地球温暖化は疑う余地がない―江守正多さんが語る“人類の分岐点”【博士の20年】

NHK
2023年3月1日 午前8:00 公開

もはや“常識”となった「地球温暖化」の問題ですが、はるか以前から警鐘を鳴らし続けてきた研究者がいます。国立環境研究所の気候科学者、江守正多さんです。日本の地球温暖化の予測研究の第一人者であり、世界中の専門家が集まる気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次・第6次評価報告書の主執筆者の1人でもあります。

研究論文にとどまらず、一般向けの解説書を執筆したり、様々なメディアへ出演したりして、社会にわかりやすく地球温暖化問題を発信しています。「今、人類は文明の分岐点に立っている」という江守さんに、地球温暖化研究の20年、そして今後、地球の温暖化がもたらす未来について伺いました。

地球温暖化はどれくらい進んだのか?

――この20年を振り返ると、地球温暖化研究にとってどんな20年でしたか?

まず研究そのものよりも前に、「この20年で地球温暖化自体が進んだ」ことを言わないといけないですね。世界全体の平均気温で見ると、20年で0.4℃くらい上がっていて、それによるいろんな影響がより顕著になってきた20年と言えるんじゃないかと思います。

2001年に第3次IPCC(※1)の報告書が出てから、2021年の第6次報告書まで大体20年ですが、第3次報告書のときに、「人間活動が地球温暖化の主な原因である“可能性が高い”」と言われたんですね。それは「66%以上の可能性でそう言える」という評価だったのですが、その評価報告書が4次、5次ときて、6次でついに「人間活動の影響で大気、海洋、陸域が温暖化していることは“疑う余地がない”」と書かれるようになりました。これが1つ、象徴的な20年の変化だと思います。

その過程で、実際の温暖化自体が進んで、それがよりデータとしてはっきり見えてきました。温暖化が進んでいるかどうかは、年々、自然の変動に比べて、明らかに区別がつくぐらい上がっているかっていうことを見なくちゃいけないわけですけども、この20年で非常にはっきりと上がったなと感じています。

※1 IPCC…気候変動に関する政府間パネル。地球温暖化に関する科学的な知見を集約し、その影響や対策を評価・検討する枠組み。1988年の設立以来、数年おきに評価報告書が発行されており、2021年には第6次評価報告書が発行された。こうした活動が評価され、2007年にノーベル平和賞を受賞した。

――実際に地球温暖化が進んできてしまっているんですね。

そうですね。実は1998年と2000年にエルニーニョ現象(※2)があって、そこから2013年ぐらいまでは世界の平均気温があまり上がっていないように見えて、それで温暖化が止まったんじゃないかとも言われたんですよ。

しかしそのあとまたギューンと上がったので、ほらやっぱり上がってるじゃないかという話になりました。1度止まったように見えたけど、やはり上がっている、ということを確かに認識した20年でもありました。

※2 エルニーニョ現象…南米沿岸から太平洋にかけての海面水温が平年より高くなり、その状態が1年程度続く現象。エルニーニョが発生すると、日本では冷夏・暖冬となる。

地球温暖化とは結局、人類にとって「何」なのか? なぜ訴えるのか

――そうした発信を続けていく「原動力」には何があるんでしょうか?

やはり気候変動問題というのは、人類にとっての一大事で、その問題に専門家として関われるというのは充実感があります。今の時代に生きている人は、いわば「人類文明の分岐点」に生まれてきちゃった人になるわけですから。

――「文明の分岐点」とは?

アメリカのデビッド・ウォレス・ウェルズというジャーナリストが書いた『地球に住めなくなる日』という本があって、その翻訳のお手伝いと解説を書かせてもらったのですが、そのなかにすごく共感した部分があるんです。

「世界の全人類の運命が、ある一世代の行動にかかってる。こんなことはめったにないよ」

神話だったら、そういうお話の設定はあり得ますが、それが現実のものであるというのが、今われわれが生きているこの時代なんだということです。

実は温暖化の責任は、ほとんど「今、生きてる世代」にあるんですよね。というのも、温暖化の原因となっているCO2は、人類が産業革命の頃から排出し続けていますが、人類が歴史上排出したトータルの量の大体半分は、実は過去30年で排出されているんです。

昔の人もみんな責任があるような気がするけど、実は今の方が排出量はずっと増えてきてるわけです。僕は50過ぎなので自分が生きてる間に、たぶん、人類の排出量の7割とかそれぐらい排出されたんですよね。そう考えると身にしみて我々世代の責任だという感じがしますよね。

――そう考えると、次の20年は今この岐路をどの方向へ進むのか、によって大きく結果が変わる未来になりそうですね。

次の20年は人類が温暖化とどう付き合っていくか、温暖化を克服できるのか否か、それに かかっています。2020年から30年の間の10年がクリティカルだという言い方がよくされるのですが、その10年を経て、さらにその次の10年を経た20年後は、もしかしたら、「人類の運命が決まっちゃっている」ことがあり得るのかもしれません。

だから本当に「世界の平均気温が産業革命以前に比べて+1.5℃を超えるのか」「世界のCO2排出量はどれだけ減っているのか」「実質ゼロに向かって減ることができているのか」。

そして、それが実現できるような世界のエネルギーシステムの変化や産業の変化が起きているのかどうか。その答えが出てくるのが大体20年後です。これは科学の問題というよりは、その「実践」の結果がシビアに出てくるということになります。

コンピューター・シミュレーションが科学の一大分野を築いた

――研究者人生という視点で見ると、江守さん自身にとっては、どんな20年でしたか?

はっきりと覚えていますが、2002年に日本に「地球シミュレータ」という地球温暖化の予測計算ができるスーパーコンピューターができて、その計算速度は02年から04年まで世界最高のスピードだったんですね。世界最高速のスーパーコンピューターで、地球温暖化の研究ができるという、我々の研究分野にとっても、僕自身にとってもすごく大きなチャンスがやってきたのがちょうど20年前だったんです。それで、世界最高解像度の地球温暖化の計算実験プロジェクトをやらせてもらって、それが終わるとまた次のプロジェクトが始まるという感じでした。

気候変動の、特にシミュレーションの分野ではそこからさらに大規模なコンピューターに置き換わりながら、地球の気候変動のシミュレーションモデルの改良をしながらこの分野の研究がずっと続いてきているという感じで、それが始まったのがまさに20年前ぐらいだったんです。これはちょうど真鍋さん(※5)が日本にいらした時期です。地球シミュレータができるわりと入れ替わりぐらいにアメリカに戻っちゃったんですけどね。

そんな中、僕自身は、シミュレーションの研究自体はほかの人に任せて、むしろその「予測の結果が社会にどう伝わるか」に興味をもって、少し社会寄りの研究にシフトしていきました。

※5 真鍋さん…真鍋淑郎さん。2021年「気候シミュレーション」の礎を築いた功績が評価され、ノーベル物理学賞を受賞。

初めて計算によって地球温暖化を示し、「気候シミュレーション」の礎を築いた眞鍋淑郎さんの記事はコチラ👉🏻

――江守さんの興味が「社会に伝えること」に変わっていったのには、何かきっかけがあったのですか?

07年のプロジェクトの研究をしているときから、わりと「シミュレーション結果と社会との関係」のほうに関心があって、他の研究チームと共同研究する中でも少し、理学そのものではなくて社会との関係ということを担当したほうがいいような気がしていたんです。

「温暖化懐疑論」論争もそうですが、「温暖化はどれぐらい深刻な問題なの?」とか、「異常気象は温暖化のせいで増えているの?」とか、そういう世間一般の疑問っていうのに答えるというか、応答しなくちゃいけない機会が増えてきたことが、きっかけになったのではないかと思います。

――江守さんは今も積極的に社会への発信を続けていらっしゃるかと思います。活動を続ける中で、何か「社会の方の変化」のようなものを感じることはありますか?

変化は感じますね。07年、08年頃は、地球温暖化と言ってもみんな初めて聞くような話なので、「みんな温暖化と信じ込まされてるけど、本当はこうだよ」とか言われると、「なるほどそうなのか」というような、みんな面白がってその懐疑論に大きく引きつけられることがあるような時期だったと思うんです。

しかし、やっぱり温暖化してるよね、世界的に対策してるみたいだし、日本政府も対策してるみたいだねということが段々社会に定着していって、多くの人の中で確かに温暖化というものがあって、対策するものだという常識になっていったんじゃないかと思うんですよね。

一方で、おおざっぱにまとめてしまうと「懐疑論」というのでしょうか、逆張り的に陰謀論っぽかったり、あるいは政府批判っぽいニュアンスを込めた批判だったりは、 今でも非常に盛り上がるときには盛り上がるものだと思うんですけれども、とはいえこれだけ世界的に異常気象が目に見えてきた変化もありますから、懐疑的な見方もだんだん局所的な存在になっていってる感じはします。

――地球温暖化が確実に起きているということが分かって、各国の政府機関の認識や行動にはどんな変化があったんでしょうか?

2009年にコペンハーゲンでCOP15(※3)が開かれて、そこで京都議定書の次の約束を決めようとしたけれど、うまく行かなかったんですね。当時は、08年のリーマンショックで世界的な景気も悪くなっていて、環境どころじゃなくて、世界経済をどうしようかという空気が支配した時でもありました。そこでいったん世界の温暖化対策の勢いは後退したのですが、そこから立て直されて、2015年のパリ協定(※4)につながって行ったのです。

ところが17年、アメリカがトランプ政権になって離脱を宣言するわけですよ。これも非常に大きな「後退」だったけれども、結局バイデン政権になって戻ってきて、ということもありました。ここ20年は、良いニュースと悪いニュースを繰り返しながら徐々に進んできたように実感します。

日本の場合も2011年に東日本大震災で原発事故があって、やはり温暖化対策どころじゃなくなりました。原発が止まり、必然的に二酸化炭素の排出量も増えることになり、またそこから我々は立て直してきたわけです。過去20年というのは一直線じゃなくて、上がったり下がったりしてきた歩みだったなと思います。

※3 COP15…気候変動枠組条約第15回締約国会議。COPとは温暖化対策の国際ルールを話し合う大規模な国際会議のこと。2009年開催のCOP15では「ポスト京都議定書」採択について各国の足並みがそろわず、決裂を回避するために「コペンハーゲン合意」を採択することとなった。

※4 パリ協定…気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で採択された温暖化対策における国際的な枠組み。京都議定書に代わる新たな枠組みで、「世界の気温上昇を産業革命前と比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする」ことを目標に掲げた。

――今後の20年を担っていくのはさらに私たちの下の世代というか、今の小学生くらいの子どもたちだと思うのですが、伝えたいことはありますか。

「新しい常識」を作って欲しいですね。

やっぱり大人の常識では解決しない問題に今なってると思うんですよね。特に日本ではそうなんじゃないかな。世界的に常識が変わっていくと思いますが、例えば、CO2を出さないエネルギーを作るのが当たり前になるとか、もっと間接的にいえば、いろんな格差の問題とか、いろんなことが地球温暖化に関わってきているんじゃないかなと思うんですよね。

食の問題だと、海外で作られた牛肉がたくさん輸入されてきて、それを食べるのが当たり前という常識も変わるのかとか、飛行機に乗ってしょっちゅう移動するのが当たり前なのか、それももしかしたら変わるのかとかですね。

日本は上の世代が、常識が変わることを拒んでいる感じがするので、次世代が新しい常識を作っていってほしいなと思います。