途切れた日記ー奪われた"あした”

NHK
2023年7月5日 午後7:02 公開

「あしたはもっと楽しくなるといいです」

4年前(2019年)の5月4日。
小学4年生の男の子は日記にこう記しました。

しかし、男の子に“あした”は来ませんでした。

翌日の未明、飲酒運転のドライバーが道路を逆走し、男の子が乗っていた車と衝突。
男の子は亡くなりました。

飲酒運転によって“あした”を奪われた男の子の両親は、もう誰にも同じ思いをしてほしくないと、新たな1歩を踏み出しています。

(大津局・記者 丸茂寛太)

初めての講演

「私は飲酒運転をなくしたい。毎日繰り返される飲酒運転のニュースにいらいらします。自分がこの手で捕まえてやりたい。でも私にはできません。悲劇が起こる前に必ず食い止めてほしい。必ず捕まえてほしい」

ことし6月。
滋賀県の大津北警察署で開かれた講演会で、小学4年生だった息子を飲酒運転の事故で亡くした母親が涙ながらに語りました。

講演会には約50人の署員が参加。その様子は、県警察本部や県内すべての警察署にもライブ配信され多くの警察官が聴講しました。

男の子が命を奪われてから4年。
両親が、事故について公の場で話すのは、これが初めてでした。

家族の中心にいた息子

両親の息子で、小学4年生だった心誠(しんせい)君。

3人きょうだいの末っ子で、料理や食器洗いなどをよく手伝う優しい男の子でした。
明るい性格できょうだいをつなぐ存在だったといいます。

※写真中央が心誠君

(母親)
「いつも明るくて、きょうだいでケンカが始まっても明るいひと言でみんなを笑わせてその場を収めることができる不思議な力を持っていました。そこにいるだけでみんなが心誠の笑顔につられていました」

富山県砺波市で生まれ育った心誠君。
「市の花」になっているチューリップが大好きで、4年生の夏休みの自由研究にしようと前年の秋に球根を植え、水やりなどの世話を続けていました。

もう1つ、心誠君が取り組んでいたのが日記です。
小学校から帰ってくると、その日の出来事を母親に話しながら日記をつけていたといいます。

(2019年4月19日の日記)
「今日スイミングに行くと中、チューリップ畑がありました。つぼみが多かったけどさいているものもありました。黄色、赤、ピンク、白、オレンジ、ムラサキ色がカラフルできれいでした。ぼくの心は春の色になりました」

そして、2019年5月4日。
福井県にある祖父母の家に遊びに出かけていた心誠君は、いとこたちと楽しく遊んだ1日を振り返っていました。

「今日福いのおじいちゃんとおばあちゃんの家にいきました。福いのおじいちゃんおばあちゃんのペットの犬と遊びました。次に宿題をお父さんとやりました。終わるころに、いとこが来ました。カードゲームをしました。次にゲームをした後にいとことドッジボールをしました」

そして、日記の最後をこう締めくくっていました。

「あしたはもっと楽しくなるといいです」

突然、車が逆走してきた

その日の夜。
1人暮らしをしていた大学生の兄に会いに行くため、心誠君は、両親、姉とともに車で京都へと向かいました。

日付が変わった5日、午前1時ごろ。
大津市の国道を走行中、ハンドルを握っていた心誠君の父親の目に逆走してくる対向車がうつります。
父親はブレーキを踏みながらとっさにハンドルを切りましたが、よけきれません。
対向車は心誠君の乗っていた運転席側の後部座席に突っ込んできました。

※画像は事故現場付近

助手席で仮眠をとっていた母親は、強い衝撃と大きな音で目が覚めたといいます。

(母親)
「車の中は割れたガラスでいっぱいで、事故が起きたのは分かったんですけれども、何が起きたか分かりませんでした。息子の様子を見て何とかしなければと思ったのですが、呼びかけることしかできなかったです。ここがどこかも分からない、本当に途方に暮れました」

心誠君は頭を強く打って病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。
こどもの日に起きた事故で、心誠君の“あした”は奪われました。

「酒を飲んでいました」

事故から4日後。
父親の携帯電話が鳴りました。

電話をかけてきたのは、逆走してきた車のドライバー。
相手は、両親が思いもしなかったことを告げたといいます。

「オーナーと酒を飲んでいました」

※画像はイメージ

5月4日の夜。
相手のドライバーは、自分が支配人を務める宿泊施設のレストランとスナックで、勤務先の社長と一緒に酒を飲んでいました。

そして、そのまま社長を京都市内に送り、その帰りに事故を起こしていました。

(父親)
「飲酒運転だったと聞いた時は、もう許せないという思いでした。子どもである心誠がシートベルトをして、しっかりルールを守っていた。それなのに法律を守らないいいかげんな大人に命を奪われ、激しい怒りの気持ちでいっぱいでした」

検察は、アルコールの影響で正常な運転が困難な状態に陥って事故を起こしたとして、相手のドライバーを危険運転致死の罪で起訴しました。

争われる“危険運転”

事故からおよそ1年。裁判が始まりました。
量刑がより重い危険運転致死が成立するかが争点となりました。

ドライバーは、事故直後の警察の聴取に対しビールとウイスキーをそれぞれ3杯ずつ飲んだと供述していましたが、裁判では、ビールは1杯あまり、ウイスキーは1杯程度だったと主張しました。
その上で、ドライバー側はアルコールによる運転への影響はなく、事故の原因は居眠りで、危険運転致死ではなく、過失運転致死と道路交通法違反にあたると主張しました。

事故の原因はアルコールか。居眠りか。

検察側とドライバー側、双方の主張が対立する中、裁判官が実際に車に乗って道路状況を確認する異例の現場検証も行われました。

“あしたは来なかった”

裁判の終盤、両親は被害者参加制度を使って法廷で意見を述べました。

(母親の意見陳述)
「死んだ人は戻ってこないし時間も戻らない。そんなことは心誠が死んでしまう前から知っていました。それでも何度も何度も、毎日毎日願ってしまう。何度祈っても、願っても、唱えても、念じても心誠は戻ってこない。時がたつほどその現実を突きつけられるばかりです。5月4日、心誠が人生の最後に書いた日記には、『たくさん遊んで楽しい1日だった』と書いてありました。最後は、『あしたはもっと楽しくなるといいです』と締めくくられていました。心誠にあしたは来なかった。かわいい心誠。骨になってしまった」

父親も「ドライバーが飲酒運転さえしなければ事故は発生せず、心誠の未来が奪われることはなかった」と訴えました。

認められた“危険運転”

2021年12月21日。
大津地方裁判所で判決が言い渡されました。

裁判長は
「被告は対向車線に進出すると同時に一気に加速し、逆走を続けるという危険な運転行為を継続した。対向車線に出る必要性もない中、対向車両と衝突して死傷結果を伴う事故を起こす危険のある運転行為を選択する判断は明らかに不合理であり、その原因はアルコールによる思考・判断能力の低下の影響によるものとみるのが自然である」などとして危険運転致死の成立を認め、懲役4年の実刑判決を言い渡しました。

判決のあと裁判長はドライバーに対して次のように語りかけました。

「自分の大切な人を事故で失ったらどう思うのかを考え、その立場に立って向き合い、本当の意味で反省を深め謝罪してほしい」

滋賀県民の“あした”が守られるように

事故から4年余りたった、ことし6月。
両親は、裁判が終わってから初めて大津を訪れました。

ほかの交通事故遺族との交流を通して、自分たちの経験や思いを伝えたいと考えるようになったという両親。
初めての講演の場として選んだのは、4年前の事故の捜査を担当した大津北警察署でした。

両親は飲酒運転撲滅への思いを訴えました。

(父親)
「皆さんにも大切な人がいると思います。大切な人がこの世から突然いなくなるという想像をすることは難しいです。実際にいなくならないとこの苦痛は理解できません。ストレスに圧倒されて心がコントロールできなくなってしまいます。もう平穏な精神状態には戻れません。こんなひどい目に遭う人がこれ以上出てほしくありません。これ以上被害者をうまないためにも、引き続き飲酒運転の取り締まり強化をお願いします」

母親は、墓参りに来ていた心誠君の友人と会ったときのことを語りました。

(母親)
「ことしの5月5日。お墓の前で心誠の大親友と会いました。(心誠君と)双子のように並んでゲームをしていた130センチぐらいの身長は、165センチになって私を追い越していました。本当なら心誠は今ごろ何センチになっていたのだろうか。
部活帰りの(別の)友達も心誠のお墓に寄ってくれました。心誠はどんな部活を選んでいたのかな。本当はきょう部活だったのだろうか。本当はきょうどんな日だったのだろうか・・・。答えのない問いかけを毎日繰り返し、悲しみは降り積もるばかりです。子どもを失った悲しみに薬などないのだと、時間がたつたびに突きつけられる思いです」

そして、署員に向けてこう続けました。

「でも、悲しみ続けるだけなのはもう嫌なのです。私は事故現場で皆様の働きをこの目で見ました。皆様ならきっと、きっと飲酒運転を撲滅できると私は信じています。皆様の本気を滋賀県の方に知らしめてほしい。そして全国へその思いを伝ぱさせてほしい。心誠の日記には、あしたはもっと楽しくなるといいですと書いてありました。滋賀県民のあしたが守られますように。滋賀県民が安全に暮らせますように。どうか皆様よろしくお願いします」

初めての講演を終えた両親は、今後も自分たちの体験を伝えていくと話しました。

「私たちはあの事故で死んでいたかもしれない。息子が残した“あしたはもっと”ということばのためにも、何でもやらなくてはいけない。埋もれさせてはいけない」

ことしも咲いたチューリップ

心誠君が大切に育てていたチューリップ。
いちごのような鮮やかな色が特徴の品種で、「いちごスター」と名付けられています。
事故後は両親が球根を株分けしながら育ててきました。

株分けされた球根から花が咲いたことしの春。
母親は、事故の前から親交のあった近所のいちご農家の協力を得て、心誠君の好きだったバターといちごを組み合わせたジャムを開発しました。

商品のロゴには、心誠くんの大好きだった「いちごスター」が描かれています。

(母親)
「心誠はバターが溶ける香りが大好きでした。朝起きて機嫌が悪くても、バターが溶ける香りがすると、早く朝ご飯が食べたいとささっと身支度を済ませ、朝ご飯をもりもり食べながら早く自分もお弁当を持って高校に行きたいと言っていました。いちごバターを作るたび、バターを溶かすたび、まるで心誠が生きていた頃のような気持ちになります」

誰かの“あした”を奪う可能性のある車の運転。
コロナ禍前のように飲酒の機会が増えつつある今、ハンドルを握るすべてのドライバーに改めて安全運転への自覚が求められています。