間。

これまで、娘にしてあげられなかったことを埋め合わせたい父と母。

そんな両親に、グレイスさんはためらいながら、あることを切り出した。

グレイス・ロミッグ「もし私が男の子だったら、おばあちゃんは私を捨てなかったの?」

姉・楊土娣「そこ聞くか。答えづらいな。男だったらね」

父・楊亜貴「男の子だったら、母は手放さなかったはず」

「女の子だから連れて行かれた。娘は、私たちが見捨てたと思っているのだろう。そうではない。私たちは女の子でも養うつもりだった」

グレイスさんが生まれた時、深圳(しんせん)で出稼ぎ労働をしていた楊さん。出産を聞きすぐに帰省したが、娘はすでに母の手で、助産師に渡されてしまっていた。行方を聞いても、母は決して口を開いてくれなかったという。

父・楊亜貴「娘を取り戻そうと、助産師を探し回った。その日に見つからなければ、次の日も探し、次の日も見つからなければ、また次の日も」

結局、楊さんは娘を探し出すことができなかった。

顔を見ることも、名付けることもできないまま、21年の歳月が過ぎていった。

父・楊亜貴「一人っ子政策がなかったら、子どもを何人でも育てたさ。罰金が払えず、母は娘を犠牲にした。なす術がなかった」

国にも、祖母にも逆らえなかった父と母。

父・楊亜貴「生みの親として、娘を育てることができず申し訳ない」

グレイス・ロミッグ「誰のせいでもないのはわかっています」

グレイスさんを独断で手放した祖母は去年、85歳で他界。そんな祖母を、姉の土娣さんは恨むことができないという。

姉・楊土娣「祖母はあなたを手放したけど、私たちには優しかった。祖母が亡くなり、みんな悲しかった。両親を手伝い、私たちの面倒を見てくれた」

土娣さんはこの村でたった1人、大学院まで進学できた女性。高額の学費を払うために、父は肉体労働を続け、水牛も売り、祖母は貯金を取り崩した。

姉・楊土娣「祖母には感謝しかない。彼女を許してあげてほしい。彼女は家族を、父を愛してくれた」

取材班「祖母を許せますか?」

グレイス・ロミッグ「生きていたなら、ぜひ会いたかった」

養母ベス・ロミッグ「グレイスはたくさん泣いたが、彼女にとってよかったと思う。願い続けてきたことがかなったから」

ベスさんは、グレイスさんのある気持ちを感じていた。

養母ベス・ロミッグ「生みの親とも、私とも両方と離れたくないでしょう。アメリカにいる時も『ママの面倒は私が見る』と言っていた。グレイスの人生を変える大きな選択になるでしょう。心のままに生きてほしい。どんな選択も私は祝福する」

ここまで、ベスさんと一緒にホテルに滞在していたグレイスさん。この日初めて、実家に泊まることにした。

グレイス・ロミッグ「ここに泊まりたいのは、私は他の姉妹のように、ここで育っていないので、ここで家族と暮らして、その生活を感じたい」

これまで生みの親と暮らすことができなかったグレイスさん。そんな娘に、楊さんは意外な言葉を口にした。

父・楊亜貴「娘に伝えてくれないか。ちゃんとアメリカに帰って、仕事や勉強に集中してほしい。私たちはそう望んでいる。アメリカは裕福で、我が家は貧しいんだ」

取材班「アメリカにいて欲しいってことですか?」

父・楊亜貴「生活水準が高いほうが娘にいいよ。この村には3000人が住み、私たちは周りから見下されてきた。貧乏で金がないから。娘がここで暮らしたら、アメリカと全く違う生活になる」

父の思いをグレイスさんに伝えた。

グレイス・ロミッグ「彼らと一緒にいたい。私たちは家族なんだから。私を手放さなければならなかったのは、とてもつらいことだったと思う。母は産後にすぐ畑で働き、父は私が手放されたことさえも知らなかった。とても悲しい現実。両親は私よりずっとつらい時代を生きてきた。両親に親孝行したい。一生働くなんてさせたくない」

グレイス・ロミッグ「家族と一緒にいたい。農業を手伝い、自分にできる全てのことをして、お金を稼ぎたい。家族に知ってほしいことがある。貧しくても、他人に見下されても、私は気にしない。周りより劣っているなんて・・・。絶対そんなことないよ」

父・楊亜貴「大丈夫だよ。泣かないで。私たちはこの環境に慣れているけど、娘には難しいと思うよ。農業をやるのは厳しい。あなたがアメリカで幸せに暮らしていれば、パパとママは何よりうれしいよ。将来、家族が恋しくなったら、いつでもここにおいで。でもアメリカに帰るんだよ」

一人っ子政策は2015年に廃止され、36年の歴史に幕を閉じた。

中国政府は今、再び、人口の増加を目指して、子どもを多く持つことを奨励する政策に転換している。

取材班「昨日はよく眠れた?」

グレイス・ロミッグ「うん。ちょっと暑かったけど、ベッドも快適だった。早朝、母が洗濯している音がベッドから聞こえて。家族の一員になれた気がした。過去に置き去りにしたものを、少し取り戻せたような気がした」

家族との時間に終わりが近づいてきた。

父・楊亜貴「渡すものがある」

楊さんは、持ち金すべての2000元を取り出した。

父・楊亜貴「ママ、娘のために。彼女の学費に」

母・陳軒娣「アメリカに帰って、ベスさんに親孝行をしてくれたら、私はうれしい。娘をここまで育ててくれたベスさんに、私は本当に感謝しかないよ」

グレイス・ロミッグ「私は生みの親も、育ての親も同じように愛してる。私はどちらの親とも一緒にいたい。命を与えてくれた母も、人生を与えてくれた母も、どちらも私の本当のお母さんです」

養母ベス・ロミッグ「グレイスはまたここに帰ってきます」

父・楊亜貴「元気でな。泣くんじゃない」

21年前に引き離された親子。これからまた、海を隔てて生きていく。

父・楊亜貴「もちろん、帰ってほしくはなかった。ただ、娘には帰るべき場所がある。娘の未来が明るい」

グレイス・ロミッグ「家族と暮らすはずの21年間を失った。でも、家族が私を愛してくれていると感じた。彼らが私の幸せを願ってくれていることが、今後、心の支えになる。親は苦労して姉を大学に入れて、子どもの良い人生を強く願っていると思う。私も良い人生を送れるように頑張って、将来恩返ししたい」

グレイスさんは21年遅れで、中国の名前をつけてもらった。

楊司清(ようしせい)。

清らかで美しい人生を送って欲しい。両親の願いが込められている。

司清さんは次に中国に帰るまでに、アメリカで就職し、家族を支えられるようになりたいと考えている。