番組のエッセンスを5分の動画でお届けします
(2023年11月12日の放送内容を基にしています)
人知れず命が失われている場所があります。地中海を隔てヨーロッパと向き合う、チュニジアの港街。
漁師「3日で15の遺体を引き上げた。もう数えることはやめたよ」
ヨーロッパを目指す人々を乗せた船がたびたび遭難。今年(2023年)すでに、2000人以上の死者や行方不明者が出ています。
シリーズ混迷の世紀。第12回は、難民の保護を巡って大きく揺らぐ、人道主義のゆくえです。
紛争や迫害などから、祖国を逃れる「難民」。その命を救おうと、先進国を中心に国際社会が積み重ねてきたのが、人道主義に基づく難民保護の取り組みでした。
元国連難民高等弁務官/緒方貞子氏「人間の尊厳を全うするために、あらゆることをして守らなきゃいけない」
しかしいま、その理想は、かつてない試練にさらされています。
世界で絶え間なく続く、紛争や内戦。ウクライナでは、ロシアによる軍事侵攻が始まってから1年間で、国民のおよそ3分の1が国内外へと逃れました。
さらに、気候変動による災害や飢餓から逃れる人々も急増。その正確な数は分かっていません。
一方、欧米諸国は、これまで以上に自国の利益を優先する姿勢に傾き、危機に対応できずにいます。
イギリス/ジョンソン首相(当時)「私たちの思いやりは無限だが、 人を救う能力は有限だ」
混迷の時代、安住の地を求めさまよいながら、見捨てられる人々。
世界が築き上げてきた「人道主義」は、もはや限界を迎えているのでしょうか。
河野憲治キャスター「紛争や迫害によって、故郷を追われる人々。その数はいま、“難民の世紀”とも言われた20世紀を大きく上回り、この10年間で3倍近くに急増。ことし(2023年)過去最も多い1億1千万人を超えました」
河野キャスター「その一方で、これまで人道主義に基づいて難民を保護してきた先進国では、受け入れを厳しく制限する動きが目立っています。アフリカなどから地中海を渡り、ヨーロッパを目指す人が急増するなか、イタリアでは滞在資格の認定を厳しくし、強制送還も可能にする法律が制定されました。デンマーク政府は、内戦が続くシリアから逃れてきた難民の一部について、居住認定を取り消し、そのシリアに送還する方針を打ち出しました。さらに、ヨーロッパで最大の難民の受け入れ国ドイツでも10月、受け入れに一貫して反対している右派政党が地方選挙で得票を大きく伸ばし、今後の難民政策にも影響が出るとみられています。そしていま、難民に対して特に厳しい姿勢に転じているのが、イギリスです。難民を巡って、何が起きているのか。その最前線を取材しました」
<「難民申請者」急増で揺れるイギリス>
これまで多くの難民を受け入れてきたイギリス。いま政府は、次々に厳しい難民政策を打ち出しています。
2023年3月、密航など非正規な方法で入国した人々について、保護の申請を一切受け付けないとする、新たな法案を議会に提出。激しい議論となりました。
イギリス内相「イギリスに不法入国すれば拘束され、速やかに国外追放されると知らせなければ、彼らはここに来るのを諦めないだろう」
この1年前には、非正規の方法で入国した人々を、およそ6500キロ離れたアフリカのルワンダに強制的に移送する政策も発表していました。厳しい政策を推し進める政府に対し、野党は非人道的だと反発。対立が続く中、法案は僅差で可決されました。
難民の受け入れをめぐっては、国民のあいだでも激しい論争が起きています。
その現場のひとつ、ウェールズ地方の町・ラネリ。人口3万ほどの、のどかな観光地です。2023年、この町の4つ星ホテルを国が借り上げ、保護を求める人々の収容施設にする計画が報じられました。
この日は、計画に反対する町の住民と、町の外からやって来た人権団体との間で、激しい口論が起きていました。
反対派「あんたの町で受け入れているわけではないだろう。あんたの言うことは信用できない」
賛成派「難民の何が問題なの?」
反対派「あんたたちはどうせいなくなるんだろう。なぜ残らない?移民は大歓迎だと言ったじゃないか」
賛成派「海を渡ってくる難民申請者の80%は、戦争や迫害から逃れてきた」
反対派「くだらない。うそだ!」
<受け入れ反対する住民たちの不安>
難民の受け入れを巡り、混乱が広がるイギリス。かつては、人道主義を掲げるヨーロッパの大国として、難民や移民を多く受け入れてきました。
植民地だった国々の出身者を中心に、いまや外国生まれの住民は人口の約15%。外国にルーツを持つ首相や閣僚も現れています。
そのイギリスで、なぜいま難民を受け入れることへの抵抗が強まっているのか。背景にあるのが、難民として保護を求める人の急増です。去年(2022年)は過去最高の8万人以上に達しました。
さまざまな理由で国境を越える移民のうち、紛争や迫害から逃れ、保護が必要とされるのが難民です。イギリスなど150か国近くが参加している難民条約は、各国が人道主義に基づいて、難民を保護しなければならないとうたっています。
各国の政府は、保護を求める人について、入国の方法を問わずに申請を受理。その後、審査を行い「難民」と認めれば、滞在資格を与えます。
イギリスでは、審査を待つ人の数が急増し、国の負担が増す中、難民受け入れのあり方自体が大きな議論を呼んでいるのです。
ラネリのホテル前では、住民が連日泊まり込んで抗議活動を行っていました。その発起人のひとり、ロバート・ロイドさんは30年以上この町に住んでいます。長年、地元紙の記者をしていたロイドさん。人道主義に基づく難民保護の必要性は理解しているといいます。それでも反対しているのは、このホテルがなくなれば、町の基幹産業である観光業が大きな打撃を受けるためです。ホテルが収容施設にされるにあたって、地元の従業員、およそ100人が失業したと言います。
さらに、イギリス全体で難民申請者の収容に、年間およそ6800億円の予算が投じられていることに疑問を感じていると言います。
治安の悪化も懸念しています。犯罪組織が「不法移民」を使って、薬物取引や人身売買などを行い、その規模は年々拡大しているのです。
難民申請者の中にも犯罪者が紛れ込んでいるのではないか。ロイドさんたちは不安を感じています。
ロバート・ロイドさん「住民はホテルを取り戻し、不法侵入や犯罪を防止したいだけなのです」
<「不安」から「憎悪」へ 過激化するラネリ社会>
こうした住民たちの不安をさらにかきたてるような動きも起きていることがわかってきました。
この日、イギリス各地からラネリに集まって来ていたのは、右派政党の支持者たち。ホテルに収容される難民申請者は、「難民」ではなく「不法移民」だと主張し、排除を呼びかけていました。
右派政党支持者「彼ら(難民申請者)は街やビーチをたむろするでしょう。受け入れられません。あなたのひ孫のためなのです」
さらに、ネット上でも真偽不明な情報が出回っていました。
住民たちが見ていたのは、極右的な主張を掲げるネットメディアです。ヨーロッパは、難民による「侵略」を受けているのだと、繰り返し発信。一部のエリート層による陰謀だとする言説まで、拡散していました。
いつしか住民たちは、難民申請者への憎悪すら、口にするようになっていました。
住民「私たちは止めることができないのだから、それが侵略というものだ」
住民「彼ら(難民申請者)が何者なのか分からない。レイプ犯や殺人犯かもしれない」
<難民政策にまで影響しうる極右的言説>
過激な言説が加速させる、反難民感情。ネットを通じ、国の難民政策にまで影響を及ぼしかねない実態もみえてきました。
ロンドンにあるこの研究機関では、難民をおとしめる偽情報やヘイトスピーチを広めていたSNSのアカウントを調査しました。反難民的な投稿に対し、コメントや拡散をしたアカウントを特定。やりとりが多かったアカウントを近づけるように配置しました。こうして、英語圏のおよそ3000のアカウントを分析した相関図です。青や緑、オレンジの部分は、アメリカやイギリスなどの、極右的な主張をするグループです。
研究機関が注目したのが、そのすぐ側にある黄色の部分。ジョンソン元首相など、与党の主流な政治家の支持者を中心とするグループです。極右系のアカウントと盛んにやり取りしていたことが判明。反難民の主張が、保守層にも広く浸透している可能性が見えてきたのです。
ISD研究責任者/ジェイコブ・デイビーさん「過激な主張をするアカウントと、国内政治に関心を持つ一般的なアカウントとの間に結びつきがありました。過激なグループが主流政党の支持者に近づき、彼らを先鋭化させる可能性があることが分かったのです。主流な政治的言説が、過激なグループからの影響を受ける可能性を示す、注目すべき動きです」
<過去受け入れられた難民が抱く危機感>
イギリス社会は、かつての寛容さを取り戻すことはできないのか。
この日、ひとりの難民の男性が、ラネリのホテルの前で抗議する住民たちと対話を試みていました。17年前、難民認定を受け、ウェールズで暮らしてきた、マックス・クパキオさんです。
住民男性「あなたは黒人の権利を主張しに来たのか?」
クパキオさん「そうではなくて、ここに来たのは・・・」
住民女性「私たちが人種差別主義者だと思って来たの?」
クパキオさん「ここに来たのは、彼らの考えを知りたかったし、もしかしたら、私の話を伝える余地があるかもしれないと考えたからです。何人かでも考え直して、過激なことばを使うのをやめてくれることを願っています」
幼い頃に患ったポリオの後遺症に苦しみながら、イギリスで事務員などの仕事をしてきたクパキオさん。結婚し、3人の子どもを育てあげました。今も、同じ難民の友人たちと支え合いながら暮らしています。
クパキオさんは、西アフリカのリベリア出身。厳しい暮らしの中でも両親に支えられ、勉学に励む少年でした。しかし12歳のとき、内戦が勃発。家族と離ればなれになり、身を寄せていた親族も目の前で殺害され、23歳の時、国外へ逃れることを決意したといいます。
クパキオさん「リスクを取ろうと思ったんです。もう銃声を聞くのも死体を見るのも、目の前で誰かが殺されるのを見るのにも疲れてしまったのです。当時『僕にはまだ生きる価値がある』と、自分に言い聞かせていたのだと思います」
難民として認定されるのか。不安な日々を支えてくれたのが、地元・ウェールズの人々でした。
中でも、実の家族のように接してくれたのが、ジェフ・バンスさんとジェニーさんの夫婦です。教会で出会ったクパキオさんを自宅に食事に招き、その後も見守り続けてくれたといいます。
クパキオさん「彼は僕の実父の代わりをしてくれたのです。人間には他者を思いやることや、話に耳を傾けること、そして相手を助けることができると教えてくれました」
長年ウェールズで暮らし、中学校の教師をしてきたジェフさんとジェニーさん。クパキオさんと出会うまで、難民申請者と接したことがなかったというふたり。手を差し伸べたのは、ごく自然な思いからだったと言います。
ジェフさん「もしも私たちの子どもが彼のような境遇に置かれたとして、助けてくれる人がいたら、どれほどうれしいだろうと思ったのです」
ジェニーさん「私たちが彼を通して知ったのは、難民をひとりの人間として考えなくてはならないということでした。人の苦しみがそこにあるからです」
10月。ラネリでは、抗議活動が過激さを増す中、ホテルを収容施設とする計画は撤回されました。
不寛容な空気が広がるイギリス。クパキオさんは、この国に来たばかりの頃に感じていた苦しみを、思い起こしていました。
当時書いた詩があります。
「自分が誰でもない存在のように感じる。皆に嫌われているような。でも彼らは僕のことを知らない。彼らは僕たちをインチキ難民申請者だと呼ぶ。ただの寄生虫、病気の運び屋だと呼ぶ。でもそれは僕ではない。僕たちではない。彼らに伝えたい。僕は新聞に書かれているような存在ではないと。僕は自分が誰でもない存在のように感じる」
クパキオさん「いま起きていることは『この国は困っている人を助けない』と、世界に向けて言っているようなものです」
<難民保護の歴史>
人道主義に基づく難民保護の取り組みは、ヨーロッパ各国で行き詰まりを見せています。
難民保護の必要性が国際的に認められるようになったのは、今から100年ほど前のことです。当時、ロシア革命や第一次世界大戦の混乱で、故郷を追われた多くの人々が、誰の保護も受けられないまま、命を落としていました。そのとき初めて、難民への支援が呼びかけられることになったのです。
そして1951年、2度の大戦で多くの難民を救えなかったことへの反省から誕生したのが、“難民条約”です。当初保護の対象として想定されていたのは、主にヨーロッパの共産圏から逃れてくる人々でした。しかしその後、世界各地で紛争が相次ぎ、故郷を追われる人々は、増加の一途を辿っていきます。
<岐路に立たされるUNHCR>
増え続ける難民を保護するため、国際社会の先頭に立ってきたのが、UNHCR=国連難民高等弁務官事務所です。
第11代難民高等弁務官を務めるフィリッポ・グランディ氏は、世界中の紛争地や被災地に足を運び、難民の保護や、安全な帰還を支援する活動をすすめています。
国連難民高等弁務官/フィリッポ・グランディ氏「難民の移動の主な原因は、今も変わらず紛争です。新たな危機が次々に生じ、古い危機も解決されないままです。しかし問題は難民の数の多さではなく、政治状況が困難であるということです」
UNHCRは、ときに各国と政治的な交渉を行い、難民の保護を実現させてきました。なかでも注目を集めたのが、湾岸戦争のときです。イラク政府による迫害を逃れた180万人以上のクルド人が、隣国トルコやイランとの国境に殺到しました。しかし、トルコ政府が入国を拒否したため、およそ40万人が国境を越えられないまま、命の危険にさらされました。
この時、救済に乗り出したのが、難民高等弁務官だった緒方貞子氏です。国外に逃れていないことから、難民としての保護の対象とされていなかった、こうした人々のためにキャンプを設営。さらに、イラク政府による弾圧から守るため、アメリカ大統領に直談判し、軍の支援を求めたのです。
緒方さんの特別補佐官を務めていたグランディ氏。先進国で、自国の都合を優先する動きが強まるなか、人道主義に基づく保護政策は、岐路に立たされていると感じています。
国連難民高等弁務官/フィリッポ・グランディ氏「緒方さんの時代には、国際社会の結束がありました。私たちがいま目にしているのは、様々なグループや利害関係、そして対立による分断です。 世界中の国々が、自国を優先して閉じこもっている様子を緒方さんが見たら、ゾッとすることでしょう。それは災難を生み、反道徳的で、政治的にも無益です。このままでは、私たちは大きな危機に対処できません」
国連難民高等弁務官/フィリッポ・グランディ氏「人道主義の理念、すなわち命を救うこと、難民を保護すること、正しい解決策を見つけること。こうした役割は何があろうと、政治情勢がどうなろうと変わりません。方法を変える必要がありますが、根底にある理念は決して変わらないのです」
<打ち出された衝撃的な政策 ルワンダ移送>
岐路に立つ、先進国の難民保護の政策。
いまも波紋を広げているのが、2022年イギリスが打ち出した、難民申請者を強制的にルワンダに移送する政策です。2022年以降に、非正規の方法で入国した「難民申請者」の一部を受け入れず、ルワンダに移送。ルワンダはおよそ222億円の資金援助と引き換えに、難民認定を審査。5年間、生活する場所などを提供するというものです。
イギリスは、難民受け入れの負担を減らすだけでなく、危険な航海を諦めさせる”人道的な政策”だと主張しています。
イギリス/スナク首相「この法律は家族連れにも適用される。さもなければ、子どもを連れて非常に危険な越境をするからだ」
これに対しUNHCRは、保護を求められた国が、みずから難民を受け入れるという難民条約の精神に反するものだと批判しています。
<ルワンダ移送に不安抱える当事者たち>
2022年6月、イギリス政府は難民申請者たちをルワンダに移送しようと、飛行機に搭乗させます。そのとき機内から、悲痛な叫びが届きました。
「あああ、アッラーよ!いやだ!いやだ!いやだ!」
難民支援団体代表/ダシュティ・ジャマルさん「『僕は人間だ。そんなことしないでくれ』と泣き叫んでいました。彼はその後、力ずくで押さえつけられたと話していました」
結局、離陸直前にヨーロッパ人権裁判所の介入で、移送は差し止めに。しかし、政府はいまも移送の正当性を主張し、裁判が続いています。ジャマルさんは、難民申請者たちの希望を打ち砕く政策だと、憤りを感じています。
ダシュティ・ジャマルさん「この政策は非人道的です。これは民主主義ではなく偽善です」
<強制移送政策 ルワンダの思惑とは>
異例の移送政策は、なぜ合意されたのか。
経済成長が著しい、人口1300万のルワンダ。かつて、民族間の対立から起きた虐殺により、80万人が犠牲となったほか、200万人の難民が発生しました。
しかし、平和を取り戻した今、難民を受け入れる側になりました。政情不安が続く、隣国のコンゴ民主共和国やブルンジなどを中心に、およそ13万人を受け入れています。
ひときわ手厚く迎えられている人たちがいました。戦闘が続くスーダンから逃れてきた医大生たちです。かつての内戦の影響で医師が不足するなか、彼らを受け入れ、医療現場に配置しています。
一方、難民の扱いを巡っては、懸念も指摘されています。5年前には、難民キャンプで起きた処遇の改善を求めるデモに、警官が発砲。12人が亡くなりました。
ルワンダ政府の報道官は、難民や移民の受け入れを国の成長に役立てたいと、語りました。
ルワンダ政府報道官/ヨランデ・マコロ氏「この国には医師が必要です。あらゆる分野で熟練した人材が必要です。彼らがこの国が必要とするスキルを持ち、ここにいたいのであれば、大歓迎です。彼らにとっても有益ですし、最終的には我々にとっても有益なのです」
イギリスとの合意については、両国の国益にかなった合理的なものだと主張しました。
ルワンダ政府報道官/ヨランデ・マコロ氏「私たちには正当な理由があります。イギリスは難民を受け入れたくない。そして私たちが面倒を見るには資金は必要です」
ルワンダと合意した移送政策。その受け止めについて、イギリスの世論は二分しています。2023年6月に行われた調査で、政策に「賛成」と答えた人は全体の4割程度。少なからぬ人たちが、合理的な解決策だと評価しているのです。
<国益優先は何をもたらすのか>
UNHCRのグランディ氏は、一貫してこの政策を批判してきました。
国連難民高等弁務官/フィリッポ・グランディ氏「完全に間違っている。イギリスは『人々を危険な渡航から守るため』と言う。私には信じられない。確かに危険な旅から人々を救うのは素晴らしいが、これが正しい方法なのか?それが本当の動機なのか?私はそうは思わない」
グランディ氏はこの政策によって、これまで築き上げられた難民保護の原則が、崩れかねないという危機感を抱いています。
世界の難民・避難民の8割近くは、近隣の発展途上国に留まり、厳しい環境に置かれています。
先進国であるイギリスが、難民保護を他国に肩代わりさせるようなことがあれば、世界中が追随してしまうおそれがあるというのです。
国連難民高等弁務官/フィリッポ・グランディ氏「裕福な国が難民を受け入れなければ、貧しい国は『なぜ我々がこの負担を引き受けなければならないのか』と言うでしょう。各国が責任を分かち合うことは、とても重要です。さもないと不均衡が生じ、原則が崩れてしまうのです」
<知の巨人 テンダイ・アチウメ>
かつてない危機を乗り越えるためには、何が必要なのか。
カリフォルニア大学教授で、ザンビア出身のテンダイ・アチウメ氏は、故郷を追われる人々の境遇を、先進国が理解し直すことが重要だと指摘します。
カリフォルニア大学・ロサンゼルス校/テンダイ・アチウメ教授「国境の警備を厳しくし、苛烈な政策を導入しても、人々の移動は止められません。それは難民たちを取り巻くのが、完全な絶望だからです。 今も昔も、人々が故郷にいられなくなる原因を作り出しているのは、欧米などの先進諸国です。気候変動の原因をとっても、欧米諸国が植民地時代にグローバルサウスで行った資源の搾取にさかのぼります。つまり先進国はみずからが引き起こした原因によって、移動を強いられる人々を締め出そうとしているのです」
河野キャスター「“移民や難民のせいで生活が厳しくなっている”という考え方が広がっています。この傾向が続くとどうなるのでしょうか?」
テンダイ・アチウメ教授「先進国が国境を守るために、暴力的な政策を続ければ、みずからの核心だとしている基本原則を、失ってしまう可能性があります。それは、人命や自由を尊重するという民主主義の原則です。日本に住むみなさんも、先進国の一員として、故郷を追われる人々のことを考えるべきです。たしかに難民を受け入れることの負の影響はあるかもしれませんが、受け入れの仕組みを十分に整えれば、影響は最小限に抑えられるはずです。そしてその責任を担うべきは国家なのです」
<難民を“受け入れる”ことの意義>
難民の受け入れを巡り、混乱が広がるイギリス。先行きが見えないなか、リベリア出身の難民、マックス・クパキオさんはこの日、地元ウェールズの人たちに思いを伝えたいと、イベントを開きました。
マックス・クパキオさん「皆さんに感謝しています。リベリアの内戦から逃れてきたころは、本当に試練の連続でした。でも、ここに来て、あなたたちは僕たちを迎え入れてくれたのです。居場所を手に入れられたと感じました」
会場には、クパキオさんを家族のように支えてくれたジェフさんと、ジェニーさんの夫婦もやって来ました。
クパキオさん「ふたりは僕を“息子”にしてくれたんです。いつも故郷の人たちに、イギリスでもう一組の両親に出会えたと話しているんです」
ジェフさん「彼のような人と出会い、地元の生活に溶け込み、成長していく姿を見られたことは、すてきな経験でした」
かつて、人道主義を掲げ、難民保護への理解を世界に広げた緒方貞子氏。
「難民を守っていくことが、世界の平和にもつながっていく」と、内向きな思考に陥らないよう警鐘を鳴らし続けました。
緒方貞子氏「様々な対策・支援、それをどこまできちっと国際社会が見ていくかってことだと思います。社会の安定を見ないと、国家の安全は確保できない。自分の安定にもかかわってくる」
これまで掲げてきた人道主義の理想から遠ざかり、不寛容になりつつある世界。
いま、1億1000万人が安住の地を求めて“漂流”しています。
人々の命や尊厳を軽んじた先に未来はあるのか。
その問いと向き合う時がきています。