「ただ戦争の終わりを待つのではなく、日本で成長して可能性を広げたい」
ウクライナから避難し大津市の温泉旅館で働く、ある女性の言葉です。
ロシアによる侵攻が始まってから1年半。
子どものころから日本を訪れることを夢見ていた女性は、避難という思わぬ形で来日することになりました。
そして今、日本で見つけた新たな目標に向かって、一歩を踏み出そうとしています。
その姿を追いました。
(NHK大津放送局 記者 秋吉香奈)
《旅館の顔を務めるウクライナ人女性》
大津市・雄琴の温泉旅館で、旅館の顔であるフロントスタッフとして働くウクライナ人女性がいます。
マリナ・コワルディナさん(33)です。
マリナさんはことし3月にウクライナから日本へ避難し、5月からこの温泉旅館で働いています。
担当する仕事は客室のチェックやレストランでのサービス、客の出迎えなど。
同僚とは、英語と勉強中の日本語でやりとりしています。
「お疲れ様です。荷物をお持ちします」
「どうぞこちらへおかけ下さい」
マリナさんは次々と訪れる客に丁寧に声をかけていきます。
マリナ・コワルディナさん 「旅館では伝統文化やホテル関連の用語が多く、それがいちばん難しかったです。それでも、日本語の勉強をしながら働くことができて楽しいです。同僚ははじめからみんな優しくて、同じことを何度も聞くこともありましたが、イライラする様子も見せず、丁寧に対応してくれます。とても働きやすいです」
周りのスタッフも、マリナさんの明るい性格や勉強熱心な姿勢もあり、仲間として温かく迎え入れています。
マリナさんの同僚 「ニュースでウクライナの状況は知っていたので、マリナさんを迎えるときは少し構えてしまったのですが、本人はすぐになじんでいました。どんどん新しいことを取り入れてくれていると思います」
《子どものころからずっと憧れてきた日本》
マリナさんが日本に興味を持ったのは、子どものころに見たアニメがきっかけでした。大事にしていたグッズのほとんどはウクライナに残してきたというマリナさん。私たちに日本で買った数少ないフィギュアを見せてくれました。
マリナ・コワルディナさん 「初めてアニメを見たのは9歳のころです。『セーラームーン』をよく見ていました。 故郷のハルキウでは毎年、アニメと漫画のお祭りがあって友達と出かけていました」
アニメをきっかけに書道や生け花など、日本の伝統文化にも興味を持つようになったマリナさん。大学などで日本語を学び、卒業後も勉強を続け、日本語能力試験で、日常会話がある程度理解できるレベルとされる「N3」に合格しました。
旅館の仕事が休みだったこの日、マリナさんはほかの避難民ともに大津市の三井寺を訪れていました。
マリナさんが日本に来てから新たに始めたのが御朱印集めです。
マリナ・コワルディナさん 「人生で初めての御朱印です。見た目もとても素敵で気に入っています。書道、生け花、茶道などの伝統文化に接すると気持ちが落ち着きます」
《侵攻ですべて変わった 思いがけず日本へ》
日本の文化に憧れを抱き、いつの日か日本を訪れることを夢見ていたマリナさん。
しかし、去年2月に突然始まった侵攻で生活は一変してしまいました。
マリナさんが暮らしていたウクライナ東部のハルキウ州は、ロシアとの国境に接していて、侵攻が始まるとすぐに激戦地となりました。
マリナ・コワルディナさん 「戦場は自宅から1.5キロから2キロ先にありました。私の住んでいた地域にはたくさんの砲撃があり、大きな被害を受けました。働くことができなくなり、友達とも連絡が取れず、日常は失われて、すべてが悪くなりました。戦争が始まってからはなんとか生き残って生活しなければならず、日本語を勉強する時間も意欲もありませんでした」
マリナさんは侵攻が始まってからしばらくして、故郷のハルキウ州を出て、ウクライナ西部の都市・リビウに避難。
しかし、避難先のリビウでも停電が続き、家賃は高騰するなど、数々の困難が待ち受けていました。
新しい仕事も見つけることができず、マリナさんは国外への避難を考え始めました。
そうしたなかで、SNSを通じて大津市の企業が避難民を受け入れているのを知り、マリナさんはすぐに申し込みをしました。
企業の担当者とオンラインで面談を重ね、この企業に身元保証人になってもらい、ことし3月に日本へ避難してきました。
《日本の魅力伝えたい》
日本で自立した生活を送ることを希望していたマリナさん。
身元保証人の企業が就職先を探したところ、手を挙げたのが現在働いている旅館の専務でした。
温泉旅館 高野健一郎 専務 「避難民というのを外しても、全然ちゅうちょなくオーケーを出しました。昨今のインバウンド事情を考えると、語学力だとそういう部分には期待できる部分があると思います」
取材に訪れたお盆前のこの日。
旅館にはフランスやアメリカなどから5組の外国人客が訪れていました。
マリナさんは得意の英語で接客します。
外国人に日本の魅力を伝える旅館の仕事にやりがいを感じているといいます。
日本に来てから、マリナさんはある将来の目標を抱くようになりました。
マリナ・コワルディナさん 「将来は翻訳、特に通訳の仕事につきたいです。日本の文化や伝統が好きなので、そうした海外の人が知らないことを紹介して旅行がいい思い出になるように頑張りたいです」
10月からは日本語学校に入学することになったマリナさん。
日本語能力試験で最難関の「N1」合格を目指します。
ウクライナには今も家族や友人が残り、不安は尽きません。
それでも遠い日本の地で、夢に向かって新たな一歩を踏み出そうとしています。
マリナ・コワルディナさん 「ウクライナにいたときは生き残ることが最優先でした。そのような状態を続けていくのは難しいです。私が日本に来たのはなんとか生き残って戦争の終わりをただ待つだけでなく、自分を成長させ可能性を広げるためです。日本語学校でレベルの高いコースを受講できることになり幸せです。とても楽しみです」
《取材を通じて 日本で希望を持てるように》
先の見えないウクライナの状況に不安を抱えながらも、
日本で目標に向かって成長したいという強い思いを持つマリナさん。
戦闘が長期化するなか、マリナさんのように日本で身の安全を確保するだけでなく、
将来を思い描こうとしている人も少なくないと思います。
日本で暮らすウクライナからの避難民1000人あまりに避難生活について尋ねたアンケートです。
「ウクライナの状況が落ち着くまではしばらく日本に滞在したい」、または「できる長く日本に滞在したい」と答えた人は、あわせて72.5%にのぼりました。
また、自由記述の中には「日本語を学び専門のスキルを新たに身につけて、将来は日本とウクライナの両方の役に立ちたい」と回答している人もいました。
侵攻から1年半。ウクライナから避難してきた人たちが、日本で将来への希望をもって生活していけるよう、息の長い支援が求められています。
ウクライナからの避難民を支援している「日本財団」は、日本語を学び就労したいという人に年間で最大100万円、最長2年間の奨学金を給付。
マリナさんもこの奨学金を活用していて、旅館で働きながら日本語学校へ通い通訳を目指します。
戦闘が長期化するなかでもひとりひとりがウクライナに関心を持ち続け、支援の輪が広がっていくことが大切だと思いました。